この哥は、むかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへて、えかへりまうでこざりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるにたぐひて、まうできなむとて、いでたちけるに、めいしうといふところのうみべにて、かのくにの人むまのはなむけしけり。よるになりて月のいとおもしろくさしいでたりけるをみて、よめるとなむかたりつたふる。 |
(注) | 1. |
上記の資料415
「安倍仲麻呂の和歌「あまの原ふりさけみれば……」(『古今和歌集』巻第九より)の本文は、日本古典文学大系8『古今和歌集』(佐伯梅友校注、岩波書店・昭和33年3月5日第1刷発行、昭和38年10月15日第5刷発行)によりました。 この歌は、『古今和歌集』巻第九「羇旅哥」の最初に出ている歌です。国歌大観の番号 は、406です。 |
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2. |
底本その他については、凡例に次のようにあります。 ○ 本書の本文は、二条家相伝本(梅沢彦太郎氏蔵)を底本とし、できるだけ底本の姿を残すことにつとめた。 ○ 仮名・漢字は底本のままを旨とし、底本の仮名を漢字に直すことは、いっさいしなかった。 ○ 片仮名の字体は現行の普通のものに改めたが、仮名づかい、および「む」と「ん」との別は底本のままとし、(以下、略) ○ 片仮名「ハ」「ニ」などは平仮名に改めた。 ○ 底歌の組み方で、切れめをつけたのは校注者の責任である。これが解釈と鑑賞にいくらかでも役立つならば、しあわせである。 ○ 仮名序の句読点は、読みやすいことを主として施した。(引用者注:詞書や左注についても同じであろうと思われます。) なお、詳しくは、古典大系本の「凡例」をご参照ください。 |
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3. |
『古今和歌六帖全注釈 第一帖』(古今和歌六帖輪読会(代表:平野由紀子)著)の「あまのはら……」の歌の「所載」によれば、仲麻呂のこの歌は『古今和歌六帖』のほか、次の本に載っているそうです。 『古今和歌集』、『新撰和歌』、『金玉和歌集』、『和漢朗詠集』、『和歌体十種』、『深窓秘抄』、 『秀歌大体』、 『百人秀歌』、 『百人一首』、 『新撰髄脳』、『俊頼髄脳』、 『綺語抄』、 『和歌童蒙抄』、 『奥儀抄』、『万葉集時代難事』、『柿本人麻呂勘文』、『古来風体抄』、『西行上人談抄』、『井蛙抄』、『江談抄』、『今昔物語集』、『古本説話集』、『宝物集』、『世継物語』 ※ 『古今和歌六帖全注釈 第一帖』は、『お茶の水女子大学 E-bookサービス』に出ていて本文を読む(見る)ことができますので、ご覧ください。 ※ 初句が「あをうなばら」となっていますが、『土佐日記』の承平5年(935)1月20日の記事にも、仲麻呂のこの歌が出ています。(注11に『土佐日記』の本文が引いてあります。) また、白石美鈴「『世継物語』の和歌一覧」(『日本女子大学紀要 文学部』60巻、2011年03月20日)によれば、この歌(84)は『世継物語』のほか、次の本に出ているとあります。 『古今和歌集』、『新撰和歌集』、『古今和歌六帖』、『新撰髄脳』、『金玉集』、『深窓秘抄』、 『和歌体十種』、 『和漢朗詠集』、 『秀歌三十六人和歌』、『綺語抄』、 『俊頼髄脳』、 『奥儀抄』、 『和歌童蒙抄』、『玉代集歌枕』、『万葉集時代難事』、『柿本人麻呂勘文』、『古来風体抄』、『定家八代集』、『西行上人談抄』、『顕注密勘抄』、『秀歌大体』、『百人秀歌』、『百人一首』、『歌枕名寄』、『井蛙抄』、『連珠合璧集』、『私玉抄』、『別本和漢兼作集』、『臆説剰言』(初句「青海原」)、 『和歌呉竹集』、『古今撰』、『歌の大意』、『土佐日記』(初句「青海原」)、『水鏡』、 『江談抄』、 『今昔物語集』、『古本説話集』、『宝物集』、『撰集抄』、謡曲『谷行』(旅 部分「ふりさけみれば春日なる三笠の山をさし過ぎて」)、謡曲『野守』(部分「天の原ふりさけ見ると詠めける三笠の山陰の月かも」)、『月刈藻集』、『本朝語園』 |
