資料382 樺太千島交換条約(明治8年・1875年)・樺太千島交換条約ニ属スル公文
樺太千島交換條約
註一、明治八年五月七日彼得堡ニ於テ調印
同年八月二十二日批准
同年同月同日東京ニ於テ批准書交換
二、本條約ハ佛文ノミヲ以テ記載セラレ居ルモ記録中ニ綴込アル
「武揚謹譯」トアル和譯文ヲ參考ノ爲併掲セリ
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Sa Majesté l'Empereur de toutes les Russies et Sa Majesté l'Empereur du Japon, désirant mettre un terme aux nombreux inconvénients qui résultent de la possession en commun de l'île de Sakhaline et consolider la bonne intelligence qui existe entre Eux, sont convenus de conclure un Traité de cession réciproque, par Sa Majesté l'Empereur de toutes les Russies du groupe des île Kouriles, et par Sa Majesté l'Empereur du Japon de Ses droits sur l'île de Sakhaline (Krafto), et ont nommé à cet effet pour Leurs plénipotentiaires, savoir : |
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Fait en double original à St Petersbourg le vingt-cinq Avril mil sept Mai |
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huit cent soixante-quinze, correspondant au septième jour du cinquième mois de la huitième année Meiji. |
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樺太千島交換條約ニ屬スル公文
註 本「條約ニ屬スル公文」ハ佛文ノミヲ以テ記載セラレ居ルモ記録
中ニ綴込アル「武揚謹譯」トアル和譯文ヲ參考ノ爲併掲セリ
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Déclaration. |
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Fait en double expédition à St Petersbourg le vingt-cinq Avril mil sept Mai |
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huit cent soixante-quinze correspondant au septième jour du cinquième mois de la huitième année Meiji. |
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1. | 上記の『樺太千島交換条約』・『樺太千島交換条約ニ属スル公文』の本 | ||
文は、外務省のホームページにある『日本外交文書デジタルアーカイブ』所収の『大日本外交文書 第8巻』(外務省調査部編纂、外務省蔵版。昭和15年6月10日・日本国際協会発行)に拠りました。 外務省 → 史料・公開情報 → 日本外交文書デジタルアーカイブ → 日本外交文書を閲覧する→ 明治期第8巻(明治8年/1875年) → 6 樺太千島交換条約締結ニ関スル件 → 九一 五月七日 樺太千島交換条約(25~29/65) → 九二 五月七日 樺太千島交換条約ニ属スル公文(29~31/65) 現在は『日本外交文書デジタルアーカイブ』は、『日本外交文書デジタルコレクション』という名前に変更されているそうです。 → 外交史料館『日本外交文書デジタルコレクション』 また、外務省のホームページには、明治150年記念展示「条約書にみる明治の日本外交」があります。(2023年9月22日付記) |
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2. | 『樺太千島交換条約』の本文中の次の語を、引用者が勝手に書き換えて | ||
あります。この件についてご教示いただけると、ありがたいです。 (1)Article I. …… sus l'île de Sakhaline の sus を sur にしました。 (2)Article V.……à la conditon の conditon を condition にしました。 (3)Article VIII.……Takio (Yeddo) の Takio を Tokio にしました。 (4)最後にある dela を de la にしました。 |
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3. | 外務省のホームページに、「日本の領土をめぐる情勢」というコーナー | ||
があり、そこに、「北方領土」のページがあって、「北方領土データ」「北方領土問題の概要(北方領土の日、北方領土問題とは? 北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで))、」その他があって参考になります。 外務省 → 「日本の領土をめぐる情勢」・北方領土 |
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4. | 『国立公文書館デジタルアーカイブ』というサイトで、『明治八年九 | ||
月 公文録 外務省の部』に収録されている「樺太千島交換条約」(簿冊標題:公文録・明治八年・第三十巻・明治八年九月・外務省伺)を画像で見ることができます。 『国立公文書館デジタルアーカイブ』 → 件名:樺太千島交換条約本書為取替済并附録調印済のノ儀上申 (簿冊標題:公文録・明治八年・第三十巻・明治八年九月・外務省伺) |
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5. | 〇樺太千島交換条約(からふと・ちしま・こうかんじょうやく)= | ||
1875年(明治8)榎本武揚(たけあき)が特使となり調印したロシアとの国境画定条約。両国人雑居とされていた樺太をロシア領、千島列島のうち得撫(ウルップ)島以北の島々を日本領と規定。(『広辞苑』第6版による。)
〇樺太千島交換条約(からふと・ちしまこうかんじょうやく)=1875年(明治8)5月、駐露公使榎本武揚とロシアの首相兼外相ゴルチャコフの間に調印された国境確定条約。当時は1854(安政1)の日露和親条約で千島では択捉(エトロフ)・得撫(ウルップ)両島の間を国境としたが、樺太は両国人の雑居としたため、南下するロシア人との紛争が頻発した。しかし日本側は財政上でも軍事上でも積極策に 出る余裕がなかったため開拓長官黒田清隆の樺太放棄論をいれてこの条約を結び、樺太はロシア領とし、かわりに千島列島全島を日本領土とすること、樺太の日本人資産の賠償、 オホーツク海・カムチャツカの日本人漁業権の承認などを取り決めた。(『角川日本史辞典 第二版』 (昭和41年初版発行、昭和49年第二版初版発行)による。) |
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6. | フリー百科事典『ウィキペディア』に「樺太・千島交換条約」の項があ | ||
ります。 ここに、「樺太千島交換条約の正文はフランス語で、日本語訳は条文としての効力は有していない」とあります。その部分を引用します。 「樺太・千島交換条約の正文はフランス語である。ロシア語および日本語は正文ではなく、また条約において公式に翻訳されたもの(公文)でもないため、条文としての効力は有していない。日本語訳文には、第二款のクリル群島の部分に食い違いがある。」 |
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7. | 資料541に、「日ソ中立条約 (大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義 | ||
共和国聯邦間中立条約)」があります。 | |||