資料359 佐久間象山『省諐録』(原文・白文)  

     
  
    
 
      
省 諐 録               佐久間象山  

 

 

  象山平大星又名啓子明氏

 

 

嘉永甲寅夏四月大星以事下獄在繋七月省愆之餘弗無所述然獄中禁筆研不能存藁故久而多忘既出而録其所臆記藏諸巾笥以貽子孫如其擧以示衆則吾豈敢

 

所行之道可以自安所得之事可以自樂罪之有無在我而已由外至者豈足憂戚若以忠信受譴爲辱則不義而富且貴亦在其所榮耶
有人於此憂君父之
疾病而求之藥幸而得之且知其必有效也則不問其品之貴賤名之美惡必請之於君父矣君父惡其名而不許則多方謀之竊有進之乎抑亦座而俟其啓手足歟臣子至誠惻怛之情固不可座視其病患則雖知後逢其怒亦豈得不竊進之哉
人所不及知而我獨知之人所不及能而我獨能之是亦荷天之寵也荷天之寵如此而惟爲一身計不爲天下計則其負天也豈不亦大乎
自古懷忠被罪者何限吾無怨焉但猶可及爲之時而不爲將使病弊至於不可復救是則可悲已
縱予今日死天下後世當有公論予又何悔何恨
身雖在囹圄心無愧怍自覺方寸虚明不異平日人心之靈與天地上下同流夷狄患難累他不得亦可驗也惟北闈
年滿八十飲食座臥非予不安自予逮繋音問不通動靜不知其憂慮苦悶當如何哉一念及之尤難爲情然亦以理排遣不至累心
吾不履此境無此省覺經一跌長一知果非虚語
振拔特立可也激昂忿戻不可也
心戒走作
心曰秉曰操亦是時時提撕以理勝之之謂
吾雖久從事格物内而家庭外而郷黨親朋異時停調處置頗以爲當者徐而省之往往有大過不及不滿人意皆是工夫未熟人情世故未得通徹故也可不策勵哉
格物之於天地造化却易於人情世故却難吾人須不可狃其所易而倦其所難
行身規矩則不可不嚴此治已之方也治已即所以治人待人規矩則不可過嚴此安人之道也安人即所以自安
凡讀書須熟誦不然無甚受用予來此中書巻不得携與端居書室左右厨子所欲檢査輒隨手抽繹全然不同日日默念而因以爲藥石爲針砭者不過平素所精讀暗記者少時專務博渉多讀群書率皆若存若亡今欲記起而卒不能雖多亦奚以爲他日幸得放還當以諗後生旦以自警也
予自來此勉勵克治鍛錬身心未嘗虚度時日古人云儻間居眞不空過日月彼錮我者皆成我也旨哉
予雖門葉衰薄亦生長飽暖之中未經牢錬寒苦之境常恐一旦國家緩急起居飲食多所不勝然去夏彌利堅舶突至江都戒嚴予爲藩邸經理軍務不得睡者七晝夜精神倍奮今歳得罪下獄飯麁食齧鹽與重囚爲伍數旬恬然安之精神活潑身亦健康此二事少自試驗得益不細亦可謂天之賜矣
外邪襲人多在睡眠之時故中夜就寢不得熟眠爲令速寤常常係意在醒若支體有所不安或以手摩之或隨意轉側務令血氣無所停滯若咽喉不滑或運舌嚥津或深息閉氣少焉放之如是行之外邪亦侵不得
内定心志外運血氣晝節飲食夜少睡眠修養玅訣果無多子
聞關西地震勢賀之間更甚城垣衙署驛亭民屋傾塌無算樹木倒植井水乾涸人民壓死殆不知其數丁未信州地大震予在郷里親閲其變慘毒之劇所不忍言信中變後地下毎作雷聲時亦搖撼經久不止後七年有小田原之變又一年今復有關西之變甞記淸人雜書所載云其地常動至數年後有大震萬家樂土忽變蠶叢然則地震固有連數年者矣古來漢儒以地震爲蠻夷侵陵之兆占候之説洋學所不取雖然天人合應之理不可謂必無之丁未以來地震之變以時事驗之漢儒之言似不可誣今夷虜之志未知其所極則震之相連而尚有劇甚者亦不能無慮焉
