(注) 1. 上記の二葉亭四迷訳「あひゞき(改譯)」は、筑摩書房版『二葉亭四迷全集 第二巻』(昭 和60年1月30日初版第1刷発行)によりました。 2. この「あひゞき(改譯)」は、明治21年7月(第3巻第25号)と8月(第3巻第27号)の『国民 之友』に掲載された「あひゞき」を改訳して、明治29年11月に春陽堂から刊行された翻訳集 「片戀」に収録したものです。初訳と改訳との間にはかなりの相違があります。 (明治29年11月13日に春陽堂から発行された『片戀』は、『近代デジタルライブラリー』で、画像で見る ことができます。注の9を参照してください。) 3. 本文中の平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名を当てて表記して あります。(「をりをり」「そよそよ」「むらむら」など) 4. 本文中に白抜き点が使用してあるのですが、これをうまく表示できないので、ここでは、読 点を少し大きくして、かつ太字(、)にして、白抜き点の替わりにしてあります。 なお、筑波大学比較・理論文学会の「文学研究論集」12号(1995年5月20日発行)に掲 載されている岡田和子氏の「二葉亭四迷の『めぐりあひ』とロシア語原文における句読点の 比較─明治時代の洋語学習と《白抜き点》─」の中に、次のような記述があります。これは 「めぐりあひ」(『都の花』第1巻第1号─第2巻第6号(明治21年10月─22年1月)所載)についての記述 ですが、参考までに引用しておきます。(詳しくは同論文をご覧ください。) 明治になって、この句読点に新たな工夫を試みたのが、二葉亭四迷である。彼は、周知 の如く、明治19年に山田美妙等と言文一致運動を起こし、新しい日本語の文体を模索す るとともに、欧文翻訳の際、句読点にまで注意を払い、《.》と《。》、《,》と《、》を対応させ、 更に《:/;》に対して《※》(白抜き点)を試みた。即ち、セミコロン等による半独立文の連 続するロシア語の文章を、意味のみならずその構造をも訳出しようと考えたのである。 (17頁) 注 :原文には、※のところに白抜き点が印字されています。 5. 明治21年の「國民之友」に発表された「あひゞき」の本文が、資料245 二葉亭四迷訳「あ ひびき」(ツルゲーネフ)にあります。 6. 明治書院版の『現代日本文学大事典』(久松潜一ほか4氏編集、昭和40年11月30日初版 発行)の「あひゞき」の解説には、次のようにあります。 ……ツルゲーネフ原作の、ロシアの農村に取材した散文詩風の短編小説集『猟 人日記』(1847~52)の中の一編。29年11月春陽堂刊行の翻訳集『かた恋』に収 めるにあたって全面的に改訳したが、多くの明治作家たちにいちじるしい影響を与 えたのは、初出の訳文である。この一編は、若い男女の心理の機微を自然のうつ ろいを背景にさわやかにえがいているが、原作の音調や句切りにまで注意をくばり ながら、自由な洗練された口語文によってその妙味を移植しようとした翻訳文学中 の画期的な佳品である。正宗白鳥は、日本の近代文学は、この一編からはじまる とさえいっている。(後略)〔稲垣達郎〕 7. 二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)=小説家。本名、長谷川辰之助。江戸の生れ。東 京外語中退。坪内逍遙に兄事。1887年(明治20)「浮雲」を書き、言文一致 体の文章と優れた心理描写とで新生面を開いた。ロシア文学の翻訳にも秀で、 「あひゞき」などの名訳がある。ほかに「其面影」「平凡」など。1908年ロシアに 赴き、病を得て帰国の途中インド洋上に没。(1864~1909) ツルゲーネフ(Ivan S.Turgenev)=ロシアの小説家。短編集「猟人日記」は農奴制 に対する文学的抗議と受け止められた。「貴族の巣」「その前夜」「父と子」な どの長編で時代の変動と知識人の精神史を描く。その他「初恋」「アーシャ」 (二葉亭四迷訳「片恋」)、「散文詩」など。トゥルゲーネフ。(1818~1883) (以上、『広辞苑』第6版による。) 8. 現代かなづかい表記による「あいびき」が青空文庫にあります。この青空文庫の本 文は、集英社版『日本文学全集1 坪内逍遥・二葉亭四迷集』(1969(昭和44)年12 月25日初版発行)によったものです。 9. 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、明治29年11月13日春陽堂発行の ツルゲーネフ著・二葉亭四迷訳『片恋』が入っており、その中に「片恋」の他に「奇 遇」「あひゞき」の2編が収録されています。(「あひゞき」は、104-115 / 148)
|