資料185 矢田部尚今「グレー氏墳上感懐の詩」(『新体詩抄』より)



 

 

 

 

 

我邦ニ於テハ西洋ノ詩歌ヲ飜譯スル人甚ダ少ナシ葢シ
其趣向ノ我詩歌ト同ジカラザルガ爲メナルベシ又適々飜
譯スル人アルモ之ヲ支那流ノ詩ニ摸擬スルガ故ニ初學
ノ輩ハ解スルコト能ハス余之ヲ慨スル久シ以爲ク西洋人
ハ其學術極メテ巧ニシテ精粗到ラザル所ナシ其詩歌ニ
於テモ亦之ト均ク能ク景色ヲ摸寫シ人情ヲ穿チ讃賞ス
可キモノ多シ且ツ其句法萬種ニシテ韻ヲ蹈ムモノアリ
蹈マザルモノアリ緩漫ナルモノアリ疾急ナルモノアリ
其語勢ノ變化殆ド捉摸ス可ラズ而シテ其言語ハ皆ナ平
常用フル所ノモノヲ以テシ敢テ他國ノ語ヲ借ラズ又千
年モ前ニ用ヒシ古語ヲ援カズ故ニ三尺ノ童子ト雖モ苛
クモ其國語ヲ知ルモノハ詩歌ヲ解スルヲ得ベシ加之西
洋人ハ短キ詩歌ヲ好マザルニハ非レドモ亦長篇ヲ尚ビ
尋常ノ日本書ノ如キ薄キ册子ヲ以テスレバ一篇ニシテ
十餘册ニモ上ルモノ少ナシトセズ頃ロ學友ゝ山仙士ト
相謀リ吾人日常ノ語ヲ用ヒ少シク取捨シテ試ニ西詩ヲ
譯出セリ余素ヨリ詞藻ニ乏シト雖モ既ニ譯シ得ル所數
篇ニ至ルヲ以テ今其一ヲ擧ゲテ江湖諸彦ノ高覧ニ供ス
幸ニ其詞藻ノ野鄙ナルヲ笑フナカレ
               尚 今 居 士 識

 

 



      
グレー氏墳上感懐の詩  
                     
山々かすみいりあひの    鐘はなりつゝ野の牛は
徐に歩み歸り行く      耕へす人もうちつかれ
やうやく去りて余ひとり   たそがれ時に殘りけり

四方
(よも)を望めば夕暮の  景色はいとゞ物寂し
唯この時に聞ゆるは     飛び來る蟲の羽の音
遠き牧場のねやにつく     羊の鈴の鳴る響

猶其外に常春藤
(つた)しげき 塔にやどれるふくろふの
近よる人をすかし見て    我巣に寇をなすものと
訴へんとや月に鳴く     いとあはれにも聲すなり

かしこには楡
(にれ)又こゝに あらゝぎの木ぞ生茂る
其下かげにうづだかく    苔むす土の覆ひたる
(あな)に埋まれこの村の  古(ふる)人長く打眠る

のきの燕もにはとりも    木魂に響く角笛
(くだぶえ)
あさぼらけにぞなりぬれば  かまびすしくはありつれど
冥土
(よみぢ)の人の眠をば   覺すことこそなかりけれ

死にたる人のはかなさよ   身を暖むる爐火
(いろりび)
妻のよなべも誰
(た)が爲めぞ 愛(めづ)るわらべがかたことに
(てゝ)の歸りをよろこびて 小膝にすがることもなし

曾てこの世に居
(ゐ)し時は  麥も小麥も其鎌に
山もはたけも其くはに    手荒き馬も其むちに
繁れる森も其斧に      まかせて君が儘なりき

功名とても浮雲の      過るが如きものなれば
この古人の世の益と     ほねをりするも不運をも
わびしき妻子の暮しをも   笑ふべきにはあらずかし

富貴門閥のみならず     みめうつくしきをとめこも
浮世の榮利
(えのり)多けれど   いつか無常の風ふかば
草葉の露もおろかなり    黄泉
(よみぢ)に入るの外ぞなき