君子有五樂而富貴不與焉一門知禮義骨肉無釁隙一樂也取予不苟廉潔自養内不愧於妻孥外不怍於衆民二樂也講明聖學心識大道隨時安義處險如夷三樂也生乎西人啓理窟之後而知古聖賢所未甞識之理四樂也東洋道德西洋藝術精粗不遺表裏兼該因以澤民物報國恩五樂也
抗孔聖浮雲之志養鄒叟浩然之氣寵辱不驚俛仰不怍究天地之際觀古今之變玩萬物之理稽人身之紀雖在困極樂亦有在焉饑而食渇而飲坐而思倦而睡逌然自得又不知身在圜牆之中矣
敏一字是爲學之法而爲治之要亦莫若焉天下可學可爲之務如此其廣如彼其大故學與治皆不可以不敏彼終身于學而空疎無用終身于官而因仍無功者坐其勤力不敏十常八九
孔子之聖猶且發憤忘食敏以求之何况吾輩
日晷一移千載無再來之今形神既離萬古無再生之我學藝事業豈可悠悠
射有禮射武射之別然其初也專爲防禦而設防禦之事葢男子立身第一義也故其生桑弧蓬矢以射天地四方然後敢用穀亦示第一義也自銃礮興弓矢長兵皆失其爲利男子生乎今之世不知銃礮其可乎於其初生亦宜以礮換弧矢發於上下四方以志於其所有事也
予久留意於海防其所發明自謂前人有未及者然卒由此取禍亦非常之原常人異焉耳
 君相如有省悟時則吾志之行必矣
凡學問必以積累非一朝一夕之所能通曉海防利害亦是一大學問自非講究有素者未易遽得其要領人雖提耳告之而不解葢亦由此
不令外夷開易侮之心是防禦之至要也邊海防堵皆不得其法所陳銃器皆不中其式所接官吏皆凡夫庸人胸無甲兵如此而欲無開夷人侮心寧可得乎
有敵國外患而託本根未固形勢未成進無果决之勇退持遷延之計者其所欲縻敵適足以啓敵而自縻其所欲緩冦適足以資冦而自緩其所欲從容補綴而全其捍禦之備者亦將徒爲文具而國家之勢愈至於不可支矣而古來當局者曾不深省誤家國天下如出一塗可勝歎哉
今之當將帥之任者非公侯貴人即膏梁氏族平日以飲酒歌舞爲娯不知兵謀師律爲何事一旦有國家之急誰能爲軍士之所服而遏敵人之衝突是今之深患也故予甞欲傚西洋武備之大略於天下兵藉外結故家世族忠勇剛毅一可當十者以爲義會一以保國護民爲志其初入會校試稽攷果不憚艱苦方始聽入焉推有韜畧謀猷統馭之才者爲之長遇警急之日則鳩集成師以待官之指揮庶乎攘冦植勳或居於在兵籍者之上也
欲戰必勝不守必固不可欲守必固不陣必定不可魏侯問陣必定之道呉子曰君能使賢者居上不肖者處下則陣已定矣今天下諸國賢者未必居上不肖者未必處下然則陣未定也陣未定而其守必固戰必勝者未之有也有志之主尚其知所警省哉
敎練不精賞罰不明又無能用之者縱有億萬之衆其於戰守所謂伏鷄乳犬如其貍與虎何哉
同力度德同德量義雖稱文王之美亦不過云大國畏其力小國懷其德無其力而能保其國者自古至今吾未之見也誰謂王者不尚力耶
不知彼不知己毎戰必敗固也然知彼知己在今時未可言戰悉善彼之所善而不喪己之所能然後始可以言戰
詳證術萬學之基本也泰西發明此術兵畧亦大進夐然與往時別所謂下學而上達也孫子兵法度量數稱勝亦其術也然漢與我有孫子以來莫不誦習而講説而其兵法依然如舊不得與泰西比肩是無他坐於無下學之功也今眞欲修飭武備非先興此學科不可
