資料381 郭居敬撰『新刊全相二十四孝詩選』




   新刊全相二十四孝詩選    延平尤溪郭居敬撰 

   大 舜  

隊々耕春象 紛々耘草禽 
嗣堯登寶位 孝感動天心

 大舜至孝父頑母嚚弟象傲舜
 耕於歴山有象爲之耕鳥爲之耘其
 孝感如此堯聞之妻之二女讓以天下



   漢文帝

仁孝臨天下 巍々冠百王 
漢廷事賢母 湯藥必親甞

 前漢文帝高祖之子母薄
 太后帝奉養無怠湯藥必
 親嘗而後進母乃爲仁孝
 之賢君也



   丁 蘭

刻木爲父母 形容在日新 
寄言諸子姪 聞早孝其親

 丁蘭父母死思慕骨肉乃刻
 木爲象而事之以報其本其
 妻不敬以針刺之血出蘭歸
 見之棄妻大泣不止令人父
 母倶存者可不敬乎



   孟 宗

涙滴朔風寒 瀟々竹數竿 
須臾春笋出 天意報平安

 孟宗字恭武母年老病篤
 冬月思笋食宗往竹林中
 泣竹而告天有頃地上出笋
 數莖持歸作羹供母食
 畢而病癒



   閔 損

閔氏有賢郎 何曾怨晩娘 
尊前留母在 三子免風霜

 閔損字子騫早喪母父娶後妻
 生二子母嫉損所生子衣綿絮衣
 損以蘆花絮冬日令損御車躰
 寒失靷父察之欲遣後母損啓父曰
 母在一子寒母去三子單母聞之悔改遂成慈母


   曾 參

母指纔方齧 兒心痛不禁 
負薪歸來晩 骨肉至情深

 曾子名參字恭輿其母一日
 有親客至家貧無具母齧其
 指參採薪山中忽心痛即
 負薪以歸跪母問其故母
 乃云



   王 祥

繼母人間有 王祥天下無 
至今河水上 一片臥氷模

 王祥魏時人早喪母繼母朱氏不
 慈數譖之由是失愛於父母常欲
 食生魚時天寒氷凍祥剖氷求之
 氷忽自解雙鯉躍出持歸供母毎
 氷凍天寒有人形臥氷上今在肇慶府



   老萊子

戯舞學嬌癡 春風動綵衣 
雙親開口笑 喜色滿庭闈

 老萊子至孝奉二親行年七十
 身省五色斑斕之衣爲嬰兒戯
 於親側養極甘脆言不稱老
 爲親常取食上堂詐跌而偃
 作小兒啼以娯親



   姜 詩

舎側甘泉出 一朝雙鯉魚 
子能知事母 婦更孝於姑

 姜詩事母至孝奉順尤篤母好
 飲江水妻出六七里沂流而汲如嗜
 魚鱠夫婦常力作供鱠呼鄰
 母共之舎側忽有湧泉味如江水
 毎旦輙出雙鯉魚以供二母之膳



   黄山谷

貴顯聞天下 平生孝事親 
汲泉涓溺器 婢妾豈無人

 黄山谷宋時人時推爲江西
 詩祖元祐中爲太史性質至
 孝奉母安康郡君毎夕親爲
 母滌溺器未嘗頃刻不供子
 職



   唐夫人

孝敬崔家婦 乳姑晨盥梳 
此恩無以報 願得子孫如 
 
 崔山南家之盛郷族罕比山南曾
 祖王母長孫夫人年高無齒祖母唐夫人
 事姑至孝毎旦櫛笄拜於階下即
 升堂乳其姑長孫夫人不粒食數年而
 康寧一旦疾病長幼咸集宣言無以報新
 婦恩願新婦有子有孫皆得如新婦
 孝敬則崔之門安得不昌大乎