苔にうもれし古人は     墓場の上に寺をたて
あたりまばゆき屋の内に   頌歌の聲に合すなる
樂器の音を聞ずとも     身の不とな思ひそよ

ひつぎ肖像美を盡し     人の尊敬多くとも
ひとたび絶えし玉の緒を   つなぎとむべき術
(すべ)はなし
へつらふ人のほめ言も    長き眠は覺すまじ

考へみれば廢れたる     此古墳
(ふるづか)の古人も
世にすぐれたる量ありて   國を治むるを具し
詩文の才も多けれど     あらはれずして失せける歟

學びの海は廣けれど     わたる船路を知らざれば
心の性
(さが)は賢きも    身は賤しくて貧なれば
世のほまれをば聞かずして  空しく鄙
(ひな)に終りけり

深き水底
(みなそこ)求むれば  輝く珠も有るぞかし
高き峯をば尋ぬれば     かをる木草の多けれど
千代の八千代の昔しより   人に知られで過ぎにけり

(げ)に此墓に埋もれて   業(わざ)はおとるもハムデンに
詩は拙くもミルトンに    國に軍を擧ずとも
クロムエルにも比ぶべき   人のかばねやあるならん

議院の議士を服さしめ    人のおどしも外
(よそ)に見る
國の安危を身に委ね      高き譽望を民に得る
此等のわざはおしなべて   古人何ぞあづからん

惠みはひろく及ばねど    又常々のふるまひに
不もいとゞ少なしや    人を殺して王となり
民をなやめて利をあみす   夢にもみまじさることは

まことをかくすそら言に   恥るを忍ぶ心の苦
且つ巧なる詩文もて     富貴に媚る世のならひ
是は都の弊なれど      未だ此地に及ぼさず

此處
(こゝ)に生れて此處に死に  都の春を知らざれば
其身は淨き蓮
(はす)の花    思ひは罎瓩觸の月
(げ)に厭ふべき世の塵の  心に染みしことぞなき

されど收めしなきがらの    しるしの爲と側近く
建し石碑は今もあり      文は拙く彫
(え)りざまは
醜しとてもたび人の      憐を爭で惹かざらん

碑面にえれる名に年齡
(とし)に  記しゝ文字は拙くも
記念の功は有ぞかし      又有がたき經文の
文句を引きてえりたるは    人に無常を諭す爲め

葢し此世に生れ來て      程なく死るその時に
別れの惜しきこともなく    浮世の花お榮をば
心の外に打捨てゝ       去り行く人はなかるべし

眼の光り止むときは      戀しかるらん身のやから
たましい体を去るときは     いたく慕はん妻子ども
たとひ燒くとも埋むとも    人の思ひは消えはせじ

偖又此に古人の        いはれは書けど余とても
いつか歸らぬ旅にたち     過ぎ行く後は世の人の
如何せしやと思ひやり     たづぬることも有るならん

しからん時は此さとの     頭に霜を重ねたる
老人斯くぞ曰ふならん     我儕
(わなみ)は彼れが朝早く
昇る旭を見ばやとて      岡に登るを常に見き

又彼處なる川ばたの       枝伸び垂れし山毛欅
(ぶな)の木の
わだかまりたる根の側に    身を横たへて晝いこひ
流るゝ水に打臨み        其常なきをかこちけん

又彼處なる常葉木の       木立の下にさまよひて
かしら傾けうでを組み      知る人なさの歎かしさ
とゞかぬ戀の口惜しさ     世のうさ抔をかこちけん

さるにひと日は彼の人を     慣れし岡にも樹陰にも
絶て見ることなかりけり    其翌朝になりぬれど
野にも森にも川邊にも     身をば現はすことぞなき

又其次の朝ぼらけ        屍送る歌きけば
まさしく彼の爲めなりき    君は字を知る人なれば
彼の山櫨
(さんざし)の陰にある  碑文を讀みて識りたまへ


   碑 文

土に枕しこの下に       身をかくしたる若人
(わかうど)
富貴名利もまだ知らず     學びの道も暗けれど
あはれ此世を打捨て      あの世の人となりにけり

