|
(注) |
1. |
この「ケーベル先生」という文章は、『漱石全集 第八巻』小品集(岩波書店、昭和41年7月23日発行)によりました。
|
|
|
|
|
2. |
全集の本文は総ルビになっていますが、ここでは一部を除いて省略しました。 |
|
|
|
|
3. |
平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に置き換えてあります。(「がたがた」「みづみづ」「はたはた」)
|
|
|
|
|
4. |
全集巻末の「注解」に、ケーベル先生について、「哲学者。ロシヤに生れ、ドイツに赴き哲学および文学を修めた。明治26年東京帝国大学教師となり、西洋哲学を講ずる傍ら、好んでギリシャ語・ラテン語を教えた。退職後は横浜の友人の邸内に仮寓し、東京音楽学校でピヤノを教えたこともある。彼の広い教養と高潔な人格は多くの人に影響を与えた。(後略)」とあります。
また、「安倍君」は、門下生安倍能成のこと。「紀元前の半島の人」は、ギリシャ人のこと。「卓を囲んだ四人(よったり)」とは、ケーベル博士・漱石・安倍能成・久保勉(まさる)のこと。「深田教授」は、京都帝国大学教授であった深田康算のこと、とあります。
なお、文末にある「先生が引用したポーの句」については、「ポーの詩「大鴉(“The
Raven”)」中の句をさしたものであろう」としてあります。詳しくは、同全集の「注解」66~567頁を参照してください。
(参考:フリー百科事典『ウィキペディア』に「大鴉」の項があります。)
※ 明治44年7月10日の漱石の日記に、ケーベル先生を訪問した折の詳しいメモがあるそうです。(『漱石全集 第13巻』(日記及断片)からその部分を引用しておきます。)
明治44年7月10日[月]
晴。暑甚。朝 社の會議に行く。歸つて長椅子の上でぼんやりしてゐた。五時頃車で安倍の家へ行く夫からケーベル先生の宅へ行く。御茶の水で電車を降りて先生の家の前迄來ると、高い二階の窓から先生の頭が出てゐる。烟草の烟りが見える。入口で安倍が久保君々々々と云ふ。久保君は海軍中尉であつたが軍人をやめて大學へ來て哲學を研究してゐる。久保君が二階へ上つて行くと、先生が高い處から降りて來た。 ミスター ナツメ、アイ アム グラツド ツー シー ユーと云ふ。階子段の下で握手をして二階へ上る。先生の書齋は大きなテーブルがあつて本があつて古い椅子が二三脚ある。頗る古びてゐる。少しも雅な所も華奢な所もない。たゞ荒凉の感がある。先生は縮のシヤツにケンドンの上衣をきた丈である。襟さへ着けてゐなかつた。「君が盛装してゐるのに私はこんななりで」と云はれた。
○「ハーン」の話 アブノーマル
○「ウード」の話
○昔しケーベル先生の處へ行つて置いてもらへと牧(原)巻から云はれた話、
○十八年日本にゐるといふ話、失望ハシナイ、大ナル豫期を持つて來なかつたからと云ふ話
○圖書舘とコンサートと芝居がなくて日本は困る丈だと云ふ話
○日暮が庭の樹に鳴く話 日暮が好だと云ふ話 トカゲが美くしいと云ふ話
○ロシア人には日本人によく似た顔があるといふ話。三十年前の寫眞
○烏が凍へ死んだ話
下の食堂に行く白布がない。四人一方に一人づゝ坐る。何を飲むジン、ブランデー?と聞かれる。余は葡萄酒とビールを飲んだ。
○梟が好きだと云ふ話
蝙蝠が好きだと云ふ話。羽はデヸルの羽だ。
○椿がきらひの話。菊は紙造りの樣だと云ふ話、リヽーオフゼヷレーの好きな話。
○日本の果物は林檎丈食へる。他は駄目だと云ふ話
○今から百年したら日本にオペラが出來るだらうと云ふ話。
○日本で音樂家の資格あるものは幸田だけだ。尤もピやニストと云ふ意味ではない。たゞ音樂家と云ふ丈だ。日本人は指丈で彈くからだめだ。頭がないから駄目だ。
