(注) 1. 上掲の「「花」の碑(武島羽衣詠並書)」の写真は、『桜橋で花を歌う会』というホームページの 管理者の方(熊さん!クマさん!どっと混む。kuma3kuma3.com)から、お許しを得て転載させていただき ました。ここに記して謝意を表します。 また、「「花」の碑・全景」の写真は、同じく「下総の熊可"ゐ」様より頂戴しました。ありがとうござ います。碑の向かって右後方に、台東区教育委員会による「花」の碑の解説板が写っています。 (解説文は注8に掲げてありますので、それをご覧ください。2009年3月30日追記) 2. 歌曲「花」の出典は、共益商社楽器店・明治33年11月発行の、瀧廉太郎(作曲)『四季(花、納涼、 月、雪)』です。(これは、ワイド版岩波文庫『日本唱歌集』(堀内敬三・井上武士編、岩波書店・1991年6月26 日第1刷発行、2001年4月5日第10刷発行)巻末の「参考文献」によりました。) なお、「納涼」は東くめ作詞、「月」は瀧廉太郎作詞、「雪」は中村秋香作詞です。(講談社文庫『日本の唱 歌[上]による。) 3. この「花」の歌詞の筆跡は、碑面に「羽衣詠並書」とある通り、作者・武島羽衣自身によるもの です。 この歌の碑は、隅田川べりの、浅草側の隅田公園内(東京都台東区浅草7-1)に、昭和31 年11月3日に建てられました。 4. 瀧廉太郎 の曲でよく知られているこの歌は、作曲者自身が芸術的な日本歌曲の第1号として 発表したものといわれ(講談社文庫『日本の唱歌[上]』の金田一春彦氏の解説)、そのすぐれた旋律は 今もなお多くの人によって愛され歌い続けられています。 5. 「のぼりくだりの船人が」の「が」について。 この「船人が」の「が」は主格助詞ではなく、連体格助詞です。つまり、「船人が櫂」で、「船人 の櫂」(船人の持つ櫂)という意味になるわけです。したがってここの意味は、「船人の手にする 櫂から滴り落ちる滴(しずく)も花のように散る、この眺めを、何に譬えたらよいであろうか、譬え るものもないすばらしい眺めである」ということになります。 6. 武島羽衣(たけしま・はごろも)=歌人・詩人。名は又次郎。東京生れ。東大卒。塩井雨江・大 町桂月らとともに赤門派(大学派)の詩人・美文家として知名。共著「美文韻文花紅葉」 など。(1872~1967) (『広辞苑』第6版による) 武島羽衣(たけしま・はごろも)=(1872-1967)歌人・国文学者。東京生まれ。本名、又次 郎。東大卒。古典的な美文をもって知られ、滝廉太郎作曲「花」の詩は有名。著「霓裳 (げいしよう)微吟」「国歌評釈」など。 (『大辞林』第2版による) 武島羽衣(たけしま・はごろも)=明治5・11・2-昭和42・2・3(1872-1967) 歌人、詩 人。本名又次郎。東京生れ。東大国文科卒。東京女高師、日本女子大に教鞭をとった。 塩井雨江、大町桂月らとともに大学派の詩人、美文家として知られた。共著『美文韻文花 紅葉』(明29刊)、『新撰詠歌法』(明32刊)、『国歌評釈』(3巻、明32-33刊)、詩文 集『美文韻文霓裳(げいしょう)微吟』(明36刊)などがあり、『天然の美』の作詞者でもある。 御歌所寄人(おうたどころ・よりうど)ともなったが、作風は旧派の域を出ていない。(石丸 久) (『増補改訂新潮日本文学辞典』1988年による) 引用者注:ここに『天然の美』とあるのは、「美しき天然」のことであると思われます。 空にさへづる鳥の声 峯より落つる滝の音、 大波小波鞺鞺と 響き絶えせぬ海の音、 聞けや人々面白き 此の天然の音楽を。 調べ自在に弾き給ふ 神の御手の尊しや。 (「美しき天然」1番の歌詞) 7. なお、武島羽衣の作詞では、この「花」のほか、上にも出た「美しき天然」(作曲・田中穂積)が よく知られていますが、「文部省唱歌の中にも作があるはずであるが、今はどれがそうか不明」 と、『日本の唱歌[上]』にあります。 8. 「花」の碑の向かって右後方に、台東区教育委員会の立てた解説板があります。(お断り:引用 者が漢数字を算用数字に改めてあります。)
