資料34 司馬遷「報任少卿書」                                        




      
報任少卿書 (報任安書)  司 馬  遷 <『文選』による>
      
 (じんしょうけいにほうずるしょ)

 

太史公牛馬走司馬遷、再拝言、少卿足下、曩者辱賜書、敎以順於接物、推賢進士爲務。意氣懃懃懇懇、若望僕不相師、而用流俗人之言。僕非敢如此也。僕雖罷駑、亦嘗側聞長者之遺風矣。顧自以爲、身處穢、動而見尤、欲益反損。是以獨鬱悒而與誰語。諺曰、誰爲爲之、孰令聴之。蓋鍾子期死、伯牙終身不復鼓琴。何則士爲知己者用、女爲説己者容。若僕大質已虧缺矣。雖才懷隨和、行若由夷、終不可以爲榮、適足以見笑而自點耳。

 

 * 2行目「若望僕不相師、而用流俗人之言。」が、『漢書』では「若望僕不相師用而流俗人之言。」となっている。

 

書辭宜答、會東從上來、又迫賤事。相見日淺、卒卒無須臾之間、得竭志意。今少卿、抱不測之罪、渉旬月、迫季冬。僕又薄從上雍。恐卒然不可爲諱。是僕終己、不得舒憤懣、以曉左右、則長逝者魂魄、私恨無窮。請略陳固陋。闕然久不報、幸勿爲過。

 

 

 

僕聞之、脩身者智之符也。愛施者仁之端也。取與者義之表也。恥辱者勇之決也。立名者行之極也。士有此五者、然後可以託於世、而列於君子之林矣。 故禍莫 (1)於欲利、悲莫痛於傷心、行莫醜於辱先、詬莫大於宮刑。 刑餘之人、無所比數、非一世也。所從來遠矣。昔衛靈公、與雍渠同載、孔子適陳。商鞅因景監見、趙良寒心。同子參乘、袁絲變色。自古而恥之。夫以中才之人、事有關於宦豎、莫不傷氣。而況於慷慨之士乎。如今朝廷、雖乏人、奈何刀鋸之餘、薦天下豪俊哉。   

 

   ※(1) は、「りっしんべ ん」に「潛」の旁(つくり)の字。

 

 

僕頼先人緒業、得待罪輦轂下、二十餘年矣。所以自惟、上之不能納忠效信、有奇策才力之譽、自結明主、次之又不能拾遺補闕、招賢進能、顕巖穴之士。外之又不能備行伍、攻城野戰、有斬將搴旗之功、下之不能積日累勞、取尊官厚祿、以爲宗族交遊光寵。四者無一遂、苟合取容、無所短長之效、可見如此矣。嚮者、僕常廁下大夫之列、陪外廷末議、不以此時引維綱、盡思慮。今以虧形爲掃除之隸、在闒茸之中、乃欲仰首伸眉、論列是非。不亦輕朝廷、羞當世之士邪。嗟乎、嗟乎、如僕尚何言哉。尚何言哉。

 

 

 

且事本末、未易明也。僕少負不羈之行、長無郷曲之譽。主上幸以先人之故、使得奏薄伎、出入周衛之中。僕以爲戴盆何以望天。故絶賓客之知、亡室家之業、日夜思竭其不肖之才力、務一心營職、以求親媚於主上。而事乃有大謬不然者夫。     

 

 

 

僕與李陵、倶居門下。素非能相善也。趣舎異路、未嘗銜盃酒、接慇懃之餘懽。然僕観其爲人、自守奇士、事親孝、與士信、臨財廉、取與義。分別有讓、恭倹下人、常思奮不顧身、以徇國家之急。其素所蓄積也。僕以爲有國士之風。夫人臣、出萬死不顧一生之計、赴公家之難、斯以奇矣。今擧事一不當、而全軀保妻子之臣、隨而媒(2)其短。僕誠私心痛之。
且李陵提歩卒、不滿五千。深踐戎馬之地、足歴王庭、垂餌虎口、横挑彊胡、仰億萬之師、與單于連戰十餘日。所殺過半當。虜救死扶傷不給。旃裘之君長、咸震怖。乃悉徴其左右賢王、擧引弓之人、一國共攻而圍之。轉鬪千里、矢盡道窮、救兵不至、士卒死傷如積。然陵一呼勞、軍士無不

