一
あぶら火のひかりに見つつこころ悲しも、 み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ。
むらぎものわがこころ知る人の戀しも。 み雪ふる越路のひとはわがこころ知る。
現(うつ)し身を歎けるふみの稀になりつつ、 み雪ふる越路のひとも老いむとすあはれ。
二
うち日さす都を出でていく夜ねにけむ。 この山の硫黄の湯にもなれそめにけり。
みづからの體温守(も)るははかなかりけり、 靜かなる朝の小床(をどこ)に目をつむりつつ。
何しかも寂しからむと庭をあゆみつ、 ひつそりと羊齒(しだ)の巻葉(まきば)にさす朝日はや。
ゑましげに君と語らふ君がまな子(ご)を ことわりにあらそひかねてわが目守(まも)りをり。
寂しさのきはまりけめやこころ搖(ゆ)らがず、 この宿の石菖(せきしやう)の鉢に水やりにけり。
朝曇りすずしき店(みせ)に來(こ)よや君が子、 玉くしげ箱根細工をわが買ふらくに。
池のべに立てる楓(かへで)ぞいのちかなしき。 幹に手をさやるすなはち秀(ほ)をふるひけり。
腹立たし君と語れる醫者の笑顔(ゑがほ)は。 馬じもの嘶(いば)ひわらへる醫者の齒ぐきは。
うつけたるこころをもちて街(まち)ながめをり。 日ざかりの馬糞(ばふん)にひかる蝶のしづけさ。
うしろより立ち來る人を身に感じつつ、 電燈の暗き二階をつつしみくだる。
たまきはるわが現(うつ)し身ぞおのづからなる。 赤らひく肌(はだへ)をわれの思(も)はずと言はめや。
君をあとに君がまな子(ご)は出でて行きぬ。 たはやすく少女(をとめ)ごころとわれは見がたし。
言(こと)にいふにたへめやこころ下(した)に息づき、 君が瞳(め)をまともに見たり、鳶いろの瞳(め)を。
三
秋づける夜を赤赤(あかあか)と天(あま)づたふ星、 東京にわが見る星のまうら寂しも。
わがあたま少し鈍(にぶ)りぬとひとり言(ごと)いひ、 薄じめる蚊遣線香(かやりせんこ)に火をつけてをり。
ひたぶるに昔くやしも、わがまかずして、 垂乳根(たらちね)の母となりけむ、昔くやしも。
たそがるる土手の下(した)べをか行きかく行き、 寂しさにわが摘みむしる曼珠沙華(まんじゆしやげ)はや。
曇り夜のたどきも知らず歩みてや來(こ)し。 火ともれる自動電話に人こもる見ゆ。
寢も足らぬ朝目に見つついく日(ひ)經にけむ。 風きほふ狹庭(さには)のもみぢ黑みけらずや。
小夜(さよ)ふくる炬燵の上に顋(あご)をのせつつ、 つくづくと大書棚(おほしよだな)見るわれを思へよ。
今日(けふ)もまたこころ落ちゐず黄昏(たそが)るるらむ。 向うなる大き冬木(ふゆき)は梢(うら)ゆらぎをり。
門(かど)のべの笹吹きすぐる夕風の音(おと)、 み雪ふる越路(こしぢ)のひともあはれとは聞け。 |