資料362 「松阪の一夜」(『尋常小学国語読本 巻十一』所収) 



       松阪の一夜  『尋常小学国語読本 巻十一』所収


     第十七課 松阪の一夜

本居宣長(のりなが)は伊勢(いせ)の國松阪の人である。若い頃から讀書がすきで、將來學問を以て身を立てたいと、一心に勉強してゐた。
或夏の半ば、宣長はかねて買ひつけの古本屋に行くと、主人は愛想よく迎へて、
「どうも殘念なことでした。あなたがよく會ひたいと御話しになる江戸の賀茂眞淵(かもまぶち)先生が、先程御見えになりました。」
といふ。あまり思ひがけない言葉に宣長は驚いて、
「先生がどうしてこちらへ。」
「何でも山城・大和(やまと)方面の御旅行がすんで、これから參宮をなさるのださうです。あの新上屋(しんじやうや)に御泊りになつて、さつき御出かけの途中『何か珍しい本はないか。』と、御立寄り下さいました。」
「それは惜しいことをした。どうかして御目にかゝりたいものだが。」
「後を追つて御いでになつたら、大てい追ひつけませう。」
宣長は、大急ぎで眞淵の樣子を聞きとつて、後を追つたが、松阪の町はづれまで行つても、それらしい人は見えない。次の宿のさきまで行つてみたが、やはり追ひつけなかつた。宣長は力を落して、すごすごともどつて來た。さうして新上屋の主人に、萬一御歸りに又泊られることがあつたら、すぐ知らせてもらひたいと頼んでおいた。
望がかなつて宣長が眞淵を新上屋の一室に訪ふことが出來たのは、それから數日の後であつた。二人はほの暗い行燈(あんどん)のもとで對坐した。眞淵はもう七十歳に近く、いろいろりつぱな著書もあつて、天下に聞えた老大家。宣長はまだ三十歳餘り、温和なひとゝなりのうちに、どことなく才氣のひらめいてゐる篤(とく)學の壯年。年こそちがへ、二人は同じ學問の道をたどつてゐるのである。だんだん話してゐるうちに、眞淵は宣長の學識の尋常でないことをさとつて、非常にたのもしく思つた。話が古事記のことに及ぶと、宣長は
「私はかねがね古事記を研究したいと思つてをります。それについて何か御注意下さることはございますまいか。」
「それはよいところに氣がつきました。私も實は我が國の古代精神を知りたいといふ希望から、古事記を研究しようとしたが、どうも古い言葉がよくわからないと十分なことは出來ない。古い言葉を調べるのに一番よいのは萬葉集です。そこで先づ順序(じよ)として萬葉集の研究を始めたところが、何時の間にか年をとつてしまつて、古事記に手を延ばすことが出來なくなりました。あなたはまだお若いから、しつかり努力なさつたら、きつと此の研究を大成することが出來ませう。たゞ注意しなければならないのは、順序正しく進むといふことです。これは學問の研究には特に必要ですから、先づ土臺を作つて、それから一歩一歩高く登り、最後の目的に達するやうになさい。」
夏の夜は更けやすい。家々の戸はもう皆とざされてゐる。老學者の言に深く感激した宣長は、未來の希望に胸ををどらせながら、ひつそりした町すぢを我が家へ向つた。
其の後宣長は絶えず文通して眞淵の敎を受け、師弟の關係は日一日と親密の度を加へたが、面會の機會は松阪の一夜以後とうとう來なかつた。
宣長は眞淵の志をうけつぎ、三十五年の間努力に努力を續けて、遂に古事記の研究を大成した。有名な古事記傳といふ大著述は此の研究の結果で、我が國文學の上に不滅の光を放つてゐる。  

     「松阪の一夜」(『尋常小学国語読本 巻十一』教科書挿絵・本居宣長)  「松阪の一夜」(『尋常小学国語読本 巻十一』教科書挿絵・賀茂真淵)  
          「松阪の一夜」 教科書の挿絵・本居宣長(左)と賀茂真淵(右)


  (注) 1.  上記の「松阪の一夜」の本文は、『尋常小学国語読本 巻十一』(文部省、昭和4年11月7日修正発行・昭和4年11月30日翻刻発行、発行所・日本書籍株式会社)の、(社)社会科学研究所出版部の復刻版(昭和57年2月11日再発行)によりました。(「大正7年発行の原版を再発行したものである」と付記があります。)
 なお、この文章は『初等科修身 四』(昭和17年2月21日、文部省発行)にも掲載されていますが(十一 「松阪の一夜」)、読点の打ち方や、漢字の当て方、一部の表現などに違いが見られます。(「松阪の一夜」の『尋常小学国語読本』への最初の掲載は、大正4年。)
 『尋常小学国語読本』巻十一(昭和4年版)と『初等科修身 四』(昭和18年版)との主な違いが、資料361 「松阪の一夜」(『初等科修身四』所収)注9にあります。
   
