(注) | 1. |
上記の「松阪の一夜」の本文は、『初等科修身 四』(文部省、昭和18年1月15日発行・昭和18年2月20日翻刻発行、発行所・日本書籍株式会社)の、ほるぷ出版の復刻版(昭和57年2月1日刊)によりました。(「松阪の一夜」が『初等科修身 四』に載ったのは、昭和17年2月21日発行が最初。) なお、この文章は、『尋常小学国語読本』巻十一(文部省発行)にも掲載されていますが(第十七課 松阪の一夜)、読点の打ち方や、漢字の当て方、一部の表現などに違いが見られます。(「松阪の一夜」の『尋常小学国語読本』への最初の掲載は、大正4年。) 『初等科修身 四』(昭和18年版)と 『尋常小学国語読本』巻十一(昭和4年版)との主な違いを、注9にあげておきます。 |
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2. | 本居宣長が松阪で賀茂真淵に会ったのは、宝暦13年(1763年)5月25日のことでした。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3. | 『本居宣長記念館』のホームページに、「教科書に載った「松坂の一夜」」という解説文があります。この解説に、「松阪の一夜」の「原作は佐佐木信綱」とあります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4. |
佐佐木信綱の「松坂の一夜」を、『本居宣長記念館』のホームページで読むことができます。 『本居宣長記念館』 → 「佐佐木信綱の「松坂の一夜」資料」 佐佐木信綱の「松坂の一夜」は、『賀茂真淵と本居宣長』(大正6年4月10日、広文堂書店発行)、『〔増訂〕賀茂真淵と本居宣長』(昭和10年1月10日、湯川弘文社発行)に掲載されています。 |
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5. | 「松阪の一夜」という題名の読みについて。 私は今まで「松阪の一夜」を「まつざかのいちや」と読んでいましたが、気がついてみると、「松阪」は「まつさか」と読むのが正しいようですから、「まつさかのいちや」と清音に読むべきである(文中の「松阪」も同じ)と思われます。蛇足ながら、一言付け足しておきます。 また、「一夜」の読みについて、『本居宣長記念館』のホームページに「いちやかひとよか」の項があり、「ひとよ」であろう、と言っています。「ひとよ」と読んだほうがいいのでしょうか。 |
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6. |
〇本居宣長(もとおり・のりなが)=江戸中期の国学者。国学四大人の一人。号は鈴屋(すずのや)など。小津定利の子。伊勢松坂の人。京に上って医学修業のかたわら源氏物語などを研究。賀茂真淵に入門して古道研究を志し、三十余年を費やして大著「古事記伝」を完成。儒仏を排して古道に帰るべきを説き、また、「もののあはれ」の文学評論を展開、「てにをは」・活用などの研究において一時期を画した。著「源氏物語玉の小櫛」「古今集遠鏡」「てにをは紐鏡」「詞の玉緒」「石上私淑言(いそのかみささめごと)」「直毘霊(なおびのみたま)」「玉勝間」「うひ山ぶみ」「馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)」「玉くしげ」など。(1730─1801) 引用者注:国学四大人(こくがく・しうし、こくがく・したいじん)=荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤の4人の国学者をいう。「四大人」の読みは、「しうし」が本来の読みなのでしょうか? 〇賀茂真淵(かも・の・まぶち)=江戸中期の国学者・歌人。岡部氏。号は県居(あがたい)。遠江岡部郷の人。荷田春満(かだのあずままろ)に学び、江戸に出て諸生を教授。古典の研究、古道の復興、古代歌調の復活に没頭。田安宗武に仕えて国学の師。本居宣長・荒木田久老・加藤千蔭・村田春海・楫取魚彦(かとりなひこ)らはその門人。著「万葉集考」「歌意考」「冠辞考」「国歌論臆説」「語意考」「国意考」「古今和歌集打聴」など。(1697─1769) 引用者注: 賀茂真淵は、教科書では「かもまぶち」と、「の」を入れずに読んでいます。普通は「かものまぶち」と、「の」を入れて読んでいますが、『YAHOO!百科事典』では、「かもまぶち」と「の」を入れずに読ませています。氏・姓の場合は「の」を入れて読み、苗字の場合は「の」を入れない、ということからすると、「生家の岡部氏は京都の賀茂神社の神官の家柄の末流で、その系譜に誇りを持つ真淵は賀茂氏を称した」(平凡社『国民百科事典 3』1976年)そうなので、「かものまぶち」と「の」を入れて読むのがよいようです。また、著書の「万葉集考」は、「万葉考」の別名です。 〇まつさか(松阪・松坂)=三重県中部の市。もと古田氏5万5千石の城下町。のち紀州藩の別府。伊勢商人の輩出地。本居宣長の生地。人口16万9千。 (引用者注:現在の市名は、松阪市(まつさか・し))(以上、『広辞苑』第6版による。) 〇賀茂真淵(かものまぶち)=(1697-1769)江戸中期の国学者・歌人。本姓、岡部。号、県居(あがたい)。遠江(とおとうみ)の人。荷田春満(かだのあずままろ)に学び、のち田安宗武に仕えた。万葉集を中心に古典を広く研究し、純粋な古代精神(古道)の復活を説いた。門下に本居宣長・村田春海・加藤千蔭・荒木田久老・楫取魚彦(かとりなひこ)らがいる。著「万葉考」「歌意考」「国意考」「冠辞考」「祝詞考」など。(三省堂『大辞林』による。) |
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7. | 本居宣長記念館のホームページに、詳しい「本居宣長年譜」があります(「年度索引」)。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8. | フリー百科事典『ウィキペディア』に「本居宣長」の項があります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9. | 『初等科修身 四』(昭和18年版)と 『尋常小学国語読本』巻十一(昭和4年版)との主な違いを、次に挙げておきます。(読点の有無、漢字と仮名の違い、などには触れてありません。)
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10. | 資料362に「松阪の一夜」(『尋常小学国語読本 巻十一』所収)があります。 |