桃應問曰、舜爲天子、皐陶爲士、瞽瞍殺人、則如之何。孟子曰、執之而已矣。然則舜不禁與。曰、夫舜惡得而禁之。夫有所受之也。然則舜如之何。曰、舜視棄天下、猶棄敝蹤也。竊負而逃、遵海濱而處、終身訢然、樂而忘天下。 | |||
桃応(たうおう)問うて曰(いは)く、「舜、天子と為(な)り、皐陶(かうえう)、士と為(な)り、瞽瞍(こそう)、人を殺さば、則(すなは)ち之(これ)を如何(いかん)せん」と。孟子曰く、「之(これ)を執(とら)へんのみ」と。「然(しか)らば則ち舜は禁ぜざるか」と。曰く、「夫(そ)れ舜は悪(いづく)んぞ得て之を禁ぜん。夫れ之を受くる所有るなり」と。「然(しか)らば則ち舜は之を如何せん」と。曰く、「舜は天下を棄つるを視ること、猶(な)ほ敝蹤(へいし)を棄つるがごときなり。窃(ひそ)かに負(お)うて逃(のが)れ、、海浜(かいひん)に遵(したが)ひて処(を)り、終身訢然(きんぜん)として、楽しんで天下を忘れん」と。 |
(注) | 1. |
上記の「桃応問曰」(『孟子』尽心章句上より)の本文は、新釈漢文大系4の『孟子』
(内野熊一郎著、明治書院・昭和37年6月15日初版発行)によりました。 「桃応問曰」という見出しは、引用者が仮につけたものです。 |
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2. | 新釈漢文大系の本文から、返り点を省略してあります。 | ||||
3. | 新釈漢文大系の語釈を、いくつか引かせていただきます。他の辞書から引いた語釈もあります。 〇桃應(とうおう)……孟子の弟子(趙岐・朱子)。 〇皐陶(こうよう)……舜の臣の名。法律・刑罰を制定したという。この場合、「陶」の読みは「よう」。 〇士……ここは、刑獄を司る官(司法官)をさす。 〇瞽瞍(こそう)……舜の父の名。盲人だったからとも、また、目は見えても愚かで道理に暗かったからともいう。瞽叟とも書く。 〇惡得而禁之……どうしてこれを禁ずることができようか(禁ずることはできない)。 〇夫有所受之也……そもそも、国家の大法はこれを前から伝受するところがあって、勝手に動かすことはできない。(「夫」を履軒は「かれ」と訓じて皐陶を指すものと解しているが、それでもよい。) 〇敝蹤(へいし)……破れ草履。 〇訢然(きんぜん)……「欣然」と同じで、よろこぶ形容。 |
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4. |
著者の内野熊一郎氏は、新釈漢文大系の「余説」に次のように書いておられます。 公法的には、「大義親を滅す。」とも言われるが、孝道のためには、天位・天下をさえ捨てて、親を救って逃遁することを、説いたもの。論語にも、直躬は父のために隠した話があり、「直その中に在り」と、孔子は断ずるのである。儒家の親親主義は、歴代─清朝法典にまでも及んで、子が親の罪を立証して、却って子が罪せられる規定も存したほどである。思想そのものとしては、批判される余地はあろうが、孟子の孝道観には、これを是認しているのである。(473頁) 引用者注: 親親主義の「親親(しんしん)」とは、親・兄弟など身近な血縁関係にある者をしたしく愛する意。 |
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5. | 資料368に「吾党有直躬者」(『論語』子路第十三より)」があります。 | ||||
6. | この話に関連して、資料367「三浦梅園『理屈と道理との弁』(『梅園叢書』より)」があります。 |