士大夫必有過人之膽量方能奪戎狄之氣而伸本國之威如郭汾陽之單騎見虜是矣必有過人之學問才辯而能屈戎狄之辭而存本國之體如富文忠之却獻納二字是矣今天朝縉紳數與夷使接者果有汾陽之膽量乎果有文忠之學問才辯乎吾竊危之
人不見其可畏則必慢易之一啓其慢易之心又何以能治之也故君子必臨之以莊正其衣冠尊其瞻視出辭氣斯遠鄙倍皆所以爲莊之方也今士大夫往往有擧措輕佻言辭鄙猥以自喜者其意葢謂不如是難以通人情而服人嗟乎通人情而服人者自有其道在焉今不以其道而露此醜態吾恐其欲服人者適足以導其慢易也
人譽己於己何加若因譽而自怠則反損人毀己於己何損若因毀而自強則反益
有人之過有事之過事之過未可以觀人人之過可以觀人
今之所謂儒者果何爲者耶本朝神聖造國之道堯舜三代帝王之治兼明而默識之乎禮樂刑政典章制度以至兵法師律械器之利講論而皆得其要乎土境之形勢海陸道路之險夷外蕃之情狀防戍之利害城堡堵堞控援之略推算重力幾何詳證之術並究而悉之乎吾未之知也然則今之所謂儒者果何爲者耶
讀書講學徒爲空言不及當世之務與淸談廢事一間耳
有之無所補無之無所損乃無用之學也有用之學譬如夏時之葛冬時之裘脱無爲之者則生民之用闕矣
帝王之政藏財於民有餘而取不足而與故不凍餒百姓而上獨富足亦不飽逸百姓而國獨貧寠故曰百姓足君孰與不足百姓不足君孰與足此天下古今不易之道也
本邦金貨米粟號爲富饒然疆域不大故以邦内所生之財享邦内所爲之用無甚有餘乃若海防之事則起于外者也置防堵數百所造大艦數百艘鑄巨礮數千門其費亦浩矣而皆非永存之物毎一二十年必待修繕改造况外之有應接給資之用内之有餉糧購賞之費凡如此之類將安取其給哉夫劣濟困窮之家多得賓客屢設宴饗則其資財空乏卒至於不可復繼也必矣今之時事何以異乎是然則其所以經理之者何術有志於經世者所宜先審計
予礮卦之著不但有益於武學生徒兼有裨於國家武備往日官阻其鐫版吾不知其何意
先公登相臺嗣管防海事時英夷寇淸國聲勢相逮予感慨時事上書陳策實天保壬寅十一月也後觀淸魏源聖武記亦感慨時事之所著而其書之序又作於是歳之七月則先予上書厪四月矣而其所論往往有不約而同者嗚乎予與魏各生異域不相識姓名感時著言同在是歳而其所見亦有闇合者一何奇也眞可謂海外同志矣但魏云自上世以來中國有海防而無海戰遂以堅壁淸野杜絶岸奸爲防海家法予則欲盛講礮艦之術而爲邀撃之計驅逐防截以制賊死命於外海是爲異耳
馭夷俗者莫如先知夷情知夷情者莫如先通夷語故通夷語者不惟爲知彼之楷梯亦是馭彼之先務也予竊深念頃年諸藩託事屢寄舶於相房間其情固爲難測因有纂輯皇國同文鑑若干巻以通歐羅諸國語之志而荷蘭久爲互市之國邦人亦多知讀其國書故欲先刊荷蘭部先是官有命凡刊行書籍必經官看詳迺嘉永己酉冬來江都呈稿本以請遷延彌年卒不得允其在江都日始獲魏氏之書而讀之亦欲内地設學專譯夷書夷史瞭悉敵情以補於駕馭是又其見之與予相符者第不識彼國今日能用其言否耳
海防之要在礮與艦而礮最居首魏氏海國圖識中輯銃礮之説類皆粗漏無稽如兒童戯嬉之爲凡事不自爲之而能得其要領者無之以魏之才識而是之不察當今之世身無礮學貽此謬妄反誤後生吾爲魏深惜之
