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(注) |
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上記の詩は、岩波書店版『芥川龍之介全集』第九巻(1978年4月24日第1刷発行、1983年1月20日第2刷発行)によりました。 |
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「誰」は、文語なので「たれ」と清音に読みます。「みづ枝」(みずえ)は「瑞枝」で、「みずみずしく若い枝」の意。「かなしき」は、「身にしみていとしい」の意。 |
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3. |
全集の後記によれば、大正14年4月17日付けの室生犀星宛の書簡にこの詩が記してある由です。(注10に、この書簡を引いておきます。2010年9月11日) |
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4. |
新潮文庫の吉田精一著『日本近代詩鑑賞 大正篇』(昭和28年6月5日発行、同年11月30日2刷)にこの「相聞」が取り上げてあり、詳しい解説が見られます。 |
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5. |
吉田氏の上記の本によれば、この詩に歌われている女性は、「芥川の交渉をもつた少なからぬ女性の中で最後の恋人といふべき人であつた。そしてこの恋は(中略)全く精神的な恋であつた。しかし精神的なものであつただけそれだけ強く、執念く彼の心の中に燃えつゞけてゐたと思はれる」とあります。そして、「彼女は実業家の夫人で、教養あり、品性高く、年配も芥川よりずつと上で大きい子供もあつた。後年(大正十五年)「三つのなぜ」の一篇として作つた「なぜソロモンはシバの女王とたつた一度しか会はなかつたか?」に於けるソロモンとシバの女王との関係は、彼のこの女性に対する気持をあらはしてゐると思ふのでこゝに引用する。」として「三つのなぜ」から「シバの女王は美人ではなかつた。のみならず彼よりも年をとつてゐた。しかし珍らしい才女だつた。ソロモンはかの女と問答をするたびに彼の心の飛躍するを感じた。……」以下、6,7行を引用しています。さらに、「大正十四年の二月には彼は「越し人」といふ抒情詩を書いてゐる。これは(中略)芥川の詩歌を通じて最高のものではないかと思ふ」が、「切々たる感傷と哀慕の情は、しみじみと、人の心をうつものがある。」としておられます。
(この「越し人」(「越びと 旋頭歌二十五首」のこと。歌中には「越路のひと」とある)は、実際には「東京の人であるが、憚る所があつてかやうに作つたのであらう。」としてあります。)
* 芥川龍之介の『三つのなぜ』を、青空文庫で読むことができます。
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芥川龍之介『三つのなぜ』
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芥川龍之介「越びと」旋頭歌二十五首が、資料338にあります。 |
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吉田精一氏は、この女性をM女史として本名を出しておられませんが、この人は明治11(1878)年生まれの片山廣子(ペンネーム・松村みね子)という人で、佐佐木信綱に師事する『心の花』の歌人であり、アイルランド文学の翻訳家でもありました。旧姓吉田。東京に生まれ、東洋英和女学校を卒業、後の日銀理事片山貞次郎に嫁いで片山姓になりました。芥川が廣子と知り合った大正13年(1924)当時、芥川は32歳、廣子は46歳、未亡人になって(大正9年(1920)3月14日、夫貞次郎死去)4年を経ていました。堀辰雄の『聖家族』は、芥川の死と作者自身の恋愛体験を素材にした小説で、作中の細木(さいき)夫人は片山廣子(松村みね子)を、九鬼は芥川を、扁理は堀自身をモデルにして書かれたものだそうです。
