資料19 ポツダム宣言(米、英、支三国宣言) 




       米、英、支三国宣言
             
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)


     一  吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート、ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
     二  合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国ガ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ聨合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
     三  蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レザル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スベク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スベシ
     四  無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国ガ引続キ統御セラルベキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国ガ履ムベキカヲ日本国ガ決定スベキ時期ハ到来セリ
     五  吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ
     六  吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ
     七  右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確證アルニ至ル迄ハ聨合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ
     八  「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
     九  日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ
     十  吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ
    十一  日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ
    十二  前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聨合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤收セラルベシ
    十三  吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス
右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス


  (注) 1.  上記の「ポツダム宣言」の本文は、外務省ホームページの中にある「外交史料館」の「日本外交文書デジタルコレクション 太平洋戦争 第3冊」に、「七 終戦外交と降伏調印」があり、その「四 ポツダム宣言の受諾(PDF)」に(付記)として「ポツダム宣言(米、英、支三国宣言)」 が出ているその本文によりました。

 →「外交史料館」
 →『日本外交文書 太平洋戦争 第三冊 外務省』
 → 「外交史料館」の「日本外交文書デジタルコレクション 太平洋戦争 第3冊」
 →「四 ポツダム宣言の受諾(PDF)」
 →「ポツダム宣言(米、英、支三国宣言)6~7/50に出ています。

   
    2.  本文の漢字は、ほぼ常用漢字に改めました。
   ほぼ旧漢字を用いた本文が、資料19‐2にあります。
  → 19-2 ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)本文旧漢字
   
    3.  〇ポツダム(Potsdam)=ドイツ東部、ブランデンブルク州の州都。ベルリンの南西に位置する。サンスーシ宮殿ほか多数の離宮・別荘は世界遺産。人口16万4千(2015)。
 〇ポツダム会談=1945年7月17日~8月2日、ポツダムにアメリカ合衆国・イギリス・ソ連三国の巨頭が会して、ヨーロッパにおける第二次大戦の事後処理について協定を結んだ会談。対日戦についてはポツダム宣言が合意された。
 〇ポツダム宣言=1945年7月26日、ポツダムにおいてアメリカ合衆国・中華民国・イギリス(後にソ連が参加)が日本に対して発した共同宣言。降伏を勧告し、降伏条件と戦後の対日処理方針とを定めたもので、軍国主義的指導勢力の除去、戦争犯罪人の厳罰、連合国による占領、領土の制限、日本の徹底的民主化などを要求。日本ははじめこれを無視したが、原子爆弾の投下、ソ連の参戦により同年8月14日受諾し、太平洋戦争が終結。
  (以上、『広辞苑』第7版によりました。)  
   
    4.  ポツダム宣言の英文(全文)は、資料21のポツダム宣言(英文)をご覧ください。        
    5.  資料57にカイロ宣言」があります。    







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