資料267 幽谷藤田先生墓誌銘
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幽谷藤田先生墓誌銘 |
(注) | 1. | 上記の「幽谷藤田先生墓誌銘」は、『會澤正志齋文稿』(名越時正編、国書刊行会・平成14年9月21日初版第1刷発行)掲載のものによりました。 ただし、本文に施されている返り点は、これを省略しました。文中には9字の闕字があります。 |
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2. | 会沢正志斎は、この「幽谷藤田先生墓誌銘」の他に、「幽谷先生次郎左衛門藤田君墓表」も書いています。 | |||
3. | 「幽谷先生次郎左衛門藤田君墓表」が資料268にあります。 | |||
4. | 藤田幽谷の墓は、水戸市松本町の常磐共有墓地にあります。 | |||
5. | 〇藤田幽谷(ふじた・ゆうこく)=江戸後期の儒学者。名は一正。水戸の商家生れ。東湖の父。立原翠軒に学び、18歳で「正名論」を著し、水戸学の立場を確立。のち翠軒と対立。彰考館総裁。著「修史始末」「勧農或問」など。(1774~1826) 〇会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)=江戸後期の儒学者。名は安(やすし)。水戸藩士。藤田幽谷に学ぶ。彰考館総裁・弘道館総教。著「新論」で尊王攘夷を唱え、幕末期の政治運動に大きな影響を与えた。(1782~1863)(以上、『広辞苑』第6版による) |
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