前記の吉田精一著『日本近代詩鑑賞 大正篇』にも、「猶詩の背景をなすラヴフェアについては、堀辰雄の「聖家族」以下、「楡の家」などの小説が、この間の消息に想を構へたものであることを附記する」とあります。
* 堀辰雄の『聖家族』『楡の家』を、青空文庫で読むことができます。
→
堀辰雄
『聖家族』 『楡の家』
* 芥川がかかわった女性にふれた参考書として、
関口安義著『芥川龍之介─闘いの生涯』(毎日新聞社、1992年7月10日発行)を挙げておきます。この本の「第5章 女性」には、吉村チヨ、秀しげ子、片山広子、平松ます子の4人が取り上げられています。
* 『琉球大学学術リポジトリ』に、小澤保博氏の「パトグラフィ「或阿呆の一生」(芥川龍之介)」(「琉球大学教育学部紀要(75)」、2009年8月)があって、参考になります。(2020年8月25日付記)
→ 「パトグラフィ「或阿呆の一生」(芥川龍之介)」小澤保博(「琉球大学教育学部紀要(75)」、2009年8月)
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『一時間の航海』というホームページに、「わかされの虹(龍之介と廣子 1)」「越びと(龍之介と廣子 2)」「鳶色の瞳(龍之介と廣子 3)」「青き蝶(龍之介と廣子 4)」「処生観(龍之介と廣子 5)」……という記事があって、たいへん参考になります。
残念ながら現在リンクがつながりませんので、リンクを外しました。2012年6月27日 |
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国立国会図書館の『近代日本人の肖像』で、芥川龍之介の肖像写真を見ることができます。 |
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佐藤春夫は『美の世界』でこの詩を取り上げ、すぐれた鑑賞文を書いています。以下、それについて紹介します。
また立ちかへる水無月の
歎きを誰にかたるべき
沙羅のみづ枝に花さけば
かなしき人の目ぞ見ゆる
芥川龍之介
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これは「相聞(さうもん)」と題した四行詩である。芥川は多くの短篇を執筆した間に、ときどきこんな今様ぶりや催馬楽(さいばら)もどきなどの詩作もあった。 |
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という書き出しで始まるこの文章で、佐藤春夫はこの詩について、「この詩は、どこにも発表されなかったが、まず詩をつくる友人室生犀星に示し、おりからいなかにいたわたくしにも、わざわざ特別な紙に書いて送り、見せてくれた。たぶん会心の作なのであろう。まことに、あくまで洗練しぬいて、心にくい文字使いは芥川の詩の代表作である」と、高く評価しています。そして、「「相聞」という題は愛人によせるものという意味であるが、はじめてその人を見た思出の水無月(旧暦六月のこと、ときには青水無月ともいう)になってきたが、この秘めたなげきは、だれを相手に語ろうか。その人もない。いまに沙羅の若葉したみずみずしい枝に花が咲き出して、せつなくもわが思う人の瞳(ひとみ)がおもかげに浮ぶであろうに」と書いています。さらに、この詩を読んだ人々が、芥川が想いを寄せたこの人は誰なのだろうと興味をいだくであろうことが予想されますが、それに対して春夫は、「沙羅は、信州あたりでは夏椿ともいい、白く、つつましやかに品のいい花を咲かせる木であるが、その花のような目の人と聞けば、さぞや清楚な美人と想像するだけで、その人を深く詮索する世間話的興味よりも、こののっぴきならない文字づかいの美と、哀切な調べとを味わってほしい」と注意しています。
「あまりに美しすぎて、生気に乏しいというのが、この詩の難かも知れない。過ぎたるはなお及ばざるがごとく、これは洗練しすぎた欠点で、実感の流露と、文字の洗練との微妙なかね合いが詩のむずかしさなのである」と結んだこの文章は、芥川の「相聞」という詩のすぐれた鑑賞であるとともに、この詩に対する最上の讃辞であるというべきでしょう。