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4. |
阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)=(「安倍」とも)奈良時代の貴族。716年(霊亀2)遣唐留学生に選ばれ、翌年留学。唐名、朝衡・晁衡。博学宏才、玄宗皇帝に寵遇され、また海難に帰国をはばまれて在唐50余年、その間節度使として安南に赴き、治績をあげた。唐の長安で没。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌は有名。(698-770)(『広辞苑』第6版による。) ※ 日本古典文学大系20『土左日記 かげろふ日記 和泉式部日記 更級日記』(鈴木知太郎・川口久雄・遠藤嘉基・西下經一 校注、岩波書店・昭和32年12月5日第1刷発行、昭和38年8月20日第6刷発行)の補注に、 安倍仲麻呂は養老元年、年17で遣唐留学生として唐に渡り、名を朝衡と改め、数年唐朝の玄宗に仕えた。天平勝宝年間、遣唐大使藤原清河に従い帰朝しようとしたが、風波のために果たさず、再び唐に戻った。後、蕭宗に仕え、宝亀元年彼の地に卒した。年73という。詩人として令名があり、王維、包佶、李白等と親交があった。(以下、略) とあります。(同書、69~70頁。『土左日記』の補注53) |
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5. | 『千人万首─よよのうたびと─』というサイトに「阿倍仲麻呂」のページがあり、作者及び「天の原……」の歌の詳しい解説が見られて、たいへん参考になります。 | ||||
6. | フリー百科事典『ウィキペディア』に、「阿倍仲麻呂」の項があります。 | ||||
7. | 語句の注をいくつか付けておきます。 〇もろこし……唐土。中国を当時はこう呼んでいた。 〇安倍仲麿……仲麿の「安倍」は、「阿倍」ともいう。「仲麿」は、仲麻呂に同じ。 〇あまの原……天の原。おおぞら。 〇ふりさけみれば……「ふりさく(振り放く)」は、はるか遠くを仰ぐ。従って、「あまの原ふりさけ見れば」は、はるか遠くに目を放って大空を見ると。 〇かすがなるみかさの山……「かすが」は、奈良の春日(かすが)。春日の地にある三笠山。三笠山は、今の奈良市の東部、高円山(たかまとやま)と若草山の間にある山。春日山の一部をなす。標高283メートル。御笠山。御蓋山(おんがいさん)。[歌枕]。「なる」は断定の助動詞「なり」の連体形で、ここは、「にある」(存在)の意。(「三笠山」の解説は、『広辞苑』第6版によりました。) 〇いでし月……出でし月。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。体験回想を表す助動詞なので、「(昔、自分が日本にいたときに見た、三笠山に)出た月」の意である。つまり、「今自分が異国で見ているこの月は、日本にいたころ自分が見た、あの三笠山に出た月なのだなあ」と、懐かしんでいるのである。 〇かも……感動の終助詞ととりました。ただし、この「かも」については、「か」を疑問の係助詞、「も」を感動の助詞ととって、「かも」は感動の意を含んだ疑問の表現(春日の三笠の山に、かつて出ていた月であろうかな)と解する説があります(三木幸信著 『解釈と鑑賞 小倉百人一首』 改訂版、京都書房、1962年初版、1990年改訂版第12刷発行)。 〇ものならはしに……仲麻呂は、元正天皇霊亀2年(716)、遣唐使多治比県守(たじひのあがたもり)について留学生として選ばれ、翌年、霊亀3年・養老元年(717)唐に遣わされた。 