花の碑 台東区浅草7丁目1番 春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が…… 武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲「花」。本碑は、羽衣自筆の歌詞を刻み、昭和31年11月3 日、その教え子たちで結成された「武島羽衣先生歌碑建設会」によって建立された。 武島羽衣は、明治5年、日本橋の木綿問屋に生まれ、赤門派の詩人、美文家として知られ る人物である。明治33年、東京音楽学校(現、東京芸術大学)教授である武島羽衣と、同校 の助教授、滝廉太郎とともに、「花」を完成した。羽衣28歳、廉太郎21歳の時であった。 滝廉太郎は、作曲者として有名な人物であるが、よく知られているものに「荒城の月」「鳩 ぽっぽ」などがある。「花」完成の3年後、明治36年6月29日、24歳の生涯を閉じた。 武島羽衣はその後、明治43年から昭和36年退職するまでの長い間、日本女子大学で 教鞭をふるい、昭和42年2月3日、94歳で没した。 手漕ぎ舟の行き交う、往時ののどかな隅田川。その情景は、歌曲「花」により、今なお多く の人々に親しまれ、歌いつがれている。 台東区教育委員会
引用者注:ここに挙げてある瀧廉太郎の作曲した「鳩ぽっぽ」という歌は、東(ひがし)くめ作詞の「鳩 ぽっぽ 鳩ぽっぽ ポッポポッポと 飛んで来い お寺の屋根から 下りて来い 豆をやるから み な食べよ 食べても直(すぐ)に 帰らずに ポッポポッポと 鳴いて遊べ」という歌詞に作曲したも ので、『幼稚園唱歌』(明治34年7月刊)に収められているものです。文部省唱歌の「鳩」(作詞者・ 作曲者ともに不詳。 ぽっ ぽっ ぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか、そらやるぞ。みんなで仲善く食べに 来い。)という歌とは違います。 なお、東くめ作詞の歌としては、他に「もういくつ寝ると お正月 お正月には 凧あげて……」の 「お正月」(同じ『幼稚園唱歌』所収)があり、これも瀧廉太郎の作曲によるものです。
〇 『台東区文化ガイドブック・文化探訪』というサイトに、『台東区の史跡・名所案内』があり、 その中に「花の碑」のページがあって、そこにも同じ解説文が出ています。 (『台東区文化ガイドブック・文化探訪』 → 『台東区の史跡・名所案内』 → 史跡 → 「浅草・花川戸・雷門」 → 花の碑) 9. 『ごんべ007の雑学村』というサイトに「なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・歌謡・寮歌・民謡」 があり、そこで瀧廉太郎作曲の「花」のメロディー(MIDI)を聴くことができます。 曲名索引 → 「は」 → 「花(春のうららの隅田川)[歌詞と演奏]」 → 「花」 (引用者注:ここの歌詞に「櫂(かひ)」と振り仮名がありますが、櫂の正しい歴史的仮名遣いは「かい」です。これは 元にした本に「かひ」とあったのに従ったものでしょう(例えば、岩波文庫『日本唱歌集』など)。原本にどうなってい るのかは確認していませんが、「花」の碑にある作者自身の筆跡には、正しく「かい」となっています。) 10. MP3というファイル形式で、瀧廉太郎作曲の「花」のメロディー(組歌「四季」の全曲(花・納涼・ 月・雪)のメロディーも)を聴くことができます。 『あそびの音楽館』 → 作曲家別作品一覧 → 「T」をクリック → 瀧廉太郎・組歌「四季」 → 「花(Hana)」または「組歌「四季」・全曲連続再生」 (組歌「四季」の全曲(花・納涼・月・雪)のメロディーを、ぜひ聴いてみてください。) 11. 『朋盟のホームページ』というサイトに「愛唱歌歌詞解説」のページがあり、そこに「花」の歌詞 解説があって参考になります。 12. 「花」の碑の碑陰の文字を写しておきます。
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昭和三十一年十一月三日 武島羽衣先生歌碑建設会建之
武島羽衣先生の我国詩界 に於ける業績を記念せんとして われ等この歌碑を建つ
設計 龍居松之助
(枠外) 向島永楽園永井 東京谷中石六刻 |
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