資料325 井伊直弼「茶道の政道の助となるべきを論へる文」




 

  茶道の政道の助となるべきを論(あげつら)へる文      井 伊 直 弼

 或人澍露軒
(じゅろけん)の露打払ひて訪ひける夕つかた、何かと打物語(うちものがたら)ひつゝ、其序に問ひけるは、喫茶一道草庵の妙境誠に奥深く、讃歎すべき所なり。さるに年比(としごろ)(いぶか)しみ思ふは、国政の助となるありや、此事詳に識得せまほし、とあるに答ふ。元より此道は政事に用ふる器にあらず、故に古来茶書にも政事の論あるを見ず、只幾重にも草庵の妙境を以て当道の大事とするぞ、といへりしかば、又問ふ、いかに古来の茶書にもその方の沙汰未だ見ざるに依りて、年比訝り思ふ所なり。尤も喫茶一法万規に亙(わた)る由を承るに、何ぞ此事を闕(か)くべき、あはれ、此一義秘事たりとも密に語り給へ、是全く道を深く慕ふ志より発(おこ)る所なり、とありけれども尚も、さることごとしき事やはある、とて言はざりけるに、しばしば切(せつ)に問はれて、今はむげにも為し難し、道に志深き事も知れて密に打語ふことゝはなりぬ。是時囲炉裏(いろり)の炭流れたるまゝに、炭を、と言ひしかば、此人棚なる烏府(うふ)を下(おろ)して炭を加ふるに、炉中さはやかに、心もともに改りぬ。
 前にも云へりし如く、喫茶の法は独歩の妙路にして、政道などに預るべき器にあらず。さりとて国政の事を言はんに、固より漏るゝ事ならねば、難
(かた)きに似てしかも易し。先づ喫茶中に貴賤を選ばずといふ事、よく人々のいふ事なり。此一句を識得すべし。此事只草庵に膝を容るゝ事をのみいふと思ふが故に、誤る人も又多し、またく左にあらず。万芸万道に、或は高位の嗜みもて遊ぶところと、又下賤の勉め慰むところと、多くは異にして、同じく行はるゝは尠(すくな)きものなり。今喫茶の道は、上は雲の上より下賤(しず)の田子に至るまで、少しも違ふ事なく、相応(ふさ)はしからぬ事もなく、誠に同じく行はれて、又富者・貧者是又共に同じく楽(たのし)まるゝ道なれば、流祖も、「富者も為し難く貧人も為し易きは此道」と言(いわ)れしなり。是、富者の奢(おごれる)と貧者の不(およばざる)とをいましめて上下一道を示したるものなり。「君子シテ2其位ニ1而行、不ハ2乎其外ヲ1」と唐人もいひし事あり。是、喫茶の境界にて、さればこそ、貴賤を選ばずとも隔無(へだてな)しとも云ひならはしたるものなれ。<貴賤共に学ばるゝを以て選ばず隔無しと云ひ、又貴賤共に能く交るをも選ばず隔無しと云ふ。>
 