仁惠深き人なれば       天も憫み報いけり
憂き人見れば涙ぐむ       (外に詮すべなき故に)
ひとりの友のありしとよ     (外に望みはなかるらん)

これより外に此人の      善し惡し共になほ深く
尋るとても詮はなし      たましひ既に天に歸し
後の望みをいだきつゝ     神にまぢかく侍るなり



 
 

 

          (注) 1. 上記の訳詩の本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の
          『新体詩抄 初篇』(東京 丸屋善七、明治15年8月刊)によりました。
            改行は原文の通りにしてあります。
         2. 『新体詩抄 初篇』は、扉には「明治十五年七月刊行」とありますが、奥付
          には「明治十五年八月出板」とあります。「明治十五年八月」が正しいそうで
          す。また、「初篇」とありますが、二篇以降は刊行されなかったそうです。
         3. 詩の作者は、イギリスの詩人・学者トーマス・グレイ(1716−1771)。詩の
           原題は、“Elegy Written in a Country Churchyard”。訳者矢田部尚今(やた
           べ・しょうこん)は本名、良吉。明治15年、矢田部が東京大学理学部教授の
           時に、同僚外山正一(ゝ山・ちゅざん)・井上哲次郎(巽軒・そんけん)ととも
           に『新体詩抄』を公刊しました。
                       『日本現代詩大系 第一巻』
(河出書房、昭和25年9月30日発行)巻末の解説によ
           れば、公刊当時、外山は社会学担当の教授で数えで34歳、矢田部は理科
           (植物学担当)の助教授
(引用者注:教授では?)で31歳、井上は東洋哲学担当
           の助教授で27歳だった、とありますが、新日本古典文学大系明治編12『新
           体詩 聖書 讃美歌集』
(岩波書店、2001年12月17日第1刷発行)によれば、外山
           は東京大学文学部教授として心理学・英語を担当、『新体詩抄』出版当時は
           文学部長、矢田部は東京大学理学部教授(植物学担当)だったとしてありま
            
           
す。(ただし、『新体詩 聖書 讃美歌集』には、『新体詩抄』は取り上げてありません。)
             
なお、外山・矢田部・井上3氏の経歴については、注の8を参照してくださ
           い。
         4. 『新体詩抄』は、 明治15年に刊行された、明治の新体詩の始祖とされる詩
          集です。
             『新体詩抄』=外山正一・矢田部良吉・井上哲次郎共著の新体詩集。
                   1882年(明治15)刊。イギリス・フランスの詩の翻訳14編
                   と創作詩5編を集めた明治新体詩の始祖。 
                                         
(『広辞苑』第6版による)
                  ※ 創作詩5編とあるのは、次の5編です。
                         「抜刀隊の詩」(ゝ山仙士)
                         「勧学の歌」(尚今居士)
                         「鎌倉の大仏に詣でゝ感あり」(尚今居士)
                         「社会学の原理に題す」(ゝ山仙士)
                         「春夏秋冬の詩」(尚今居士)
                     14編の翻訳の詩も、あげておきましょう。
                         「ブルウムフ
ールド氏兵士帰郷の詩」(ゝ山仙士)
                         「カムプベル氏英国海軍の詩」(尚今居士)
                         「テニソン氏軽騎隊進撃ノ詩」(ゝ山仙士)
                         「グレー氏墳上感懐の詩」(尚今居士)
                         「ロングフェルロー氏人生の詩」(ゝ山仙士)
                         「玉の緒の歌」(巽軒居士)
                         「テニソン氏船将の詩」(尚今居士)
                         「チヤールス、キングスレー氏悲歌」(ゝ山仙士)
                         「高僧ウルゼーの詩」(尚今居士)
                         「シヤール、ドレアン氏春の詩」(尚今居士)
                         「ロングフェロー氏児童の詩」(尚今居士)
                         「シェーキスピール氏ヘンリー第四世中の一段」(ゝ山仙士)
                         「シェークスピール氏ハムレット中の一段」(尚今居士)
                         「シェーキスピール氏ハムレット中の一段」(ゝ山仙士)
                       なお、巽軒居士の「玉の緒の歌」は、ゝ山仙士の訳した「ロングフェル
                      ロー氏人生の詩」と同じ詩を訳したものです。