去夏墨虜以兵艦四隻護送其國書抵浦賀澳其擧動詞氣殊極悖慢辱國體不細聞者莫不切齒時某人鎭浦賀屛氣負屈遂無能爲虜退後自抽小刀寸斷其所遺虜主畫像以洩怒昔宋曹瑋謫官陝西聞趙元昊爲人乃使善畫者圖其貌觀之知其英物必爲邊患欲預講邊備蒐閲人才後果如其言然則觀其肖影亦可以見其能否而資吾豫備矣某人知慮不及此毀而滅之可惜已嗚乎均夷人也均畫像也或無而求之或有而毀之其知之深淺謀之長短一何遠哉
今春墨虜之來官設便坐於横濱以爲應接之所命松城小倉二藩發兵以護衞之且令聽約束於接待官吏初吾公之受命也以爲眞備虜之不韙也乃發野戰礮二門牛角天礮三門銃卒百名刀槍士五十名以國老望月貫恕督之予參其軍議謂接待官吏知兵令吾與小倉一横一直以陣銃手可以逞威若其不知兵使相對而陣則銃不可用惟短兵利之與虜相接咫尺變起倉卒彼雖精銃技我以利兵乘之一薙可斫斷數頭乃別備長巻二十把以從吾兵至金川官吏使人謂曰大礮必寘前驛莫引入横濱地望月對曰吾藩奉命護衛應接之塲大礮所以備變寘之隔地變發非時難以應卒敢辭官吏曰今茲應接萬萬可保其無變不幸將有變即時發官丁搬運礮器决不令貴藩有缺乏今以大礮入横濱夷人或憚其守衞之嚴請移於他地官之累也望月不得已從之退曰官命使聽約束者幾是乎及相護衞之地官吏曰東起于海涘西行二百歩折而北行又如之是其所也予聞之驚駭詳其地南距應接便坐不下二百歩有民屋樹林在其間初在江戸竊意官吏雖不諳兵自有國體且得二藩兵當密圍繞便坐以嚴警禦不圖其區處之陋至斯也因建議曰大礮則官吏停之今所有者小銃而已小銃逞力非百歩内不可且銃卒不踰百名執短兵者不過五十名距夷虜集會之所遠陣於二百歩之外又散守三四百歩之間田不惟無益於警禦適足以導虜之侮慢去歳浦賀應接護衞無法夷虜嗤之邦人耻之而不少省悟今又爲此兒戯官吏不肖固不足道本藩武功盛名爲此輩壞隳豈可忍邪乃與望月謀使人謂之曰如公等所區處是非以我兵備於夷虜爲夷虜禁呵邦民耳禁呵邦民者固不可煩士大夫亦無用於兵器毎逕路出健兒一二名執靑竹杖誰何之足矣但江戸所受之命則不可以廢應接之日吾藩當別出士卒整陣於山間以備於非時之變耳此不敗公等之事又不墜吾職豈不亦兩得乎官吏復曰言皆當理然官發兩藩人士之事吾輩既告之夷人若不出其人設陣於隱僻之地夷人必疑吾有異志應接不諧是亦官之累也必曲從吾言如其布陣收散離合唯意所命吾輩不敢掣肘予與望月雖憤慍不樂亦無可奈何當日作一哨置之田畝間以塞其責嗚呼耗損國用勤勞士卒盡思慮計畫而同爲兒戯可付浩歎也已
二月廿日夜聞下田議略定翌朝早起詣望月曰下田本邦要地其形勢可比全世界之喜望峰夷虜僦之屯駐以爲巢穴其害不可言且大城在江戸而人口衆多米穀布帛皆資海運不幸有警海路格塞江戸首受其禍伊豆之爲州天城之險隔絶其中而下田在其南端一旦變起陸路出兵礮隊爲嶮所沮不可以行海路則我無堅艦他日縱得造作虜有海陸之形勝而我反喪之主客易位攻守殊勢非計也夫善制事者常令其利在我其害在彼今不得已而假敵人地宜爲他日計擇海陸得進兵之處竊覽横濱之地勢甚稱之且使虜舶常在此去江戸甚邇則人人甞膽坐薪之念自不能已警衞守禦之方亦自不得不嚴又親觀彼之所長可以速進我之智巧是其所以爲多利如退下田則人心必弛守衞必懈矣而虜舶迅速難以繋縻在横濱與在下田其爲江戸腹心之患則間不能以髮故吾謂不如以横濱假之之爲愈也是天下之大計也君總士卒在茲不可以默上書乞公有献策可也望月曰然然吾上書不如子之上言乃命予還江戸告之於公有沮者不果公許予自爲之於是竊有所建白又使門人長岡小林虎上書其主侯開陳大計又使之見阿部閣老所親幸爲論其利害欲得因時規諌有所挽回並皆不行小林生以此獲主侯之譴遂辭歸國 