 


(2)は、 「孽」 の、下の「子」が「女」になっている字。漢音、ゲツ。   『漢書』には、「孽」とある。「孽」は、かもす、の意。

 

起、躬自流涕、沫血飲泣、更張空拳、冒白刃、北嚮爭死敵者。陵未沒時、使有來報。漢公卿王侯、皆奉觴上壽。後數日、陵敗書聞。主上爲之、食不甘味、聴朝不怡。大臣憂懼、不知所出。   

 

 

 

僕竊不自料其卑賤、見主上慘愴怛悼、誠欲效其款款之愚、以爲、李陵素與士大夫、絶甘分少、能得人死力、雖古之名將、不能過也。身雖陥敗、彼觀其意、且欲得其當、而報於漢。事已無可奈何、其所摧敗、功亦足以暴於天下矣。 僕懷欲陳之、而未有路。 適會召問、即以此指推、言陵之功、欲以廣主上之意、塞睚眦之辭、未能盡明。明主不曉、以爲、僕沮貳師、而爲李陵遊説。遂下於理。拳拳之忠、終不能自列。因爲誣上、卒從吏議。

 

 

 

家貧、貨賂不足以自贖、交遊莫救、左右親近、不爲一言。身非木石、獨與法吏爲伍、深幽囹圄之中。誰可告愬者。此眞少卿所親見、僕行事豈不然乎。 李陵既生降、隤其家聲。 而僕又(3)之蚕室、重爲天下觀笑。悲夫、悲夫。事未易一二爲俗人言也。

 

 


(3) の字は、 「にんべん」に「耳」の字。『漢書』では、「茸」。

 

僕之先、非有剖符丹書之功。文史星暦、近乎卜祝之間。固主上所戲弄、倡優所畜、流俗之所輕也。假令僕伏法受誅、若九牛亡一毛、與螻蟻何以異。 而世又不與能死節者、特以爲智窮罪極、不能自免、卒就死耳。 何也、素所自樹立使然也。人固有一死、或重於太山、或輕於鴻毛、用之所趨異也。太上不辱先、其次不辱身、其次不辱理色、其次不辱辭令、其次詘體受辱、其次易服受辱、其次關木索被箠楚受辱、其次剔毛髪嬰金鐵受辱、其次毀肌膚斷肢體受辱、最下腐刑極矣。傳曰、刑不上大夫。此言士節不可不勉勵也。 猛虎在深山、百獸震恐。及在檻穽之中、搖尾而求食、積威約之漸也。故有畫地爲牢、勢不可入、削木爲吏、議不可對、定計於鮮也。今交手足、受木索、暴肌膚、受榜箠、幽於圜牆之中。當此之時、見獄吏則頭槍地、視徒隸則正惕息。何者、積威約之勢也。及以至是言不辱者、所謂強顔耳。曷足貴乎。

 

 

 

且西伯、伯也、拘於羑里。 李斯、相也、具于五刑。 淮陰、王也、受械於陳。彭越、張敖、南面稱孤、繋獄抵罪。 絳侯誅諸呂、權傾五伯、囚於請室。魏其、大將也、衣赭衣、關三木。季布爲朱家鉗奴。灌夫受辱於居室。此人皆身至王侯將相、聲聞隣國。及罪至罔加、不能引決自栽、在塵埃之中。 古今一體、安在其不辱也。 由此言之、勇怯、勢也、強弱、形也、審矣。何足怪乎。夫人不能早自裁繩墨之外、以稍陵遲至於鞭箠之間。乃欲引節、斯不亦遠乎。古人所以重施刑於大夫者、殆爲此也。      

 

 

 

夫人情、莫不貪生惡死、念父母、顧妻子。至激於義理者不然。乃有所不得已也。今僕不幸、早失父母、無兄弟之親、獨身孤立。少卿視僕於妻子何如哉。且勇者不必死節、怯夫慕義、何處不勉焉。僕雖怯懦欲苟活、亦頗識去就之分矣。何至自沈溺縲紲之辱哉。且夫臧獲婢妾、由能引決。況僕之不得已乎。 所以隱忍苟活、 幽於糞土之中而不辭者、恨私心有所不盡、鄙陋沒世、而文彩不表於後世也。