   楊 香

深山逢白額 努力搏腥風 
父子倶無恙 脱身饞口中

 楊香其父爲虎曳去香搏虎
 遂免於害



   董 永

葬父貸方兄 天姫陌上迎 
織絹償債主 孝感盡知名 

 董永字延年後漢人家貧傭力父
 死貸錢一萬而葬道遇一婦人求爲
 永妻倶詣主人家令織絹三百匹
 一月而畢輒辭永曰我天上之織女聞君至
 孝天帝令我助君償債言訖凌空而去



   黄 香

冬月温衾煖 夏天扇枕凉 
兒童知子職 千古一黄香

 黄香字文強九歳而失母事
 父盡孝暑則扇其枕席
 寒則以身温被太守劉護
 表而異



   王 裒

慈母怕聞雷 氷魂宿夜臺 
阿香時一震 到墓遶千廻

 王裒字偉元至孝奉母平
 生畏雷既死而葬毎遇雷
 震即至墓曰裒在此勿懼



   郭 巨

貧乏思供給 埋兒願母存 
黄金天所賜 光彩照寒門

 郭巨字文擧妻生一子三歳母常
 減食與之巨謂妻曰貧乏不能供給
 共汝埋子々可再得母不可再得妻泣
 而從之遂掘坑三尺得黄金一釜上云
 天賜孝子郭巨官不得奪民不得取



   朱壽昌

七歳生離母 參商五十年 
一朝相見面 喜氣動皇天

 朱壽昌生七歳父出其母々子不
 相見者五十年壽昌行四方求之
 不已與人言輒流涕熈寧初棄官
 入秦與家人訣誓不見母不復還行次
 同州得焉劉氏年七十餘矣東坡有詩美之



   剡 子

老親思鹿乳 身掛褐毛衣 
若不高聲叫 山中帶箭歸

 剡子父母年老倶患雙目思
 食鹿乳剡子衣鹿皮入鹿群之
 中以取鹿乳獵者見欲射之
 告訴乃免



   蔡 順

黑椹奉親闈 啼飢涙滿衣 
赤眉知孝順 牛米贈君歸

 蔡順汝南人王莽末天下大
 荒順拾桑椹黑赤異器盛之
 赤眉賊見而問之曰黑者奉母
 赤者自食賊知其孝乃遺米
 三斗牛蹄一隻而去



   庾黔婁

到縣未旬日 椿庭遘疾深 
願將身代死 北望啓憂心

 庾黔婁南齊時人也爲孱陵令到縣
 未旬日忽心驚流汗即棄官歸家父疾
 已二日醫云欲知瘥劇但嘗糞甜苦
 則爲佳黔婁輒取嘗之味轉甜滑心
 愈憂苦至夕稽顙北辰求以身代



   呉 猛

夏夜無帷帳 蚊多不敢揮 
恣渠膏血飽 免使入親闈

 呉猛年八歳有孝行家貧無
 帷帳夏不驅蚊恐去己而齧
 其親也



   張孝張禮

偶値綠林兒 代烹云瘦肥 
人皆有兄弟 張氏古今稀
 
 張孝張禮家貧兄弟二人禮養
 母拾菜於路遇賊將烹食之禮云
 乞回家供母早食却來就死孝聞自
 詣賊曰禮瘦不如孝肥願代弟命禮
 曰禮本許殺勿殺吾兄賊見二人孝義倶捨之



   田 眞

海底紫珊瑚 群芳總不如 
春風花滿樹 兄弟復同居

 田眞田廣田慶兄弟欲分財産
 堂前紫荊一株花葉茂盛夜議斫
 分爲三曉即憔悴眞乃嘆曰樹本
 同株聞分斫尚如此人何不如也兄
 弟由是不復分焉其花再發



   陸 績

孝悌皆天性 人間六歳兒 
袖中懷綠橘 遺母報含飴

 陸績字公紀年六歳於九江
 見袁術術出橘績懷三枚
 去拜墮地術曰陸郎作賓
 客而懷橘乎績跪答曰欲歸
 遺母術大奇之


  (注) 1.  上記の郭居敬撰『新刊全相二十四孝詩選』の本文は、 『龍谷大学電子図書館』の「貴重書画像データベース」にある、龍谷大学図書館所蔵の『新刊全相二十四孝詩選』(延平尤溪郭居敬撰)の画像に拠りました。ただし、文字だけを採り、挿絵の部分は省略してあります。 
 → 『龍谷大学電子図書館』「貴重書画像データベース」
 → 龍谷大学図書館所蔵 『二十四孝詩選』(『新刊全相二十四孝詩選』)      
   
    2.  「唐夫人」の本文に使用した「」の漢字は、島根県立大学の“e漢字”を使用させていただきました。                     
    3.  本文の改行は、原本の通りにしてあります。
 また、漢字は、原則として正字に直してあります。
  尭→堯、為→爲、髙→高、叓→事、帰→歸、弃→棄、参→參、祥→祥、継→繼、譛→譖、学→學、称→稱、児→兒、顕→顯、銭→錢、輙→輒、辞→辭、刘→劉、挙→擧、従→從、与→與、斉→齊、礼→禮、など。
   
    4.   平成14年度京都大学附属図書館公開展示会「學(まな)びの世界」のホームページによると、この龍谷大学本の『新刊全相二十四孝詩選』は、明の嘉靖25年(1546年)刊本の室町時代筆写本で、明の嘉靖刊本を挿絵まで含めて筆写したものだそうです。『二十四孝詩選』は、明代以降最も標準的となった二十四孝説話の形式を伝えており、日本にも南北朝後期から室町時代初頭までに到来し、「日記故事」と並んで大きな影響力を持った本だそうです。この龍谷大学本は、郭居敬原本に近い形を伝える貴重なテキストの一つとされているものだそうです。    
    5.  「日記故事」については、『国立国会図書館デジタルコレクション』に、明治14年1月に麟鳳堂から出版された『標註日記故事大全』(張瑞図・校、松山麻山・標註)が入っていて、画像で見ることができます。この最初に「二十四孝」が出ています。    
    6.   二十四孝(にじゅうしこう)=中国で、古今の孝子24人を選定したもの。元の郭居敬の説によれば、虞舜・漢文帝・曾參・閔損・仲由・董永・剡子・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁・老萊子・蔡順・黄香・姜詩・王褒・丁蘭・孟宗・黄庭堅。異説もある。(『広辞苑』第6版による。)    
    7.  上の「二十四孝詩選」に挙げてある24人と、注6の『広辞苑』に挙げてあるものとの違いは、「二十四孝詩選」の「張孝・張禮」「田眞(・田廣・田慶)」が、『広辞苑』では、「仲由」「江革」になっているところです。同じ郭居敬選でも、本によって人物が異なるのでしょうか。                    
    8.  元・龍谷大学教授で仏教学者の禿氏祐祥(とくし・ゆうしょう)博士の解説がついた、龍谷大学図書館所蔵『新刊全相二十四孝詩選』の影印による複製本が、昭和21年に大阪の全国書房から出ているそうです。
 → 『二十四孝詩選』(解説共)・禿氏祐祥編
   
    9.  京都大学貴重資料デジタルアーカイブで、『廿四孝傳幷賛』(二十四孝伝幷賛)が画像で見られます。     
    10.  資料378に「二十四孝」(有朋堂文庫『御伽草紙』より)があります。     
    11.   フリー百科事典『ウィキペディア』「二十四孝」の項があります。    






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