(引用は『定本 佐藤春夫全集』第26巻、臨川書院 2000年9月10日初版発行によりました。)
※ 原文に引用されている詩につけてあるルビ(「立(た)」「水無月(みなづき)」「歎(なげ)」「沙羅(さら)」「枝(え)」)は省略しました。「相聞(さうもん)」の仮名は原文のままです。詩に句読点はつけてありません。
全集巻末の「解題」によりますと、この『美の世界』は、1961年(昭和36年)5月6日から6月10日発行までの『朝日新聞』(家庭PR版)および同年6月17日から1962年(昭和37年)4月28日発行までの『朝日新聞』(PR版)に、「美の世界」の標題で毎週土曜の版に掲載されたものの由です。それで、仮名遣いが現代仮名遣いになっているのだと思われます。後に、1962年(昭和37年)7月28日朝日新聞社から刊行された佐藤春夫編著『美の世界』に収録されました。なお、『美の世界』限定本350部が同年8月20日に刊行されている由です。
旺文社文庫に『美の世界・愛の世界 四季のうた恋のうた』(1981年8月発行)、講談社文芸文庫に『美の世界・愛の世界』(1995年3月10日発行)があるようですが、旺文社文庫はご承知の通り既に廃刊、講談社文芸文庫は現在、品切・重版未定となっているようです。(2007.12.6)
※ 佐藤春夫のこの詩の解釈の中に、「いまに沙羅の若葉したみずみずしい枝に花が咲き出
して、せつなくもわが思う人の瞳(ひとみ)がおもかげに浮ぶであろうに」とありますが、「花咲けば」の「咲けば」は、四段活用の動詞「咲く」の已然形「咲け」+確定条件を表す接続助詞「ば」なので、「いまに……花が咲き出して」という仮定条件の表現ではなく、「咲いたので」「咲いて」という確定条件を表していることになります。「沙羅の木の若葉したみずみずしい枝に花が咲いたので(または、咲いて)、そこに、いとしいあの人の瞳がおもかげに浮かんで見える」というのです。(2013年10月17日補記) |
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10. |
大正14年4月17日、修善寺から室生犀星宛ての書簡。(全集の書簡番号:1306)
引用者注:「修善寺から」とあるのは、この時芥川は修善寺町新井旅館に滞在していた。
澗聲の中に起伏いたし候。ここに來ても電報ぜめにて閉口なり。三階の一室に孤影蕭然として暮らし居り、女中以外にはまだ誰とも口をきかず、君に見せれば存外交際家でないと褒められる事うけ合なり。又詩の如きものを二三篇作り候間お目にかけ候。よければ遠慮なくおほめ下され度候。原稿はそちらに置いて頂きいづれ歸京の上頂戴する事といたし度。
歎きはよしやつきずとも
君につたへむすべもがな。
越(こし)のやまかぜふき晴るる
あまつそらには雲もなし。
また立ちかへる水無月の
歎きをたれにかたるべき
沙羅のみづ枝に花さけば、
かなしき人の目ぞ見ゆる。
但し誰にも見せぬやうに願上候(きまり惡ければ)尤も君の奥さんにだけはちよつと見てもらひたい氣もあり。感心しさうだつたら御見せ下され候。末筆ながらはるかに朝子孃の健康を祈り奉り候この間君の奥さんの抱いてゐるのを見たら椿貞雄の畫のとよく似た毛糸の帽子か何かかぶつてゐた。以上
十七日朝 澄 江 生
魚 眠 老 人 梧下
二伸 例の文藝讀本の件につき萩原君から手紙を貰つた。東京へ歸つたら是非あひたい。御次手の節によろしくと言つてくれ給へ。それから僕の小説を萩原君にも讀んで貰らひ、出來るだけ啓發をうけたい。何だか田端が賑になつたやうで甚だ愉快だ。僕は月末か來月の初旬にはかへるから、さうしたら萩原君の所へつれていつてくれ給へ。僕はちよつと大がかりなものを計畫してゐる。但し例によつて未完成に終るかも知れない。
(岩波版『芥川龍之介全集』第11巻、1978年6月22日第1刷発行、1983年3月22日第2刷発行。371~2頁) |
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11. |
『心朽窩旧館』というサイトに、芥川龍之介に関した記事や資料がありますので、ご覧ください。
→ 『心朽窩旧館』
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