             
日本近代文学大系 52『明治大正譯詩集』(角川書店、昭和46年8月10日初版発行・
            平成元年11月10日5版発行)
の巻頭に、吉田精一氏が「明治大正訳詩集解説」を書
           いておられます。ここに、『新体詩抄』についての分かりやすい解説があって参考
           になります。
         5.  (1) 詩の「前書き」後半に「頃ロ學友ゝ山仙士ト相謀リ」とある「頃ロ」は、『日本
              現代詩大系 第一巻』
(河出書房、昭和25年9月30日発行)には「頃日」としてある
              のですが、日本近代文学大系 52『明治大正譯詩集』
(角川書店)では「頃(この
                    ご)
ロ」となっています。日本近代文学大系の本文で見る限りでは、「ロ」は漢
              字の「口」(くち)に見えるのですが、上記本文には片仮名の「ロ」にしておき
              ました。 
(2012年7月26日訂正)
            (2) 第1節に「耕へす人もうちつかれ」とありますが、この「耕へす(たがえす)」
               については、関良一氏の『近代詩』(近代文学注釈大系、有精堂・昭和38年
              発行)の頭注に、<「耕へす」─「耕やす」の古語>とあり、『広辞苑』第五版
              に、「[他四](田を返す意)田畑を掘り返す。たがやす。東大寺諷誦文稿「歴
              山に耕
タカヘして」」と出ています。
             (3) 第5節に「あさぼらけにぞなりぬれば」とあるのは、原文に「……なりねれ
              ば」となっているのを、誤植とみて直しました。
            (4) 第23節の「たましい」は原文のままにしてあります。
            (5) 詩の題の「墳上」について、<「墳上」は墳墓のほとりの意。「上」はほと
               り>と関良一氏の注にあります。
         6.  本文の振り仮名は、原文にあるものだけにしてあります。(原文では縦書きの
           語の左側につけてあります。)
             そこで、関良一氏の『近代詩』と日本近代文学大系 52『明治大正譯詩集』の
           森亮氏のルビを参考に、読みにくそうな部分の読みを、現代仮名遣いで示して
           みます。なお、関良一氏の『近代詩』には、詩の前書きは載せてありません。
            
(お断り……両氏の付していない読みを引用者が補ったものがあります。)
            
 《前書き》              
              
適々(たまたま─原文は「適」に下に「こ」を潰したような形の踊り字があるように見え
                 ます。ここでは「々」にしてあります。)   以爲(おもえらく)   穿チ(うがち)
                援カズ(ひかず)  頃ロ(このごろ─森氏のルビ)  
             《詩の本文》                
              
