資料451 李白「把酒問月」                   





        把酒問月(酒を把つて月に問ふ) 

   李 太 白

 

   

靑天有月來幾時   靑天(せいてん)月有りてより來(このかた)幾時(いくとき)
我今停盃一問之   
我 今(いま)(さかづき)を停(とど)めて 一(ひと)たび之(これ)に問ふ
人攀明月不可得   
人は明月を攀(よ)づること得(う)べからず
月行卻與人相隨   
月行(げつかう)(かへ)つて人と相(あひ)(したが)
皎如飛鏡臨丹闕   
(かう)として飛鏡(ひきやう)の丹闕(たんけつ)に臨むが如く
綠煙滅盡淸輝發   
綠煙(りよくえん)(き)え盡きて 淸輝(せいき)發す
但見宵從海上來   
(ただ)見る 宵(よひ)に海上より來(きた)るを
寧知曉向雲閒沒   
(なん)ぞ知らん 曉(あかつき)に雲閒(うんかん)に向かひて沒するを
白兔搗藥秋復春   
白兔(はくと) 藥を搗(つ)きて 秋復(ま)た春
姮娥孤栖與誰鄰   
姮娥(こうが) 孤栖(こせい)して誰(たれ)とか鄰(となり)する
今人不見古時月   
今人(こんじん)は見ず 古時(こじ)の月
今月曾經照古人   
今月(こんげつ)は曾‐經(かつ)て古人を照らせり
古人今人若流水   
古人今人 流水の若(ごと)
共看明月皆如此   
共に明月を看る 皆(みな)(かく)の如し
惟願當歌對酒時   
(ただ)願ふ 歌に當(あ)たり酒に對(たい)する時
月光長照金樽裏   
月光の長く金樽(きんそん)の裏(うち)を照らさんことを
 

 


 
 

(注) 1. 上記の本文は、新釈漢文大系 9『古文真宝(前集)上』(星川清孝著、明治書院・昭和42年2月25日初版

       発行・昭和47年3月1日11版発行)によりました。本書の序に、「先ず「諸儒箋解本」(通行本)を基とし、諸家の

      本集や『文選』 『唐文粋』の類について本文を校訂し」たとあります。
ただし、詩の訓読は、諸種の読みを参考にして読んであります。

      2 中国詩人選集7『李白 上』(武部利男・注、岩波書店・昭和32年11月20日第1刷発行、昭和45年

      11月10日第16刷発行)の本文は、おおむね『李太白文集三十六巻』(清・王琦、輯注)によったとあり

      ますが、詩の本文に、「停杯(新釈漢文大系本 停盃)」「月行却(月行卻)」「白兔擣(白兔搗)」「嫦娥(姮娥)」

      「孤棲(孤栖)」「唯願(惟願)」などの文字の違いが見られます。

      3. 新釈漢文大系 9『古文真宝(前集)上』の語釈に、
  白兎搗薬  一に「玉兎」に作る。月の中に兎がいて、不老不死の薬を搗いているという伝説があ
 る。傅玄の「擬天問」篇に「月中に何か有る。白兎薬を搗く。」とある。
  姮娥 月中にいるという伝説の神女。張衡の「霊憲」に「羿(げい)不死の薬を西王母に得たり。姮娥
 
(妻の名)之をぬすみて以て月に奔る。云云。遂に身を月に託す。」とあり、『後漢書』天文志注に「是を
 
虫+諸)
(せんじょ)と為す。」という。月中の陰影の伝説。

      とあります。
(『広漢和辞典』下巻に、「※虫+諸) ショ ①蟾※虫+諸)センショは、がま。ひきがえる。
=蜍。」とあります。つまり、※虫+諸)=蜍 です。普通
、「蟾蜍と書いているようです。

    4. 李白(りはく)=盛唐の詩人。四川の人、また砕葉(キルギス共和国のトクマク附近)の生れと
      もいう。母が太白星(金星)を夢みて生んだので太白を字としたと伝える。号は青蓮
      (居士)。謫仙人とも称された。酒を好み奇行多く、玄宗の宮廷詩人に招かれたが、
      高力士らに嫌われて追放される。晩年、王子の反乱に座して流罪となったが途中で
      恩赦。最後は酔って水中の月を捕らえようとして溺死したという。その詩は天馬行空
      と称され、絶句と長編古詩を得意とした。杜甫と共に李杜と併称され、詩仙とも呼ばれ
      る。詩文集「李太白集」30巻がある。(701-762)     
(『広辞苑』第6版による。)

         5. 李白の「擬古十二首其九」という詩に、「月兎空搗藥 扶桑已成薪 (月兎(げっと)空しく藥を搗

     (つ)き 扶桑(ふそう)已(すで)に薪(たきぎ)と成る」とあります。

         6. 「把酒問月」を現代語訳してみます。(2013年2月16日)

 

  酒盃を手にして月に問いかける

 

 

青空に月が存在するようになってから、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
私は今、盃を取る手をとめて、ちょっと月にお尋ねしたい。
人間は明るい月を手を伸ばして引き寄せることはできないが、しかし、月の歩みは、反対に人の歩みにつれて、どこまでもついて来てくれる。
白く輝いて、空を飛ぶ鏡が仙人の朱色の宮殿にさしかかったようである。
緑色の夕靄がすっかり消え失せると、清らかな光が現れる。
月が夕方、海上から昇ってくるのを誰もが見ているが、明け方に雲間に沈んでいくのを、どうして知っていようか、知らないのである。
白い兎が、月の中で不老不死の薬を秋も春も搗いている。仙薬を飲んだ
姮娥は、孤独に月の中に住んでいて、隣に誰がいるだろうか、誰もいるはずがない。
今生きている人は、昔の月を見ることはできないが、今出ているこの月は、大昔からずっと、昔の人を照らし続けてきたのである。
昔の人も、今の人も、人間はみな流れる水のように去って行くのである。そして、昔も今も、人々は明るい月を眺めては、私と同じように永遠の月に対して果かない人の命を嘆き、物思いにふけっているのだ。
人生のはかないことは致し方ないとしても、ただ私が願うことは、歌をうたい、酒に向かっている時だけは、月の光がいつまでも黄金(こがね)づくりの酒樽の中を照らしてほしい、ということである。

 

         7.  李白「擬古十二首其九」の詩を引いておきます。
    
擬古十二首其九
     生者爲過客
     死者爲歸人
     天地一逆旅
     同悲萬古塵
     月兎空搗藥
     扶桑已成薪
     白骨寂無言
     靑松豈知春
     前後更嘆息
     浮榮安足珍

        (第六句已成、一に以爲に作る。)

 

 

          

               

              
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