〇えかへりまうでこざりける……「え~ざり」で、不可能を表すので(「え」は可能の副詞。下に打消の語をともなう)、「帰朝することができなかった」の意になる。 〇又つかひまかりいたりける……天平勝宝3年(751)の遣唐使藤原清河(きよかわ)のこと。 〇たぐひて……連れ立って。 〇めいしう……明州。現在の寧波(ニンポー・ねいは)。中国浙江省北東部の沿海港湾都市。遣唐使派遣の頃から日中交通の要地として知られた。フリー百科事典『ウィキペディア』によると、唐代の開元年間に明州と呼ばれ、南宋では慶元府、元代には慶元路と称されたという。 〇うまのはなむけ(餞)……〔「馬の鼻向け」の意〕(旅立つ人の馬の鼻を、その行く先に向けて安全を祈ったことから) 旅立つ人を送ること。送別。また、送別の宴を催したり、品物を贈ったりすること。また、その品。餞別。「藤原のときざね、船路(ふなぢ)なれど、─す」〈土佐〉(この項、『旺文社古語辞典』第8版による。) ※『旺文社古語辞典』第8版に出ている仲麻呂の歌の訳を引かせていただきます。 大空をはるかにふり仰いでみると、月がさしのぼって来たが、〔この月は日本にいたころ〕故郷の春日にある三笠の山にのぼったあの月なのだなあ。(唐土で大和を懐かしんだ望郷の歌) |
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8. | 中国西安の興慶公園に、「阿倍仲麻呂紀念碑」が建っていて、仲麻呂の和歌の漢訳が刻まれています。(一説に、漢詩が先で和歌が後だともいう。) 望郷詩 翹首望東天 神馳奈良邊 三笠山頂上 想又皎月圓 望郷の詩 首(かうべ)を翹(あ)げて東天を望み 神(こころ)は馳(は)す 奈良の邊 三笠 山頂の上 想ふに 又 皎月(かうげつ) 圓(まどか)ならん ※ この項は、石川忠久先生の『NHK 漢詩をよむ 4~9月』(日本放送出版協会、昭和61年4月1日発行)から引用させていただきました(同書161頁)。 このテキストには「阿部仲麻呂紀念碑」となっていますが、テキスト掲載の碑の写真の文字がはっきりしないので他の写真で見てみると、紀念碑には「阿倍」となっているようです。そこで、ここでは「阿倍仲麻呂紀念碑」としてあることをお断りしておきます。 ※ 「阿倍仲麻呂紀念碑」の向かって左の側面に仲麻呂の「望郷詩」が、向かって右の側面に李白の「哭晁卿衡」が刻してあります。 ※ 注12に紹介してある、『Seinan Sky』というサイトの「阿倍仲麻呂紀念碑」の写真をご覧ください。「阿倍仲麻呂紀念碑」に刻してある李白の「哭晁卿衡」が見られます。 |
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9. | 天平勝宝5年(753)に、遣唐使藤原清河とともに帰国の途についた仲麻呂が、嵐のため帰国を果たせず船が安南に流されたとき、仲麻呂が死んだという噂が広まって李白の耳に達したため、李白は次の七言絶句の詩を作り仲麻呂の死を悼んだという。 哭晁卿衡 李白 日本晁卿辭帝都 征帆一片遶蓬壺 明月不歸沈碧海 白雲愁色滿蒼梧 晁卿衡(かう)を哭す 李白 日本の晁卿(てうけい) 帝都を辭し 征帆一片 蓬壺(ほうこ)を遶(めぐ)る 明月歸らず 碧海(へきかい)に沈み 白雲愁色 蒼梧(さうご)に滿つ ※ この項も、石川忠久先生の『NHK 漢詩をよむ 4~9月』(日本放送出版協会、昭和61年4月1日発行)から引用させていただきました(同書、160頁)。なお、注10をご参照ください。 |
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10. |
