田をふかくよく耕してやしなへはいのらすとても米やみのらん
み吉野の花も盛りはかきりありあらしをまたて散るそかなしき
日々日々につもるこゝろのちりあくたあらひなかして我をたつねん
世の中は捨あしろ木の丈くらへそれこれともになかし短し
孝行は誰しらすともおのつから四方の國々みな服すらむ
田の草はあるしの心次第にて米ともなれは荒地ともなる
くもらねはたか見てもよし冨士の山むまれ姿て幾世ふるとも
もろともに無事をそ願ふ年ことにたねかすさとの賤女しつの男
西にせよ東にもせよ春かせのさそふかたへとなひくくさくさ
にしにせよひかしにもせよ秋風のさそふかたへとなひく草々
西にせよ東にもせよふくかせのさそふかたへと靡くくさくさ
音もなく香もなく常に天地は一切經をくりかへしつゝ
見渡せは遠き近きはなかりけりおのれおのれか住處にそある
みわたせは西もひかしもなかりけりおのれおのれかすみ處にそある
常に行道たにさらにわかたなむつもれは雪もくろく見ゆらん
あゝあゝと往來の人のおのつから足のとゝまる花の山かな
春の野にめたつ草木をよく見れはさりぬる秋に實のるくさくさ
きのふけふあすと浮世の丸木はしよくふみしめてわたれ旅人
百草の根も木も枝も花も葉も種よりいてゝたねとなるまて
種と木と枝と花實をよく見れは松も柏もあからさまなり
身をつとめ分をおのおの讓りなは本かたまりて邦の安さよ
夕立と姿をかへて山里をめくむなさけのはけしかりける
我をすて浮世とともにたのしめは月日の數もしらぬなりけり
豐芦のふか野か原を田となして米をつくりて食ふたのしさ
田を作り食をもとめて施せは命あるものみな服すらむ
田をひらき米を作りて讓りなは幾世へるともこれにとゝまる
蒔植て時々に芸り耕せはしたいしたいにたのしかるらん
姿こそ深山かくれに苔むせと谷うち越て見ゆるさくら木
いにしへのしろきを思ひ洗濯のかへすかへすもかへすかへすも
春は花秋は紅葉とゆめうつゝ寐てもさめてもあり明の月
天地の和して一りん福壽草さくやこのはな幾世經るとも
おのか子を惠むこゝろを法とせは學はすとても道にいたらむ
掃捨るちりたに積はおのつから竹の子等まてみなふとるらん
増減は器かたむく水と見よあちらまされはこちら減るなり
聲もなく臭もなく常に天地はいつさい經をくり返しつゝ
米まけは米草生へて米のはなさきつゝ米の實のる世の中
まく米とおひたつ米はことなれと實のれはもとの米となりぬる
こめ草は根も米なれは種もこめえたも葉も米はなも實も米
秋くれは山田の稻を鳥と猿猪とよる昼あらそひにけり
こめの實はまた來る年も米はへて老まかるとも米はこめなり
去年の實はことしの種となりにけり今年の實のり來る年のたね
故道に積る木の葉をかきわけて天照神の足あとを見む
手もあしもころもにつゝみあなに居てさせんする間にはしる世の中
世をのかれ子供こゝろに立もとり食をもとめて喰ふのみなり
種まけはすゝめからすかほり散しおそれ氣もなく聲の高さよ
奧山は冬氣にとして雪ふれとほころひにけり前の川柳
春植て秋の實のりをねかふ身は幾世經るとも安さ樂しさ
さけは散る散れはまた咲年毎に詠めつきせぬ花の色々
蒔けは生え植れは育つ天地のあはれ惠みのかきりなき世そ
來る年も貴賤老若へたてなく詠にあかぬよしの山かな
寺々の鐘撞く僧のおきふしはしらてしりなん四方の里人
身を捨てこゝをせんとゝつとむれは月日の數もしらて年經む
山寺の鐘つく僧は見えねとも四方の里人ときをしりなん
百石の夫食となるも味も香も草より出來て草となるまて
丹誠はたれしらすともおのつから秋の實のりのまさる年々
身を捨てこゝをせんとゝつとむれは貧しき事も知らてとし經む
受得たる德をおのおの讓りなは四海のあいた父子のしたしみ
生しにと世のはかなさをよく見れは氷と水と名のみかはりて
蔦かつら深き山路の谷こえてはな咲きならふ春の惠みに
春秋もふゆも我身の宿ならてゆきゝの人の旅宿なりけり
秋冬もなつも草木の宿ならて生して滅す旅宿なりけり
勤むへき事も思はすうたひまひ遊ひすゝめは不忠なるらむ
遊ふへき時も忘れてくるしみて勤めすゝめは至忠なるらむ
