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(注) |
1. |
上記の旋頭歌25首「越びと」の本文は、『芥川龍之介全集』第9巻(岩波書店、1978年4月24日第1刷発行・1983年1月20日第2刷発行)によりました。
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2. |
振り仮名(ルビ)をつけた語は、全集のまま(つまり、初出『明星』のまま)です。
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3. |
全集巻末の「後記」に、次のようにあります。(全集第9巻、552頁)
越びと
大正14年(1925)3月1日発行の雑誌『明星』第6巻第3号に「芥川龍之介」の署名で掲載された。
大正14年2月14日の与謝野晶子宛書簡に「旋頭歌を少々御覽に入れます。御採用下さるのならば明星におのせ下さい。落第ならば御返送下さつても結構です。小生自身には大抵落第してゐる歌ですから。」とある。
・ 439頁8行 うしろより立ち來る人を──(底)うしろより立ち來る 普及版全集に拠り訂す。
・ 442頁2行 あはれとは聞け。 ──(底)あはれとを聞け。 普及版全集に拠り訂す。
引用者注:ここにある「普及版全集」とは、昭和9-10年発行の『芥川龍之介全集』を指しています。
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4. |
『明星』第6巻第3号掲載の「越びと」を、複刻版(「第二次『明星』全48冊附解説」臨川書店、昭和55年11月10日複刻版発行)で見ておきます。
(1) 旋頭歌「越びと」は、大正14年3月1日発行の『明星』第6巻第3号の18~21頁に、芥川龍之介の名前で掲載されています。
(2)各歌と歌の間には ×
が入れてあります。例えば、
一
あぶら火のひかりに見つつこころ悲しも、
み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ。
×
むらぎものわがこころ知る人の戀しも。
み雪ふる越路のひとはわがこころ知る。
×
現(うつ)し身を歎けるふみの稀になりつつ、
み雪ふる越路のひとも老いむとすあはれ。
のように。
(3)頁の上部には、両頁にまたがって、中央に二つの花らしきもの、左右に葉を広げた植物(単色刷り)が、対称的に描かれています。
(4)全集掲載の本文との違いは、全集後記にも記してあるように、次の2個所です。
ア 「うしろより立ち來る人を身に感じつつ」の「人を」が落ちている。
イ 最後の歌の「あはれとは聞け」が、「あはれとを聞け」となっている。
なお、これは印刷の関係でしょうが、「わがあたま少し鈍(にぶ)りぬ」の振り仮名「にぶ」が「にふ」となっています。
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5. |
『芥川龍之介全集』第12巻に掲載されている「遺書」の一通に、
「……なほ又僕と戀愛關係に落ちた女性は秀夫人ばかりではない。しかし僕は三十歳以後に新たに情人をつくつたことはなかつた。これも道德的につくらなかつたのではない。唯情人をつくることの利害を打算した爲である。(しかし戀愛を感じなかつた訣ではない。僕はその時に「越し人」「相聞」等の抒情詩を作り、深入りしない前に脱却した。)……」(425頁)
とあります。なお、次の注6をご覧ください。
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6. |
「侏儒の言葉(遺稿)」の中の「わたし」の一つに、次の言葉があります。(354頁)
又
わたしは三十歳を越した後、いつでも戀愛を感ずるが早いか、一生懸命に抒情詩を作り、深入りしない前に脱却した。しかしこれは必しも道德的にわたしの進歩し たのではない。唯ちよつと肚の中に算盤をとることを覺えたからである。
引用者注:全集第9巻の後記に、『侏儒の言葉(遺稿)』は、「昭和2年(1927)10月1日および12月1日發行の雜誌『文藝春秋』第5年第10、12號に「侏儒の言葉(遺稿)」の題で掲載され、のち單行本『侏儒の言葉』に收められた。本全集は『侏儒の言葉』を底本とし、初出と校合した」とあります。(536頁)
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7. |
『芥川龍之介全集』第9巻の「詩歌一」の「澄江堂雑詠」の中に、
戀人ぶり
風に舞ひたるきぬ笠の
なにかは道におちざらむ。
わが名はいかで惜しむべき。
惜しむは君が名のみとよ。
同上
あひ見ざりせばなかなかに
空にわすれてすぎむとや。
野べのけむりもひとすぢに
命を守(も)るはかなしとよ。
とあり、巻末の「後記」に、「澄江堂雜詠 大正14年(1925)4月1日發行の雜誌『文藝日本』第1巻第1號に表記の題に「芥川龍之介」の署名で掲載された」とあり、続いて「「戀人ぶり」「同上」の二詩は普及版全集では「相聞二」「相聞一」の題で收められており多少の差異がある。左に普及版全集所收本文を掲げておく」として、次の詩が掲げてあります。
相聞 二
風にまひたるすげ笠の
なにかは路に落ちざらん。
わが名はいかで惜しむべき。
惜しむは君が名のみとよ。
相聞 一
あひ見ざりせばなかなかに
そらに忘れてやまんとや。
野べのけむりも一すぢに
立ちての後はかなしとよ。
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8. |
「或阿呆の一生」の37に、「越し人」があります。
三十七 越し人
彼は彼と才力(さいりよく)の上にも格鬪出來る女に遭遇した。が、「越し人(びと)」等(とう)の抒情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍(こゞ)つた、かゞやかしい雪を落すやうに切ない心もちのするものだつた。
風に舞ひたるすげ笠の
何かは道に落ちざらん
わが名はいかで惜しむべき
惜しむは君が名のみとよ。
(『芥川龍之介全集』第9巻、329頁)
引用者注:全集の「或阿呆の一生」の本文は総振り仮名(総ルビ)になっていますが、ここでは必要と思われる部分だけ読みを示しました。
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9. |
資料09に「芥川龍之介の詩「相聞」」があり、ここには「また立ちかへる水無月の……」という詩が掲げてあります。
また、この資料09の注に「越びと」として歌われた女性についての記述がありますので、ご覧ください。
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10. |
「三」の6首目「寢も足らぬ朝目に見つついく日(ひ)經にけむ。」の「朝目」を辞書で引いてみると、次のように出ています。
あさめよく(朝目吉く)=〔連語〕朝目ざめて(縁起の)よいものを見て。「──汝(なれ)取り持ちて天つ神のみ子に献(たてまつ)れ」<記神武>(『岩波古語辞典』1974年第1刷)
あさめ(朝目)=朝起きて(縁起のよい)物を目にすること。記中「──よく汝(なれ)取り持ちて」(『広辞苑』第6版) あさめ(朝目)=〔名〕語義未詳。朝、起きたときに見る目の意か。*古事記──中「故(かれ)、阿佐米(アサメ)よく、汝取り持ちて、天神の御子に献れ」
*志濃夫廼舎歌集──春明草「窓のうちに我をよび入れ朝目よく木の芽にやしてくれし君はも」(『日本国語大辞典』第1巻、昭和47年・小学館)
引用者注:この橘曙覧の「窓のうちに……」の歌には、次のような詞書がついています。
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府中の青木夏彦とぶらひたりけるに、なくなりし父翁のこといひいでゝ、袖うちしぼる。こぞの秋ばかり、此家にやどりをり、朝とくおき出たりけるに、隻鶴翁きて今おのがかたに、湯わきてはべり茶一つまゐらすべし、いで来給へとて、いとよくもてなされしことなどありけるを、おもひいでゝ、おのれもともにうちなかれつゝ |
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窓のうちに我をよび入れ朝目よく木芽にやしてくれし君はも
この芥川の「寢も足らぬ朝目」の場合は、単に「朝起きた時の目」の意味で用いたものと思われます。 |
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