 

 

 

古者富貴而名磨滅、 不可勝記。 唯倜儻非常之人稱焉。蓋文王拘而演周易、仲尼厄而作春秋、屈原放逐、乃賦離騒、左丘失明、厥有國語、孫子臏脚、兵法脩列、不韋遷蜀、世傳呂覧、韓非囚秦、説難孤憤、詩三百篇、大抵聖賢發憤之所爲作也。此人皆意有鬱結、不得通其道。故述往事、思來者。乃如左丘無目、孫子斷足、終不可用、退而論書策、以舒其憤、思垂空文、以自見。

 

 

 

僕竊不遜、近自託於無能之辭、網羅天下放失舊聞、略考其行事、綜其終始、 稽其成敗興壞之紀、 上計軒轅、下至于茲、爲十表、本紀十二、書八章、世家三十、列傳七十、凡百三十篇。 亦欲以究天人之際、 通古今之變、成一家之言。草創未就、會遭此禍、惜其不成。已就極刑、而無慍色。僕誠以著此書、藏諸名山、傳之其人、通邑大都、則僕償前辱之責、雖萬被戮、豈有悔哉。然此、可爲智者道、難爲俗人言也。

 

 

 

且負下未易居、下流多謗議。僕以口語遇此禍、重爲郷党所笑、以汚辱先
人。亦何面目、復上父母丘墓乎。雖累百世、垢彌甚耳。是以腸一日而九迴、居則忽忽、若有所亡、出則不知其所往。毎念斯恥、汗未嘗不發背沾衣也。身直爲閨閤之臣、寧得自引於深岩穴邪。故且從俗浮沈、與時俯仰、以通其狂惑。 今少卿、乃敎以推賢進士、無乃與僕私心剌謬乎。今雖欲自彫琢曼辭、以自飾、無益於俗、不信、適足取辱耳。要之、死日、然後是非乃定。書不能悉意、略陳固陋。謹再拝。 

 

* 下から4行目「寧得自引於深藏岩穴邪。」が、『漢書』では「寧得自引深藏於岩穴邪。」となっている。

 

 

 

 

 



 (1) ……「りっしんべん」に、旁(つくり)が「潛」の右側の字。いたましい。(=惨)

 

 

   (2) ……「孽」 の、下の「子」が「女」になっている字。 漢音、ゲツ。 『漢書』には「孽」とある。「孽」は、かもす、の意。

 

 

   (3)……「にんべん」に「耳」の字。 『漢書』では、「茸」。

 

 

 

 

 

 


  (注) 1.  本文は、明治書院発行の新釈漢文大系83『文選(文章篇)』(竹田晃著、平成10年7月30日初版発行)によりました。ただし、タイトルの「任少卿に報ずるの書」を「任少卿に報ずる書」とし、誤植と思われる文字を、二三改めました。         
    2.  一般に、「任安に報ずる書(じんあんにほうずるしょ)」という名前で知られている手紙です。    
    3.  この手紙は、『漢書』と『文選』に収められていますが、両者には、諸所に語句の異同があります。    
    4.  匈奴に投降した李陵を弁護して武帝の怒りをかった司馬遷が、投獄されて宮刑に処せられた後、 反乱の罪で今まさに死刑になろうとしている獄中の友人 ・任安 (じんあん、字 は少卿)に宛てた手紙(返書)です。    
    5.  武田泰淳の 『司馬遷─史記の世界(講談社文芸文庫ほか) の中に、この手紙の現代語訳とすぐれた解説があります。          
    6.  中国の古典24 文選下』(藤堂明保監修・神塚淑子訳、学習研究社・昭和60年1月7日初版発行、昭和60年5月10日第5刷発行)にも、 原文・書き下し文・現代語訳があります。    
    7.  「はまなかひとしのHP」の「史記總論」(太史公事歴)で、瀧川龜太郎博士の考証による『漢書』の「任安に報ずる書」(「任少卿に報ずる書」)を読むことができます。                      
           

   
 


   

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