勤むへき事を彼これしりそけて遊ひすこせは不孝なるらん
遊ふへき時も忘れて入つ出つ勤めつくせは至孝なるらん
勤むへき業も思はす食ひのみ遊ひすこせはくるしかるらん
遊ふへき時もわすれて夜昼と勤めつくせは樂しかるらん
春植て秋の實のりをねかふ身は寐てもさめても安さ樂しさ
むかしより人のすてさるなきものをひろひあつめて民にあたへん
めしと汁木綿着物は身をたすくその餘は我をせむるのみなり
はらくちく食ふてつきひくあまかゝも佛にまさるさとりなりけり
天地のもしりつきせぬ貢繩たゝなかゝれとねかふこの身は
あるなきはうては響の音ならんうたねはたえてあるやなきやは
今日今日を暮るとしらてねむる身はあくる日ことに樂しかりける
山々のこけあつまりし瀧川のなかれつきせぬ音そ樂しき
世の常になけき悦ふみなもとは氷と水と名のみかはりて
天つ日のめくみ積おく無尽藏鍬て掘り出せ鎌てかりとれ
世を捨てやまを住處と樂しめは月日のたつもしらぬなりけり
餌運ふ親のなさけの羽音には眼を明ぬ子の口をみなあく
はつかしや治まる御代にめくりあひ德を報ゆる道の見えねは
昔し蒔く木の實大樹になりにける今まくこの實後は大樹よ
天地は君と親とのめくみにて身をやすらわん德を報へや
去年の不足ことしのかりに成ぬれは今年の不足來る年の貧
不足とは何をいふらん何事もうつはるありて物のなきなり
われといふその源をたつぬれは喰ふときるとのふたつなりけり
忘るなよ天地の惠み親と主吾と妻子をひと日なりとも
わするなよ田畑木こり場家やしきくふときるとはひと日なりとも
喰へはへり減れはまた喰せからしやなかきたもちのなきそこの身は
生死とはうてはひゝくの音ならんしすれはたへてありやなきやを
己か身は有無のみやこの渡し舟行も歸るも風にまかせて
仮の身を元のあるしに貸し渡せ民やすかれと守るやしろに
世の中は草木もおなし生如來死して命のありかをそしれ
父母もそのちゝはゝも吾身なりわれを愛して我を敬せよ
忘るなよ春は耕したねかして夏は芸りあきは纏ひを
桃さくら八重山吹に勝るらんたゝたのもしき稻の花なみ
月かけのへたつる里はあらねとも時雨ぬる夜は暗く見るらむ
きのふより散らぬあしたのなつかしや元の父はゝましませはこそ
壤を親とたのみし松茸は古郷なとかたつね問みむ
戀しやとおもふ姿をさとりなは生れぬさきの我身なりける
はや起に勝る勤めのなかりけり夢てこの世をくらす身なれは
蒔麥と生たつさまはことなれとみのれは元のむきとなりぬる
松の實はまた來る年も松はへて老まかるともまつは松なり
梅の木は根も梅なれは種も梅枝も葉も梅はなも實もむめ
蒔たねのすくにそのまゝ生立て花と見るまに實のり種々
花さけは貴賤老若へたてなく詠めにあかぬみよし野のさと
丹精は誰しらすともおのつからはなにありけるきくの宿人
古しへは草木も人もなかりけむたかまの原に神いますらん
そのむかし國の名もなし國のくに世は代の世なり人の代はなし
たすくれとまた飛入て身をこかす火をとるむしのひとつおもひに
まよはねは行暮ましを旅人のおのか宿りを人にたつねて
苦と樂の花さく木々をおもひやれこゝろの植し實のはへてけり
よしあしの種まくほとは見ひねとも春たつ野邊にこゝろせよ人
さりとてはよきもあしきも心から瓜のつるにはなすひならしな
瓜まくと茄子蒔とのあらそひは實のりし時の秋にそありける
月今宵草木もともに光りけんさきもからすも住處住處に
わするなよ唐天竺の人とても我身を惠むこの日のもとを
植て咲ものとはしらて子こゝろに花をあらそひ根をこくそうき
十月風に吹き殘されし栢葉は春の嵐をいかてしのかむ
躰と氣は曇れはかけのうつるらんくもらぬ影はなきやあるかな
壽と我は水と魚とにことならす壽命は水よ我は魚なり
生滅は打てはひゝくの音ならんうたねは音のなきや有かな
冬春も秋も草木の宿ならて生して老ゆる旅宿なりけり
根と草の和して一粒米のたねはへよこの種幾代經るとも
忘るなよなにはさて置御代にすむ德を報ゆる事のひとつは
己か身はいかなるものとたつぬれは火水と食と三ッくれの繩
花に風道も小道もわかたなん花の山路の春の夕くれ