曩予偕一二友生爲鎌倉之遊遂泛海過荒岬抵城島泊三崎歴松輪宿宮田次浦賀上猿嶼觀於金澤出本牧而還都其往來所由覩設防堵備海冦無慮十餘所而錯置皆不得法無一可當防截之選者至此不覺仰天浩歎擗胸流涕者久之夫江都天下之咽喉也富津洲觜雖穪曰天險海口猶濶非有戰艦水軍固難以遏敵人侵攘窺伺今是之不務設爲癡堵呆堞高掲之於海表此示我無謀於海外也頃年東西諸蕃寄舶遊偵豈不開輕我之心哉吏員庸流固不足讁其金鞍華韉綾衣肉食自謂高出等類者不知天下之大計糜國財用以爲此無益之務抑何歟有如虜舶馳突將何以折衝禦侮因欲上疏論海防利病冀以裨時政之萬一具草請之先公先公不許遂止是嘉永庚戌之首夏也後四年果墨亥之事起登時先公尼予上書者葢懼觸忤抵罪也其葢覆之仁亦大矣今日使先公在世知予拘囚則其爲憂勞又當何如
川路司農自大阪市尹轉任與聞防海事予舊有厚交因出擬上書舊稿示之極言近都防堵修築無法不適實用司農亦未甚信之及墨夷事興無一不如予嘗所論於是始深納予言一日謂予曰子欲有所言吾能達之於閣老予曰僕所欲言者爲君傾倒幾盡君能言之君能行之天下之福也僕但求天下之福耳上書釣名非其本心也及論選人材購船於海外之策司農有沮色予曰是當今先務之急而君猶牽掣故常不能發言他尚何望僕當上書以道之乃條疏急務十事因司農上之阿部閣老不報至吉田生獄起亦不少蒙明察故常之不易變時勢之不可明如此不知天下之大計將何日而能立也
江戸海口不可無礮臺予亦甞數數言之夫海口之防戰利在礮臺其形勢所缺不可不寘此以補焉然其得力之處全在別備礮艘相機策應故能得其要海中唯置一二區而足不必多築之荷蘭諳厄兒之策可據也如今所爲陸續相連是陸軍爲壘以自屛之法非海口以待洋冦之術也葢陸戰攻中寓守守中寓攻方其守也以壘自屛方其攻也出壘以衝其守與攻並係壘中之人故其人衆固不能不多其壘雖多其壘亦不相障礙如海口之戰則不然礮臺之兵不操礮艘礮艘之兵不在礮臺故礮臺不貴多而礮艘不厭多也葢礮臺多則兵分兵分則用士衆而左者不能拯右右者不能救左不幸賊船出于中間左右之臺相爲障礙不能用礮惡在其爲利也且礮艘匱乏進剿無術如賊連船於相房間以絶我海運何以却之當是時縱令内港有百礮臺亦屬無用雖欲無不戰而屈不可得也若乃多備礮艘訓練以時開戰策應無所不可足以讋服洋賊而制其死命又何苦而海中以此許多之礮臺爲哉多事之際其經費亦甚可惜矣某地縣令某氏小有才幹素無學問見西洋陸戰壘圖而不知其解杜撰牽合以成守海口策當道亦不深究之以爲是而施行予深識其非屢言之川路司農司農稍信然予言然而遂弗能救是亦可慨也
千羊之皮不如一狐之腋而千金之裘又非一狐之皮今欲爲千金之裘徴之屠羊之家而可乎
苟得其心五州之人皆可得而使也厚而利之導而舎之敵間之來間我者亦爲我用矣何况我民
予年二十以後乃知匹夫有繋一國三十以後乃知有繋天下四十以後乃知有繋五世界
  凡五十七條
 