然れども、かゝる教万道にもいふべく、喫茶に限らぬ如くなれども、喫茶中に能く行はるゝ故あり。其故は快楽すればなり。此も諸道到り極むる時は歓び楽む境も有べけれど、初学より先(まず)(おのれ)が身に享(う)けて楽むべき事のまのあたり無くては、たとへ尊むべきの教なりとも、暫し勉むるほどに十の七八は倦(う)むものなり。夫(それ)人は上なるも下なるも、楽むの心無くては一日も世を渡る事は難し。是、凡情の拠無(よんどころな)き所なり。さればとて濫(みだり)に好む所に依り楽むときは、心乱れ煩悩いよいよ根ざすべし。今、此道の教は、初門の時より喫茶を以て楽(たのし)ましめ、極て心地朗(ほがらか)なる所を楽む。高きも卑(ひく)きも、富めるも貧しきも、浅きも深きも、楽むの外事なし。扨、此快楽の事は本書に委(くわし)く論ありて、当道の眼なれば、かりそめには説(とき)がたけれども、先括(くく)りて短く云ふときは、足(たる)といふ一つなり。足る事を知りて楽む快楽ならでは実の楽みにあらず。遺教経(ゆいきょうぎょう)に知足之法と云ふ境界なり。曰く、「知足之法、即是富楽安穏之処、知足之人、雖ドモスト地上、猶為安楽、不知足、雖ドモルト天堂、亦不、不知足、雖ドモメリト而貧、知足之人、雖ドモシト而富メリ」と云々。此旨一わたり云ときは、おのれおのれが身のほどを護りて他を希(ねが)はぬなり。上に居て驕(おご)らず、賤しきを学ばず、下に居て恨みず、高きを似(まね)せず、上は己が身に足れりとする故に下を憐れみ、下は己が身に足れりとする故に上を敬ひ助く。富者足れりとする故に施し、貧者足れりとする故にあながち求めず。是、知足の行はるゝ所にして、足れるが故に楽み、楽む故に又足れりとす。喫茶中にとりては取りもなほさず数寄(すき)と云ひ、又侘(わび)ともいふなり。但し侘といふ事、今世の茶人ことさまに工夫して、己は侘を守るなどいふ。是等は皆しひ言にて、ゆめ其輩にくみする事勿れ。法文の知足、是則誠に数寄なり、侘なり。国家遍く喫茶の法行はるゝときは、こゝに記すが如く、上下共に己が身を守り、楽んで憂るものもなく、仇することもなからん。然らば国主も政道に苦心なく、刑罰などの沙汰に及ばず、自ら太平静謐(せいひつ)たるべきものなり。儒道にも、「為(おさ)ムルニ2天下国家ヲ1リ2九経、曰修身也」と云々、修身を以て九経の第一とす。一身は則一心なり。一心の修まらざるものはとても国を治むるに及ばず。一心の修め方も教の正しきも喫茶の道(みち)、主(しゅ)とする所なり。此分にて今問(と)はるゝ喫茶法中、国政の事明なり。しかれども、要(かなめ)とせざるが故に書類にも見えず、又常に問ふ人ありても、さる事なしとのみ答ふるは常なり。是全く秘事などゝ重んじて言ざるにはあらず。此一義ありと云ひ立つるときは、却て大喫茶の法浅きに似たれば、古来論ぜざるなり。依て態(わざ)と云べき事には必しもあらぬを、今問ふ事の切なるに応じて聊(いささか)国政を語るは、只大旨のみなり。猶、儒書などには、此一義を主意として教(おしゆる)もあまたある事なれども、其小則は爰(ここ)に云ふ大旨を出ず、皆此内にこもると知るべきなり。依て説くにも及ばざるか、と語りければ、問ひたる人もさすがに数寄の心がけ篤かりければ、こゝに聊(いささか)胸中の迷も晴れ、猶又問ひけるは、誠に喫茶の法万道を欠かざる本意に違はず、政道の一義満足のだん大に歓喜する所なり。今説き給ふ所は、国中上下共に喫茶に入りて国の静謐なるよしなり。又さほどに茶法の行はれざる時は如何にせん、とあるに又答へていふやう、いかにも上にいふところは、喫茶の法行はれて国家治るの本体をいへるが故に、此の如きなり。又、絶て茶法無きの国界は喫茶法中にあづかり知る所にあらず、依て喫茶を以て論ずるに及ばざるなり。仏すら「無縁の衆生は度し難し」とのたまはずや。又、半(なかば)(おこな)はれて半行はれざる、是当世の有さま、喫茶にも限(かぎら)ざる事、神儒仏を初、万芸万道の内必(かならず)行はるべきほどの尊き教とても、おしなべて行はれざるものにて、唐人云、「道其不ハレ矣」とあるも、歎息の言葉なり。喫茶の法も此類にて、行はれざるにて道の尊きを知るべし。邪路には入り易く、正道には入り難きものなり。猶、喫茶法中にも今は正道と邪路とあれば、あながちには勧めがたし。又、喫茶中に入らずして喫茶の道に自(おのずか)らかなひたるものもまゝあり。是等の事は他日詳しく云ふべし。先上(かみ)に喫茶を嗜むときは其国に幸(さいわい)し、下(しも)に喫茶を嗜むときは、一人(にん)は一人、二人は二人ほど、政治の事なき助となるべし。彼(かの)知足を思ふが故なり。喫茶の法は、前にも云ふごとく、快楽するの道にて、行ひ易き道にはあらずとも、法中に邪道を説く者ありて能く人を導く故に、其説を面白しと是にくみするの類も多く成り行く事、是は喫茶の行はれざるよりも又格別に歎はしきの至極なれば、強て道を広めんともしがたきなり。只、大丈夫の勇将たる身の上にこそ、勧めても此正道の喫茶は知らしめたきものならずや。天下太平、何ぞ是に如(し)かんや。

 



