資料338 芥川龍之介「越びと」旋頭歌二十五首




 

     越びと  旋頭歌二十五首 
                       
芥川龍之介

 

       

あぶら火のひかりに見つつこころ悲しも、
み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ。


むらぎものわがこころ知る人の戀しも。
み雪ふる越路のひとはわがこころ知る。


(うつ)し身を歎けるふみの稀になりつつ、
み雪ふる越路のひとも老いむとすあはれ。

       

うち日さす都を出でていく夜ねにけむ。
この山の硫黄の湯にもなれそめにけり。

みづからの體温守
(も)るははかなかりけり、
靜かなる朝の小床
(をどこ)に目をつむりつつ。

何しかも寂しからむと庭をあゆみつ、
ひつそりと羊齒
(しだ)の巻葉(まきば)にさす朝日はや。

ゑましげに君と語らふ君がまな子
(ご)
ことわりにあらそひかねてわが目守
(まも)りをり。

寂しさのきはまりけめやこころ搖
(ゆ)らがず、
この宿の石菖
(せきしやう)の鉢に水やりにけり。

朝曇りすずしき店
(みせ)に來(こ)よや君が子、
玉くしげ箱根細工をわが買ふらくに。

池のべに立てる楓
(かへで)ぞいのちかなしき。
幹に手をさやるすなはち秀
(ほ)をふるひけり。

腹立たし君と語れる醫者の笑顔
(ゑがほ)は。
馬じもの嘶
(いば)ひわらへる醫者の齒ぐきは。

うつけたるこころをもちて街
(まち)ながめをり。
日ざかりの馬糞
(ばふん)にひかる蝶のしづけさ。

うしろより立ち來る人を身に感じつつ、
電燈の暗き二階をつつしみくだる。

たまきはるわが現
(うつ)し身ぞおのづからなる。
赤らひく肌
(はだへ)をわれの思(も)はずと言はめや。

君をあとに君がまな子
(ご)は出でて行きぬ。
たはやすく少女
(をとめ)ごころとわれは見がたし。

(こと)にいふにたへめやこころ下(した)に息づき、
君が瞳
(め)をまともに見たり、鳶いろの瞳(め)
を。

       

秋づける夜を赤赤(あかあか)と天(あま)づたふ星、
東京にわが見る星のまうら寂しも。

わがあたま少し鈍
(にぶ)りぬとひとり言(ごと)いひ、
薄じめる蚊遣線香
(かやりせんこ)に火をつけてをり。

ひたぶるに昔くやしも、わがまかずして、
垂乳根
(たらちね)の母となりけむ、昔くやしも。

たそがるる土手の下
(した)べをか行きかく行き、
寂しさにわが摘みむしる曼珠沙華
(まんじゆしやげ)はや。

曇り夜のたどきも知らず歩みてや來
(こ)し。
火ともれる自動電話に人こもる見ゆ。

寢も足らぬ朝目に見つついく日
(ひ)經にけむ。
風きほふ狹庭
(さには)のもみぢ黑みけらずや。

小夜
(さよ)ふくる炬燵の上に顋(あご)をのせつつ、
つくづくと大書棚
(おほしよだな)見るわれを思へよ。

今日
(けふ)もまたこころ落ちゐず黄昏(たそが)るるらむ。
向うなる大き冬木
(ふゆき)は梢(うら)ゆらぎをり。

(かど)のべの笹吹きすぐる夕風の音(おと)
み雪ふる越路
(こしぢ)のひともあはれとは聞け。
  

 

 

 

 

  (注) 1.  上記の旋頭歌25首「越びと」の本文は、『芥川龍之介全集』第9巻(岩波書店、1978年4月24日第1刷発行・1983年1月20日第2刷発行)によりました。
        
   
    2.  振り仮名(ルビ)をつけた語は、全集のまま(つまり、初出『明星』のまま)です。
   
    3.  全集巻末の「後記」に、次のようにあります。(全集第9巻、552頁)
  越びと
 大正14年(1925)3月1日発行の雑誌『明星』第6巻第3号に「芥川龍之介」の署名で掲載された。
 大正14年2月14日の与謝野晶子宛書簡に「旋頭歌を少々御覽に入れます。御採用下さるのならば明星におのせ下さい。落第ならば御返送下さつても結構です。小生自身には大抵落第してゐる歌ですから。」とある。
 ・ 439頁8行 うしろより立ち來る人を──(底)うしろより立ち來る  普及版全集に拠り訂す。
 ・ 442頁2行 あはれとは聞け。 ──(底)あはれとを聞け。  普及版全集に拠り訂す。

 引用者注:ここにある「普及版全集」とは、昭和9-10年発行の『芥川龍之介全集』を指しています。
   
    4.  『明星』第6巻第3号掲載の「越びと」を、複刻版(「第二次『明星』全48冊附解説」臨川書店、昭和55年11月10日複刻版発行)で見ておきます。 
 (1) 旋頭歌「越びと」は、大正14年3月1日発行の『
明星』第6巻第3号の18~21頁に、芥川龍之介の名前で掲載されています。
 (2)各歌と歌の間には
× が入れてあります。例えば、
             一
  あぶら火のひかりに見つつこころ悲しも、
  み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ。
          
×
  むらぎものわがこころ知る人の戀しも。
  み雪ふる越路のひとはわがこころ知る。
          
×
  現
(うつ)し身を歎けるふみの稀になりつつ、
  み雪ふる越路のひとも老いむとすあはれ。

 のように。
 (3)頁の上部には、両頁にまたがって、中央に二つの花らしきもの、左右に葉を広げた植物(単色刷り)が、対称的に描かれています。
 (4)全集掲載の本文との違いは、全集後記にも記してあるように、次の2個所です。
  ア 「うしろより立ち來る人を身に感じつつ」の「人を」が落ちている。 
  イ 最後の歌の「あはれとは聞け」が、「あはれとを聞け」となっている。
 なお、これは印刷の関係でしょうが、「わがあたま少し鈍
(にぶ)りぬ」の振り仮名「にぶ」が「にふ」となっています。 
   