 

   (注) 1.上記の『省諐録』(原文・白文)の本文は、 『国立国会図書館デジタルコレクション
       に収められている『象山全集 上巻・下巻』(信濃教育会編、尚文館・大正2年9月30
       日発行)によりました。『省諐録』は、上巻の本文の最初に載っています。
         
 『国立国会図書館デジタルコレクション』 (『象山全集 上巻』  92~122 / 689 )
        ただし、『象山全集』にある句点(。)を省略してあります。
                    『
省諐録』の「附録」(詩賦・和歌など)は、資料476として別に掲載してあります。(2014年
        1月19日)    
→ 資料476「省諐録」附録(原文・句点なし)
         なお、
句点のついた『省諐録』の本文が、資料358にあります。 
      2. 本文の誤植と思われる文字は、直してあります。
         凡學問必以積累……のところ。 「亦是一大學」→「亦是一大學
         不知彼不知己……のところ。   「而喪之所能」→「而喪之所能」
         士大夫必有過人之膽量……のところ。 「過人之學問才」→「過人之學問才」 

      3. 国立国会図書館蔵の明治4年版本『省諐録』には、勝海舟の次の「序」が掲載されてい
       ます。 
                   序

         花之先於春者爲殘霜所傷説之先於時者爲舊弊所厄雖然不有先者則後者何以警起
         乎餘親姻象山佐久間翁先唱開化日新之説於數年前終遭厄遭厄中筆數章題省諐録
         藏筐底男恪亦連累流離顚沛之間守此遺稿頃携來示余因助資上木嗚呼説之魁于衆
         者不免遭厄今世人若以此書爲平々無奇耶則余將曰子之見識至此者豈非遭厄者之
         賜耶
            明治四辛未晩冬
                                                 海舟勝義邦識
      4. 岩波書店刊の日本思想大系55『渡辺崋山 高野長英 佐久間象山 横井小楠 橋本左内』
       (1971年6月25日第1刷発行)の佐久間象山の校注者は植手通有氏で、そこに収録され

          
ている「省諐録(せいけんろく)」(安政元年稿)の頭注(238頁)に、「省諐録とは、あやまちをか
       えりみる記録という意味である。象山は吉田松陰の密航失敗事件に連坐して、安政元年
       (1854)4月より9月まで、江戸伝馬町の獄につながれていた。本書はその獄中での感懐
       を出獄後に筆録したものである。内容は多岐にわたるが、それまでの自己の思想と行動を
       ふりかえりながら、その道徳的および思想的正当性を主張することが、眼目となっている」
       とあります。
      5. 日本思想大系本の「省諐録」の底本は、「国立国会図書館蔵、明治4年版本」と、凡例に
       あります。また、「省諐録」の「附録」
(詩賦・和歌など)は紙幅の都合で割愛した」とあります。
        なお、日本思想大系本には、この原文(漢文)のほかに、普通の表記に書き改めた文章
        (書き下し文)が載っていて、そこには頭注も付いていますので、ご参照ください。
      6.  『省諐録』の「諐」(侃+言)は、「愆」
(音、けん。意味、あやまつ。あやまち。)の異体字と漢和
       辞典にあります。
      7. 佐久間象山(さくま・しょうざん)=(ショウザンは一説に、ゾウザンとも)
            幕末の思想家・兵学者。信州松代
(まつしろ)藩士。名は啓(ひらき)。通称、修理。象山は
            号。儒学を佐藤一斎に学び、また、蘭学・砲術に通じ、海防の急務を主張。1854年
            (安政1)門人吉田松陰の密航企画に連座し、幽閉。のち許され、64年(元治1)幕命
            によって上洛、攘夷派の浪士に暗殺された。著「海防八策」「省諐録
(せいけんろく)」など。
            (1811~1864)   (『広辞苑』第6版による。)
      8. 長野市のホームページに『象山記念館について』という紹介ページがあります。 「佐久間象山
       について」という紹介ページもあります。
        また、『真田宝物館』というサイトに、「象山記念館」のページがあります。     
      9. 「象山」の読みについて
        長野市松代町にある「象山神社」や「象山記念館」では、「象山」を「ぞうざん」と読んでいるよう
       ですが、日本思想大系『渡辺崋山 高野長英 佐久間象山 横井小楠 橋本左内』の巻末にある植
       手通有氏の解説「佐久間象山における儒学・武士精神・洋学
─横井小楠との比較において─」の「追
         