王維の送別の詩も、挙げておきます。この王維の詩は、仲麻呂が日本に帰るとき、百官が餞別の宴を設けたときの作だそうです。 本文及び書き下し文は、新釈漢文大系19『唐詩選』(目加田誠著、明治書院・昭和39年3月10日初版発行、昭和47年3月1日12版発行)によりました。 (引用者注:『唐詩選』には詩だけが掲載されていて、序の部分は出ていません。また、題名が「日本国」でなく、「送秘書晁監還日本」となっています。) 送秘書晁監還日本 王維 積水不可極 安知滄海東 九州何處遠 萬里若乘空 向國惟看日 歸帆但信風 鰲身映天黑 魚眼射波紅 郷國扶桑外 主人孤島中 別離方異域 音信若爲通 秘書晁監の日本に還るを送る 積水 極むべからず。安(いづく)んぞ知らん 滄海(さうかい)の東。 九州 何(いづ)れの処か遠き。 万里 空(くう)に乗ずるが若(ごと)し 国に向かつて惟(た)だ日を看、帰帆 但だ風に信(まか)す。 鰲身(がうしん) 天に映じて黒く、魚眼 波を射て紅なり。 郷国 扶桑の外(ほか)、主人 孤島の中(うち)。 別離 方(まさ)に異域、音信(おんしん) 若爲(いかん)か通ぜん。 ※ 資料416に王維「送秘書晁監還日本国竝序」」(『王右丞集箋注』による)があります。 |
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11. |
『土佐日記』の仲麻呂の記事を引用しておきます。承平5年(935)1月20日の記事です。 本文は、日本古典文学大系20『土左日記 かげろふ日記 和泉式部日記 更級日記』(鈴木知太郎・川口久雄・遠藤嘉基・西下經一 校注、岩波書店・昭和32年12月5日第1刷発行、昭和38年8月20日第6刷発行)によりました。 底本について凡例に、「本書は今日最善本と考定せられる、故大島雅太郎氏旧蔵、青谿書屋本(藤原為家自筆本系統)を以って底本とした」とあります。 (平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、仮名を繰り返すことによって表記してあります。「ひとびと」) なお、本文校訂の詳細については、同書の凡例(22~24頁)を参照してください。 十九日。ひあしければ、ふねいださず。 廿日。きのふのやうなれば、ふねいださず。みなひとびとうれへなげく。くるしくこゝろもとなければ、たゞひのへぬるかずを、けふいくか、はつか、みそかとかぞふれば、およびもそこなはれぬべし。いとわびし。よるはいもねず。はつかの、よのつきいでにけり。やまのはもなくて、うみのなかよりぞいでくる。かうやうなるをみてや、むかし、あべのなかまろといひけるひとは、もろこしにわたりて、かへりきけるときに、ふねにのるべきところにて、かのくにひと、むまのはなむけし、わかれをしみて、かしこのからうたつくりなどしける。あかずやありけん、はつかの、よのつきいづるまでぞありける。そのつきはうみよりぞいでける。これをみてぞ、なかまろのぬし、「わがくににかかるうたをなむ、かみよよりかみもよんたび、いまはかみなかしものひとも、かうやうにわかれをしみ、よろこびもあり、かなしびもあるときにはよむ。」とて、よめりけるうた、 あをうなばらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも とぞよめりける。かのくにひと、きゝしるまじくおもほえたれども、ことのこゝろを、をとこもじに、さまをかきいだして、ここのことばつたへたるひとにいひしらせければ、こゝろをやきゝえたりけん、いとおもひのほかになんめでける。もろこしとこのくにとは、ことことなるものなれど、つきのかげはおなじことなるべければ、ひとのこゝろもおなじことにやあらん。さていま、そのかみをおもひやりて、あるひとのよめるうた、 みやこにてやまのはにみしつきなれどなみよりいでてなみにこそいれ |
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12. | 、『Seinan Sky』というサイトに「阿倍仲麻呂紀念碑」の写真が出ています。碑に刻してある李白の「哭晁卿衡」の詩が見られます。 | ||||
13. | 『詩詞世界 碇豊長の詩詞』というサイトに、上に引いた李白の「哭晁卿衡」の解説があります。 |