徐に(しずかに)  耕へす(たがえす)  余(われ)  寇(あだ)
                 埋まれ(うずまれ)  古人(ふるびと・ふるひと─関氏は「ふるびと」としておられます
                が、森氏はどちらにも読める、としておられます。)  木魂(こだま)  覺す(さます)  
                    其斧(そのおの)  過る(すぐる)  妻子(つまこ─関氏のルビ)   富貴(ふうき)  
                をとめこ(おとめご)  榮利(「えのり」とルビがあるが、「えいり」と読むべきか。森氏
                は「えいり」とルビ、関氏は頭注に<原文の振り仮名は「えのり」>として、本文には
                ルビなし。)  入る(いる)  頌歌(しょうか)  廢れたる(すたれたる)  量(りょう、
                器量・度量・才幹の意)  失せける歟(うせけるか)  船路(ふなじ) 木草(きぐさ
                ─関氏のルビ)  埋もれて(うずもれて)  拙くも(つたなくも)  軍を(いくさを) 
                擧ずとも(あげずとも)  外に見る(よそにみる)  譽望(関氏「よぼう」、森氏「ほま
                れ」)  此等(これら)  恥る(はずる)  巧なる(たくみなる)  媚る(こぶる─関
                氏のルビ)    未だ(いまだ)    此地(このち)    罎瓩襦覆垢瓩襦
                    憐を爭で惹かざらん(あわれを いかで ひかざらん)    えれる(彫れる)
                    記念の功は有ぞかし(きねんのこうは あるぞかし)  有がたき(ありがたき)
                    葢し(けだし)  花の榮(はなのさかえ)  眼の光り(まなこのひかり)
                    体を去る(たいをさる)  妻子ども(つまこども─関氏のルビ)  埋むとも
                (うずむとも)  偖又此に(さてまたここに)  如何せしやと(いかにせしやと) 
                頭(かしら)   斯くぞ(かくぞ)  彼處(かしこ)  其常なきを(そのつねなきを)
                    常葉木(ときわぎ─森氏の頭注に「普通は「常磐木」の字を当てるが、『言海』
                はこの「常葉木」を使っている。」とあります。)  木立(こだち)  世のうさ抔を
                    (よのうさなどを)  彼の人(かのひと)  絶て(たえて)  屍送る(しかばね
                    おくる)   富貴名利(ふうき めいり─関氏のルビ)   仁惠(じんけい) 
                    詮すべなき(せんすべなき)   善し惡し(よしあし)   尋る(たずぬる) 
                侍る(はべる)

         7. トーマス・グレー(Thomas Gray)=イギリスの詩人・学者。詩「墓畔の哀歌」の
               憂愁趣味や古詩の翻訳を通じてロマン主義の先駆となり、新体詩訳を通
               じて明治文学に影響を与えた。(1716〜1771) 
(『広辞苑』第6版による)          
         8. 矢田部良吉(やたべりょうきち)=植物学者・詩人。号は尚今。 伊豆(静岡県)
              生れ。東大教授・東京博物館長。1882年(明治15)井上哲次郎・外山正
              一とともに「新体詩抄」を著して新体詩運動の先駆をなした。著「日本植物
              図解」「日本植物篇」など。(1851−1899)
            外山正一(とやままさかず)=教育家・詩人。ゝ山
(ちゅざん)と号す。江戸の生れ。
              幕臣の子。米英に留学して哲学を修め、東大教授・同総長。文相。漢字廃
              止」・ローマ字採用論を主張。共著「新体詩抄」。(1848−1900)
            井上哲次郎(いのうえてつじろう)=哲学者。号は巽軒
(そんけん)。筑前生れ。
              東大教授。欧米哲学の移入紹介につとめ、ケーベルを招いたが、後年は
              国家主義を唱えた。また、新体詩運動に先鞭をつけた。著「哲学字彙」「日
              本朱子学派之哲学」など。(1855−1944)
                                        
   (以上、『広辞苑』第6版による。)
                 
9. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「矢田部良吉」「外山正一」「井上哲次郎」
           の項があります。
                 10. 外山正一・矢田部良吉・井上哲次郎の肖像写真について
              (1) 『
日本近代化学の礎を築いた一人の化学者 櫻井錠二』というサイトの中に、「東京
              帝国大学教授・理科大学物理学教室前での集合写真」があり、そこに外山正一
              と矢田部良吉の二人が写っています。 
                        
日本近代化学の礎を築いた一人の化学者 櫻井錠二』 TOPページの「サイトマップ」を
                
クリック  「東京帝国大学教授・理科大学物理学教室前での集合写真」をクリック
                   
  「明治22年 理科大学物理学教室前」の写真
             
(2) 『東京大学コレクション 幕末・明治期の人物群像』というサイトに、「幕末の遣
              欧使節団 5.幕府イギリス留学生」のページがあり、そこに外山正一の19歳の
              ときの肖像写真が出ています。
            (3) 
『日本植物研究の歴史 小石川植物園300年の歩み(大場秀章 編)というサイト
              があり、そこの
「東京大学植物標本室に関係した人々」(大場秀章・秋山忍)という
              ページに、矢田部良吉の紹介ページがあり
(矢田部の採集した標本の写真や、経歴
             