記」の中で、植手氏は「象山」は「しょうざん」と読むべきだろうとして、次のように書いておられます。

         
「佐久間象山の号を「しょうざん」と読むべきか「ぞうざん」と読むべきかについて、暫く前までは私は本巻に
         収録した「象山の説」を手掛りとして─今から考えると何ら明確な根拠もなかったのである が─いずれに読
         んでもよいという考えを持っており、1970年8月に松代を訪れた際にも、その旨を語った。しかし、その後(正
         確には1971年1月)大平喜間多著『佐久間象山逸話集』(信濃毎日新聞社、1933年)を手にするにいたっ
         て、どうしても「しょうざん」と読まなければならない、と信ずるようになった。(詳しくは同書、684~685頁を
         参照してください。)

         
岩波書店の『広辞苑』や三省堂の『大辞林』などは、見出しを「しょうざん」として、「ぞうざん
        とも」としてあります。
         『日本大百科全書(ニッポニカ)』の解説では、「しょうざん」として出ていて、解説の中
        で、「一般には「しょうざん」というが、地元の長野では「ぞうざん」ということが多い」
         してあります。
           参考:長野市教育委員会のホームページに「長野市文化財データベース」があり、そこのデジタル
              図鑑」の中に
「佐久間象山宅跡」があって、「佐久間象山」に「さくまぞうざん」とルビがふって
              あります。
      10. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「佐久間象山」の項があります。
      11. 国立国会図書館の『近代日本人の肖像』に、「佐久間象山」があり、写真と紹介文が
       あります。
      12.中央公論社の日本の名著30『佐久間象山 横井小楠』(昭和45年7月10日初版発行)に、
       『省諐録』の現代語訳(松浦玲氏訳)が出ています
(同書、89~110頁)。ただし、ここでも『省諐
         
録』の「附録」(詩賦・和歌など)は割愛されています。
      13. 長野市松代町にある『象山神社』
(ぞうざんじんじゃ)のホームページがあります。ここに「象山
       記念館」のページがあります。
(→TOPページの左側の「象山記念館」をクリック)
      14. 『松代文化財ボランティアの会』というホームページに、「佐久間象山、象山神社、象山記念
       館」の紹介ページがあります。
                 また、象山の漢詩を解説したPDF「象山先生と漢詩(一~十八)」(佐久間方三)もあります。
              → 「象山先生と漢詩(一)」
      15. 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、
大日本文庫 勤王篇 勤王志士遺文集 一』(渡辺
       世祐・校、昭和15年5月5日・大日本文庫刊行会刊)が収められており、その中に佐久間象山と
       吉田松陰の著作があって、そこに象山の『省諐録』の書き下し文があります。(松陰の『留魂録』
       の書き下し文もあります。)
                『省諐録』の書き下し文 ( 20~  46/287)
                『留魂録』の書き下し文 (187~192/287)       
                                                   
(平成25年4月1日付記)
      16. 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、『大日本思想全集 第17巻』吉田松陰集・佐久間
       
象山集附會澤正志・淺見綗齋(昭和7年12月16日・大日本思想全集刊行会発行)があって、
       そこに『省諐録』の現代語訳、会沢正志斎の『新論』の現代語訳があります。
               → 『大日本思想全集 第17巻』の『省諐録』
                                                   
(平成25年4月2日付記) 
      17. 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、岩波文庫の『省諐録』があります。

              → 岩波文庫の『省諐録』(飯島忠夫・訳註、岩波書店・昭和19年4月5日第1刷発行
                                                    (平成25年4月5日付記) 




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