資料232 小野篁広才の事(宇治拾遺物語より)
小野篁広才の事 宇治拾遺物語より
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今は昔、小野篁といふ人おはしけり。嵯峨の帝の御時に、内裏(だいり)にふだをたてたりけるに、無惡善と書きたりけり。帝、篁に、「よめ」とおほせられたりければ、「よみはよみ候(さぶら)ひなん。されど恐(おそれ)にて候へば、え申(まうし)さぶらはじ」と奏しければ、「たゞ申せ」と、たびたび仰(おほせ)られければ、「さがなくてよからんと申し(まうし)て候ぞ。されば君をのろひ參らせて候なり」と申し(まうし)ければ、「おのれはなちては、たれか書かん」と仰(おほせ)られければ、「さればこそ、申さぶらはじとは申て候つれ」と申に、御門「さて、なにも書きたらん物は、よみてんや」と、おほせられければ、「何にても、よみさぶらひなん」と申ければ、かた假名のねもじを十二書かせて、給(たまひ)て、「よめ」とおほせられければ、「ねこの子のこねこ、しゝの子の子じゝ」とよみたりければ、御門ほゝゑませ給て、ことなくてやみにけり。 |
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(注) 1. 上記の「小野篁廣才の事」の本文は、日本古典文学大系27「宇治拾遺物語」 |