○自分が音樂をやるといふ事は日本へ來たら誰にも知らせない筈だつた。處がどうしてかそれが知れた。然しもう近頃は斷然どこへも出ない事に極めた。自分で獨り樂しむ丈である。音樂學校は音樂の學校ぢやない、スカンダルの學校だ。第一あの校長は駄目だ。
○ブラウニングは嫌だ。ウオヅウオースの哲學の詩は全く厭だ。ポーは好だ。ホフマンは猶好だ、新らしいのはあまり好かない。アンドレーフは厭だ。チエホフは非常に立派な文體だ。
○自分が日本を去れば永久に去る。一寸歸國などはしない。
○自分のやつてゐる仕事はすきだ。自分の書生が好だ。淋しい事はない。散歩つて、何處へ散歩する。町へも出られまい。本を讀んでゐる丈だ
○メレジコースキーのアレキザンダーと云ふ小説をよんだ。甚だ佳い。
○コフヒーが、凡ての飲料のうちで一番好きだ。此間和蘭公使館で飲んだコフヒーが一番上等である。
○儀式は大嫌だ。あしたも卒業式があるが無論缺席をする。どうも三時間も立つてゐるのは敵はない。もつた(原)簡單に出來る事をわざわざあんなに面倒にする。
|
|
|
|
|
5. |
ケーベル(Raphael Koeber)=哲学者・音楽家。ドイツ系ロシア人。ドイツで哲学を学んだ。1893年(明治26)来日、東京大学で西洋哲学・ドイツ文学・古典語学を講じ、また、東京音楽学校でピアノを教授。(1848~1923)(『広辞苑』第6版による)
ケーベル先生のお墓は、漱石のお墓と同じく雑司ヶ谷墓地(現:雑司ヶ谷霊園)にある由です。 |
|
|
|
|
6. |
『東北大学百年史編纂室ニュース』第3号(1999.1.31)に「点描・百年史ケーベル先生と東北大学」があって、参考になります。
|
|
|
|
|
7. |
東北大学附属図書館の特殊文庫の一つに「ケーベル文庫」があります。これは、ケーベル先生の晩年、10年にわたり先生と起居を共にされた、先生の最も身近な弟子である久保勉(くぼ・まさる)・東北大学法文学部哲学教授(1883~1972)が、先生から継承した先生の蔵書を東北大学に将来された(昭和17年3月)ものの由です。
蔵書の内容は、ギリシャ・ラテンの古典学を中心に、哲学・文学関係の図書が多数を占める、ということです。
○
『主要特殊文庫紹介』に、「23.ケーベル文庫」があります。
|
|
|
|
|
8. |
久保勉(くぼ・まさる)著『ケ-ベル先生とともに』 (岩波書店 1951)がありますが、どういうわけか、岩波書店のホームページには出て来ません。現在、絶版のようです。 |
|
|
|
|
9. |
岩波文庫『ケーベル博士随筆集』(久保勉 訳・編、1957年11月25日発行)がありますが、現在品切で重版未定の由です。(2007年8月6日現在) |
|
|
|
|
10. |
フリー百科事典『ウィキペディア』に「ラファエル・フォン・ケーベル」の項があります。
|
|
|
|
|
11. |
ケーベル会による『ケーベル先生とともに』というホームページがあります。
|
|
|
|
|
12. |
『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というサイトの「会ってみたいな、この人に」(銅像巡り・
銅像との出会い)の中に、東京都新宿区早稲田南町の漱石公園(漱石山房跡)にある「夏目漱石の胸像」の写真や、漱石誕生の地の紹介などがあります。 |
|
|
|
|
13. |
ケ-ベル先生について書いた寺田寅彦の随筆「二十四年前」が、『青空文庫』に入っています。 『青空文庫』
→ 寺田寅彦「二十四年前」 |
|
|
|
|
14. |
資料207に「夏目漱石「ケーベル先生の告別」「戦争から来た行違ひ」 」があります。 |
|
|