    2.   本文中の、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります。(「すごすご」「いろいろ」「だんだん」「かねがね」「とうとう」)     
    3.  本居宣長が松阪で賀茂真淵に会ったのは、宝暦13年(1763年)5月25日のことでした。       
    4.   『本居宣長記念館』のホームページに、「教科書に載った「松坂の一夜」」という解説文があります。この解説に、「松阪の一夜」の「原作は佐佐木信綱」とあります。    
    5. 佐佐木信綱の「松坂の一夜」を、『本居宣長記念館』のホームページで読むことができます。
 『本居宣長記念館』
  → 「佐佐木信綱の「松坂の一夜」資料」
 佐佐木信綱の「松坂の一夜」は、『賀茂真淵と本居宣長』(大正6年4月10日、広文堂書店発行)、『〔増訂〕賀茂真淵と本居宣長』(昭和10年1月10日、湯川弘文社発行)に掲載されています。    
   
    6.  「松阪の一夜」という題名の読みについて。
 私は今まで「松阪の一夜」を「まつざかのいちや」と読んでいましたが、気がついてみると、「松阪」は「まつさか」と読むのが正しいようですから、「まつさかのいちや」と清音に読むべきである(文中の「松阪」も同じ)と思われます。蛇足ながら、一言付け足しておきます。
 また、「一夜」の読みについて、『本居宣長記念館』のホームページに「いちやかひとよか」の項があり、「ひとよ」であろう、と言っています。「ひとよ」と読んだほうがいいのでしょうか。 
   
    7.  〇本居宣長(もとおり・のりなが)=江戸中期の国学者。国学四大人の一人。号は鈴屋(すずのや)など。小津定利の子。伊勢松坂の人。京に上って医学修業のかたわら源氏物語などを研究。賀茂真淵に入門して古道研究を志し、三十余年を費やして大著「古事記伝」を完成。儒仏を排して古道に帰るべきを説き、また、「もののあはれ」の文学評論を展開、「てにをは」・活用などの研究において一時期を画した。著「源氏物語玉の小櫛」「古今集遠鏡」「てにをは紐鏡」「詞の玉緒」「石上私淑言(いそのかみささめごと)」「直毘霊(なおびのみたま)」「玉勝間」「うひ山ぶみ」「馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)」「玉くしげ」など。(1730─1801)
 引用者注:国学四大人(こくがく・しうし、こくがく・したいじん)=荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤の4人の国学者をいう。「四大人」の読みは、「しうし」が本来の読みなのでしょうか?
 〇賀茂真淵(かも・の・まぶち)=江戸中期の国学者・歌人。岡部氏。号は県居(あがたい)。遠江岡部郷の人。荷田春満(かだのあずままろ)に学び、江戸に出て諸生を教授。古典の研究、古道の復興、古代歌調の復活に没頭。田安宗武に仕えて国学の師。本居宣長・荒木田久老・加藤千蔭・村田春海・楫取魚彦(かとりなひこ)らはその門人。著「万葉集考」「歌意考」「冠辞考」「国歌論臆説」「語意考」「国意考」「古今和歌集打聴」など。(1697─1769)  
 引用者注:  賀茂真淵は、教科書では「かも・まぶち」と、「の」を入れずに読んでいます。普通は「かも・の・まぶち」と、「の」を入れて読んでいますが、『YAHOO!百科事典』では、「かも・まぶち」と「の」を入れずに読ませています。氏・姓の場合は「の」を入れて読み、苗字の場合は「の」を入れない、ということからすると、「生家の岡部氏は京都の賀茂神社の神官の家柄の末流で、その系譜に誇りを持つ真淵は賀茂氏を称した」(平凡社『国民百科事典 3』1976年)そうなので、「かも・の・まぶち」と「の」を入れて読むのがよいようです。また、著書の「万葉集考」は、「万葉考」の別名です。    
 〇まつさか(松阪・松坂)=三重県中部の市。もと古田氏5万5千石の城下町。のち紀州藩の別府。伊勢商人の輩出地。本居宣長の生地。人口16万9千。    
 (引用者注:現在の市名は、松阪市(まつさか・し))(以上、『広辞苑』第6版による。)

 〇賀茂真淵(かものまぶち)=(1697-1769)江戸中期の国学者・歌人。本姓、岡部。号、県居(あがたい)。遠江(とおとうみ)の人。荷田春満(かだのあずままろ)に学び、のち田安宗武に仕えた。万葉集を中心に古典を広く研究し、純粋な古代精神(古道)の復活を説いた。門下に本居宣長・村田春海・加藤千蔭・荒木田久老・楫取魚彦(かとりなひこ)らがいる。著「万葉考」「歌意考」「国意考」「冠辞考」「祝詞考」など。(三省堂『大辞林』による。)    
   
    8.  本居宣長記念館のホームページに、詳しい「本居宣長年譜」があります(「年度索引」)。     
    9.   フリー百科事典『ウィキペディア』「本居宣長」の項があります。    
    10.  資料361 に 「松阪の一夜」(『初等科修身四』所収)があります。
 なお、『尋常小学国語読本』巻十一(昭和4年版)と『初等科修身 四』(昭和18年版)との主な違いが、資料361 「松阪の一夜」(『初等科修身四』所収)注9にあります。
   







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