 
  (注) 1.   上記の井伊直弼の「茶道の政道の助となるべきを論(あげつら)へる文」は、日本思想大系38『近世政道論』(奈良本辰也・校注、岩波書店・1976年5月28日第1刷発行)によりました。        
    2.  底本は、『近世政道論』巻末の解題に、「本書の底本としては『井伊大老茶道談』(中村勝麿編、1914年、箒文社刊)によった。中村氏が「此一文、元表題ナシ。今便宜ノメ、文中ノ意ヲ取リテ之ヲ附ス」とされたのにしたがった」とあります。      
    3.  同じく巻末の解題に、次のようにあります。
 「井伊直弼は彦根藩13代藩主、また幕府大老として困難な幕末政局を担当、万延元年(1860)3月、江戸城桜田門外で攘夷派の剣に斃れた。本書は茶道と政道のかかわり如何、の架空の質問者に答え、真正な茶道は大いに政道の助けになるべきものであることを論じたものである。(中略)茶道に関する井伊直弼の全貌は、弘化3年境遇の激変によって彦根藩主になった直後の「茶湯一会集」、これより少し前から書きつづけられていた「閑夜茶話」によって知れる。これらは執筆の時期をおよそ確認できるのに対し、本書は確かでない。(以下略)」
 
    4.  本文中の平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります。(「ことごとしき」「いよいよ」「おのれおのれ」)        
    5.  〇井伊直弼(いい・なおすけ)=幕末の大老。彦根藩主。掃部頭(かもんのかみ)徳川家茂(いえもち)を将軍の継嗣とし、また勅許を待たずに諸外国と条約を結び、反対派を弾圧したので(安政の大獄)、水戸・薩摩浪士らに桜田門外で殺された。(1815-1860)
 〇井伊(いい)=姓氏の一つ。江戸時代の譜代大名。近江彦根藩主。遠江井伊谷
(いいのや)の土豪の出自。直政は徳川家康に仕え、その子直勝は彦根に築城、家督を弟直孝に譲る。以下歴代、掃部頭(かもんのかみ)を称し、5人の大老を出し、幕政の中枢を占める。(以上、『広辞苑』第6版による。)
 
    6.  思想大系本の頭注から、いくつかを引かせていただきます。(詳しくは思想大系本を参照してください。) 
 〇澍露軒=彦根の埋木舎(直弼17~32歳までの住居)の内に設けた直弼の茶室。
 〇炭流れたる=炭が真っ赤におこって燃え尽きていくさまをいう。
 〇烏府=炭入れのこと。
 〇流祖=茶道石州流の流祖・片桐石見守貞昌(1605~73)。
 〇君子素其位而行、~=『中庸』14章にある文。「素」は自覚して安んずる意。引用者注、『新釈漢文大系』(赤塚忠著)では、「素」を「処(おる)」の意とみています。「君子は自分の当面する位置・境遇において道を行うに最善をつくし、みだりに他人の境遇をうらやんで、よこしまな行いにおちいることがない。」
 〇本書=直弼の著作「茶湯一会集」を指すか。
 〇遺教経=仏垂般涅槃略説教誡経ともいう。釈迦がまさに入滅せんとするに際し拘尺那城外で諸弟子を集めて遺言した最後の教え。
 引用者注、「亦不
意」は「亦、意に称(かな)はず」と読むか。
 〇しひ事=誣ひ事。事実をゆがめて強弁すること。
 〇為天下国家~=『中庸』20章。九経として修身についで、尊賢・親親・敬大臣・体群臣・子庶民・来百工・柔遠人・懐諸侯をあげている。
 引用者注、『新釈漢文大系』には、「天下・国家を治めるには、9つもの原則がある。(何かといえば、)それは君主がわが身を正しく修めることであり、賢者を尊ぶことであり、親しいものを親愛することであり、大臣を敬うことであり、多くの臣下を鄭重に待遇することであり、もろもろの民をいつくしむことであり、つかさつかさの工人たちをねぎらいはげますことであり、遠い外国から来服する君をなつけることであり、(また)国内の諸侯を安心させることである」とあります。

 〇道其不行矣=『中庸』5章。引用者注、『新釈漢文大系』には、「子曰、道其不行矣夫。」(子曰く、道は其れ行はれざるかな、と。)とあります。
 〇事なき助=殊なき助。この上ない助け。
 
    7.  資料67に「井伊掃部頭直弼台霊塔について」があります。  
    8.  『国立国会図書館デジタルコレクション』修養史傳 井伊直弼言行録』(武田鶯塘著、東亜堂書房・大正7年4月19日発行)があります。   

  
        
        



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