(注) | 1. | 上記の本文は、新釈漢文大系 9『古文真宝(前集)上』(星川清孝著、明治書院・昭和42年2月25日初版発行・昭和47年3月1日11版発行)によりました。本書の序に、「先ず「諸儒箋解本」(通行本)を基とし、諸家の本集や『文選』 『唐文粋』の類について本文を校訂し」たとあります。ただし、詩の訓読は、諸種の読みを参考にして読んであります。 | |||
2. | 中国詩人選集7『李白 上』(武部利男・注、岩波書店・昭和32年11月20日第1刷発行、昭和45年11月10日第16刷発行)の本文は、おおむね『李太白文集三十六巻』(清・王琦、輯注)によったとありますが、詩の本文に、「停杯(新釈漢文大系本 停盃)」「月行却(月行卻)」「白兔擣(白兔搗)」「嫦娥(姮娥)」「孤棲(孤栖)」「唯願(惟願)」などの文字の違いが見られます。 | ||||
3. | 新釈漢文大系
9『古文真宝(前集)上』の語釈から引かせていただきます。 〇白兎搗薬 一に「玉兎」に作る。月の中に兎がいて、不老不死の薬を搗いているという伝説がある。傅玄の「擬天問」篇に「月中に何か有る。白兎薬を搗く。」とある。 〇姮娥 月中にいるという伝説の神女。張衡の「霊憲」に「羿(げい)不死の薬を西王母に得たり。姮娥(妻の名)之をぬすみて以て月に奔る。云云。遂に身を月に託す。」とあり、『後漢書』天文志注に「是を蟾※(虫+諸)(せんじょ)と為す。」という。月中の陰影の伝説。 (『広漢和辞典』下巻に、「※(虫+諸) ショ ①蟾※(虫+諸)センショは、がま。ひきがえる。=蜍。」とあります。つまり、※(虫+諸)=蜍 です。普通、「蟾蜍」と書いているようです。) |
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4. | 〇李白(りはく)=盛唐の詩人。四川の人、また砕葉(キルギス共和国のトクマク附近)の生れともいう。母が太白星(金星)を夢みて生んだので太白を字としたと伝える。号は青蓮(居士)。謫仙人とも称された。酒を好み奇行多く、玄宗の宮廷詩人に招かれたが、高力士らに嫌われて追放される。晩年、王子の反乱に座して流罪となったが途中で恩赦。最後は酔って水中の月を捕らえようとして溺死したという。その詩は天馬行空と称され、絶句と長編古詩を得意とした。杜甫と共に李杜と併称され、詩仙とも呼ばれる。詩文集「李太白集」30巻がある。(701-762) (『広辞苑』第6版による。) | ||||
5. | 李白の「擬古十二首其九」という詩に、「月兎空搗藥 扶桑已成薪 (月兎(げっと)空しく藥を搗(つ)き 扶桑(ふそう)已(すで)に薪(たきぎ)と成る」とあります。 | ||||
6. |
「把酒問月」を現代語訳してみます。(2013年2月16日) 酒盃を手にして月に問いかける 青空に月が存在するようになってから、どのくらいの時間が経ったのだろうか。 私は今、盃を取る手をとめて、ちょっと月にお尋ねしたい。 人間は明るい月を手を伸ばして引き寄せることはできないが、しかし、月の歩みは、反対に人の歩みにつれて、どこまでもついて来てくれる。 白く輝いて、空を飛ぶ鏡が仙人の朱色の宮殿にさしかかったようである。 緑色の夕靄がすっかり消え失せると、清らかな光が現れる。 月が夕方、海上から昇ってくるのを誰もが見ているが、明け方に雲間に沈んでいくのを、どうして知っていようか、知らないのである。 白い兎が、月の中で不老不死の薬を秋も春も搗いている。仙薬を飲んだ姮娥は、孤独に月の中に住んでいて、隣に誰がいるだろうか、誰もいるはずがない。 今生きている人は、昔の月を見ることはできないが、今出ているこの月は、大昔からずっと、昔の人を照らし続けてきたのである。 昔の人も、今の人も、人間はみな流れる水のように去って行くのである。そして、昔も今も、人々は明るい月を眺めては、私と同じように永遠の月に対して果かない人の命を嘆き、物思いにふけっているのだ。 人生のはかないことは致し方ないとしても、ただ私が願うことは、歌をうたい、酒に向かっている時だけは、月の光がいつまでも黄金(こがね)づくりの酒樽の中を照らしてほしい、ということである。 |
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7. |
李白「擬古十二首其九」の詩を引いておきます。 擬古十二首其九 生者爲過客 死者爲歸人 天地一逆旅 同悲萬古塵 月兎空搗藥 扶桑已成薪 白骨寂無言 靑松豈知春 前後更嘆息 浮榮安足珍 (第六句已成、一に以爲に作る。) |