の紹介も見られます。)「植物学教室が小石川植物園にあった」(金井弘夫)という
                           ページに矢田部良吉の肖像写真があります。                  
            (4)  国立国会図書館の『近代日本人の肖像』で、井上哲次郎の肖像写真を見る
              ことができます。
(写真をクリックすると拡大写真になります。)              
          11
. 『日本現代詩大系 第一巻』(河出書房、昭和25年9月30日発行)の巻末の解説
          (創成期概観──草創より明治二十八年迄──)の中で、筆者の山宮允氏が、『新
          体詩抄』発刊当時の事情について日夏耿之介氏の『明治大正詩史』を引いておられ
          ますので、ここにその部分を引用させていただきます。
(『日本現代詩大系 第一巻』
            445−446頁)
            
ただし、「矢田部良吉が植物学教授(助教授)として任に在つたが」とあるのを、『日
          夏耿之介全集 第三巻 明治大正詩史』(河出書房新社、1975年1月20日初版発行)
          によって、(助教授)を省き、「矢田部良吉が植物学教授として任に在つたが」としたこ
          とをお断りしておきます。

             

                       
井上の記述に従へば発刊当時の実情はかうであつた。明治十五年三月井上が東京大学の
                             助教授となつて、その当時大学に設けられた編輯所で東洋哲学史の編纂をすることになり、
             毎週二回東洋哲学史の講義をつづけてゐた。その頃、矢田部良吉が植物学教授として任に
             在つたが、ある日、沙翁のハムレットの to be or not to be の独白の個所だけ訳して、編輯
             所へ持つて来て「見てくれ」といふので井上は読んで見ると「言葉は練れてゐないけれども、
             併し案外意味がよく判つて移りがいいやうで」あつたから訳詩に望を起し「稍々賞めた」ので
             ある。一体、井上は其二三年前から漢詩を書いてゐたが、漢詩でも新しい試みはして見たが
             国語で是非やつて見たく考へてゐた矢先き此訳詩を見たので、早速それに圏点をつけて評
             語を添へ、当時彼が前年に杉浦重剛と発刊した「東洋学芸雑誌」に掲げたのである。所が
             矢田部の親友外山正一が、丁度その時編輯所に同席してゐて、同じ文章を訳して翌日持
             つて来て見てくれといつたので見たが夫れぞれ特長のあるものであつたので、「まア聊か
             激ましたやうなことを云つた」処から毎日二人が訳詩や創作詩を持つて来て見せてくれる
             やうになり、大抵評点つきであつたが、特に圏点沢山であつたのがゝ山の抜刀隊の詩で
             あつた。(中略)この詩は軍歌の先駆となつたもので、それまでにはなかつた詩体であり、
             従つて純粋の詩としてよりは軍歌として見て史的一瞥の要はある作である。その内「東洋
             学芸雑誌」の読者でこれを模倣して投書するものなども増えて来て、段々盛んになつたので、
             井上もロングフェロオの作を訳して押韵を試みて見たがこれは当人もよいとは考へずに止め
             てしまつた。坪井正五郎も押韵を試みた一人である。それから二月程たつと随分作がたま
             つたので出版しようといふ事になり、丸善から刊行の段取となつて、扨書名を何んとしたら
             いゝかといふことで色々考へたが、結局、井上が、之を「新体詩抄」と名付けたらよからう。
             何故ならば単に詩と云へば其頃では漢詩であつた。日本の和歌は普通には詩とは云はな
             い。詩と和歌と二通り外なかつたのであるが、其詩といふのは漢詩のことである。けれども
             今度発行しようと云ふのは詩に相違ないけれども、唯詩と云つたのでは漢詩と間違へられ
             る虞れがあるからして、そこで新体詩と云へば間違へられる虞れはない。それで「新体詩
             抄」と名を付けたらよからうと言つた所が外山、矢田部両氏に於ても少しも異論はない。そ
             れはよからうといふので「新体詩抄」と云ふ名に決まつた。……(「明治大正詩史」巻ノ上、
             48−52頁) 
         