    5.  『芥川龍之介全集』第12巻に掲載されている「遺書」の一通に、
 「……なほ又僕と戀愛關係に落ちた女性は秀夫人ばかりではない。しかし僕は三十歳以後に新たに情人をつくつたことはなかつた。これも道德的につくらなかつたのではない。唯情人をつくることの利害を打算した爲である。(しかし戀愛を感じなかつた訣ではない。僕はその時に「越し人」「相聞」等の抒情詩を作り、深入りしない前に脱却した。)……」(425頁)

 とあります。なお、次の注6をご覧ください。
   
    6.  「侏儒の言葉(遺稿)」の中の「わたし」の一つに、次の言葉があります。(354頁)

                又
 わたしは三十歳を越した後、いつでも戀愛を感ずるが早いか、一生懸命に抒情詩を作り、深入りしない前に脱却した。しかしこれは必しも道德的にわたしの進歩し たのではない。唯ちよつと肚の中に算盤をとることを覺えたからである。

 引用者注:全集第9巻の後記に、『侏儒の言葉(遺稿)』は、「昭和2年(1927)10月1日および12月1日發行の雜誌『文藝春秋』第5年第10、12號に「侏儒の言葉(遺稿)」の題で掲載され、のち單行本『侏儒の言葉』に收められた。本全集は『侏儒の言葉』を底本とし、初出と校合した」とあります。(536頁)
   
    7.  『芥川龍之介全集』第9巻の「詩歌一」の「澄江堂雑詠」の中に、

     
戀人ぶり
  風に舞ひたるきぬ笠の
  なにかは道におちざらむ。
  わが名はいかで惜しむべき。
  惜しむは君が名のみとよ。

     
同上
  あひ見ざりせばなかなかに
  空にわすれてすぎむとや。
  野べのけむりもひとすぢに
  命を守
(も)るはかなしとよ。

  とあり、巻末の「後記」に、「澄江堂雜詠 大正14年(1925)4月1日發行の雜誌『文藝日本』第1巻第1號に表記の題に「芥川龍之介」の署名で掲載された」とあり、続いて「「戀人ぶり」「同上」の二詩は普及版全集では「相聞二」「相聞一」の題で收められており多少の差異がある。左に普及版全集所收本文を掲げておく」として、次の詩が掲げてあります。

     相聞 二 
  風にまひたるすげ笠の
  なにかは路に落ちざらん。
  わが名はいかで惜しむべき。
  惜しむは君が名のみとよ。
     相聞 一
  あひ見ざりせばなかなかに
  そらに忘れてやまんとや。
  野べのけむりも一すぢに
  立ちての後はかなしとよ。 
   
    8.  「或阿呆の一生」の37に、「越し人」があります。

      三十七  越し人
  彼は彼と才力
(さいりよく)の上にも格鬪出來る女に遭遇した。が、「越し人(びと)(とう)の抒情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍(こゞ)つた、かゞやかしい雪を落すやうに切ない心もちのするものだつた。
   風に舞ひたるすげ笠の
   何かは道に落ちざらん
   わが名はいかで惜しむべき
   惜しむは君が名のみとよ。
                                     
     
     (『芥川龍之介全集』第9巻、329頁)

 引用者注:全集の「或阿呆の一生」の本文は総振り仮名(総ルビ)になっていますが、ここでは必要と思われる部分だけ読みを示しました。 
   
    9.   資料09に「芥川龍之介の詩「相聞」」があり、ここには「また立ちかへる水無月の……」という詩が掲げてあります。
 また、この資料09の注に「越びと」として歌われた女性についての記述がありますので、ご覧ください。
   
    10.  「三」の6首目「寢も足らぬ朝目に見つついく日(ひ)經にけむ。」の「朝目」を辞書で引いてみると、次のように出ています。

 
あさめよく(朝目吉く)=〔連語〕朝目ざめて(縁起の)よいものを見て。「──汝(なれ)取り持ちて天つ神のみ子に献(たてまつ)れ」<記神武(『岩波古語辞典』1974年第1刷)
 
あさめ(朝目)=朝起きて(縁起のよい)物を目にすること。記中「──よく汝(なれ)取り持ちて」(『広辞苑』第6版)
  あさめ(朝目)=〔名〕語義未詳。朝、起きたときに見る目の意か。
古事記──中「故(かれ)、阿佐米(アサメ)よく、汝取り持ちて、天神の御子に献れ」 志濃夫廼舎歌集──春明草「窓のうちに我をよび入れ朝目よく木の芽にやしてくれし君はも」(『日本国語大辞典』第1巻、昭和47年・小学館)
  引用者注:この橘曙覧の「窓のうちに……」の歌には、次のような詞書がついています。
  府中の青木夏彦とぶらひたりけるに、なくなりし父翁のこといひいでゝ、袖うちしぼる。こぞの秋ばかり、此家にやどりをり、朝とくおき出たりけるに、隻鶴翁きて今おのがかたに、湯わきてはべり茶一つまゐらすべし、いで来給へとて、いとよくもてなされしことなどありけるを、おもひいでゝ、おのれもともにうちなかれつゝ    
   窓のうちに我をよび入れ朝目よく木芽にやしてくれし君はも

 この芥川の「寢も足らぬ朝目」の場合は、単に「朝起きた時の目」の意味で用いたものと思われます。
   

    

  






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