常に行野邊たに今朝は白雪のつもれは道もわかたさらなん
きのふまて喰ふ御恩はわするとも今日喰ふ事はわすれさりける
世の中は深き淵瀬の丸木はしふみはつさしとわたれ旅人
蒔は生へ花は木の實とおのつからかきりなきこそ樂しかるらむ
世の中は捨網代木の尺そろひとれこれなくて長し短かし
あめかしたに住るこの身は羽も毛もなくてぬれさる德を報ひん
蒔は生へ花は菓となりにけり限りなき世は樂しかるらむ
きのふよりけふを明日へと旅人の橋ともしらてわたる世の中
手もあしも衣につゝむ祖師達の坐せんする間も老る世の中
松に聲風にひゝきはあらねともさてさはかしき麓なりけり
恐るへし足るにまかせて事たらす德を報ゆるこゝろなけれは
うらとめて幹にあめ露しみつらん吹かぬ嵐に根かへりのまつ
右にもつ箸に心を入れてみよ左りの酒かやむかつのるか
垣こえて麥くひあらす猪鹿は山は住處よ畑はふるさと
菜か芥子か蒔つる手元わかたねと花咲ときはあからさまなり
菜か芥子か蒔おく秋はわかたねと花さくはるは見ゆる種々
何事も己かあゆみに似たりけり左りすゝめは右りとゝまる
何事も己かあゆみに似たりけり右ふみしめて左りゆくなり
天地や無言の經をくりかへす
馳馬に鞭打いつる田植かな
世の中の善惡をは聞す山さくら
明月や烏はからす鷺はさき
あらし吹や烏の中の鷺ましり
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(注) |
1. |
上記の二宮尊徳『道歌集』は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の『道歌集』(興復社蔵版、明治30年6月10日・二宮尊親編輯・発行、発売所:有隣堂)に拠りました。
ただし、歌の部分だけを採り、序と、歌の前に置かれている漢文や漢字の語句はこれを省略しました。歌は上下二句に分けて二行に書いてありますが、ここでは一行にしてあります。
なお、最後に、5句の俳句が載せてあります。
『国立国会図書館デジタルコレクション』
→ 『道歌集』 |
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2. |
歌の本文に用いられている変体仮名及び片仮名の「ハ」は、すべて普通の平仮名に直してあります。
また、平仮名の「く」を縦に伸ばしたような形の繰り返し符号は、元の文字を繰り返して表記してあります(「くさくさ」「おのおの」「したいしたい」「かへすかへす」など)。ただ、漢字一字に用いられている場合は、「々」に置き換えてあります(「色々」「寺々」「年々」など)。 |
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3. |
原文には濁点が用いてありませんので、ここでも濁点を付けずに掲げました。 |
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4. |
変体仮名を読み誤っている個所があるかもしれませんので、お気づきの点がありましたらお教えいただければ幸いです。
なお、最後に掲げてある俳句の「明月や烏はからす鷺はさき」「あらし吹や烏の中の鷺ましり」の「烏」は、「鳫」(「雁」の異体字)と書いてあるように見えますが、他の本に従って「烏」としてあります。 |
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5. |
道歌(どうか)=道徳・訓誡の意を、わかりやすく詠んだ短歌。仏教や心学の精神を詠んだ教訓歌。(『広辞苑』第6版による。) |
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6. |
この「二宮尊徳『道歌集』」の歌を引用者が普通の表記に書き改めたものが、資料398にあります。
→ 資料398 二宮尊徳『道歌集』(その2) |
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