12. 巽軒居士(井上哲次郎)の「玉の緒の歌」の前書きに、有名な「夫レ明治ノ歌
          ハ、明治ノ歌ナルベシ、古歌ナルベカラズ、日本ノ詩ハ日本ノ詩ナルベシ、漢詩
          ナルベカラズ、是レ新體ノ詩ノ作ル所以ナリ、」という文がありますが、ここの「作
          ル」はどう読むのでしょうか。
            前記の『近代詩』で関良一氏は「作(おこ)ル」と読んでおられますが(同書巻
          末の「作家・作品解説」の「井上巽軒」の項)、日本近代文学大系 52『明治大正
          譯詩集』で森亮氏は「作(な)ル」と読んでおられます。ここが「是レ新體ノ詩ヲ作
          ル所以ナリ」、もしくは「是レ新體ノ詩ノ興ル所以ナリ」とでもなっていれば問題な
          かったのですが……。
 
         
13. 『日夏耿之介全集 第三巻 明治大正詩史』(河出書房新社、1975年1月20日
          初版発行)に、『新体詩抄』発市の広告文が引用されていますので、ここに引かせ
          ていただきます。(同書、37頁頭注)
 
              『新體詩抄』發市の廣告文「東京大學文學部長外山正一同理学部長矢田部良吉並
              文學士井上哲次郎の三先生嘗て古歌や古詩の解し難きを憂ひられしが頃日新工夫
              を出し平生話す所の語を用ひて一種新體の詩に作り其佳なる物を抄録して此書を合
              選せられたり蓋し其文の流暢なる其意の楊なる眞に泰西の詩に駕して上らんとす
              江湖諸彦試みに一讀あれ實に古往今來有一無二の珍書なり。十五年八月十六日。
              丸善」(「明治初年の世相」)
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『J ‐TEXTS (日本文学電子図書館)』でも、『新体詩抄』を読むことができます。
                      
 ( 『J ‐TEXTS (日本文学電子図書館)』から入る場合は、「全体リスト(旧メニュー)」の
              「◎登録作品リスト」をクリック → 『新体詩抄』を検索)            

         15. 次に、“the THOMAS GRAY archive (Alexander Huber, Editor, University of
                     Oxford)” から、元の詩を引用させていただきます。
 

 

   Elegy Written in a Country Churchyard
                                                                               
Thomas Gray

The curfew tolls the knell of parting day,    
The lowing herd wind slowly o'er the lea,  
The ploughman homeward plods his weary way,
And leaves the world to darkness and to me.    

Now fades the glimmering landscape on the sight,  
And all the air a solemn stillness holds,  
Save where the beetle wheels his droning flight,   
And drowsy tinklings lull the distant folds;  

Save that from yonder ivy-mantled tower    
The moping owl does to the moon complain  
 Of such, as wandering near her secret bower,  
Molest her ancient solitary reign.  

Beneath those rugged elms, that yew-tree's shade,  
Where heaves the turf in many a mouldering heap,    
Each in his narrow cell for ever laid,  
The  rude forefathers of the hamlet sleep.  

The breezy call of incense-breathing morn,  
The swallow twittering from the straw-built shed,
The cock's shrill clarion, or the echoing horn,  
No more shall rouse them from their lowly bed.  

For them no more the blazing hearth shall burn,  
Or busy housewife ply her evening care:  
No children run to lisp their sire's return,    
Or climb his knees the envied kiss to share.  

Oft did the harvest to their sickle yield,  
Their furrow oft the stubborn glebe has broke;    
How jocund did they drive their team afield!    
How bowed the woods beneath their sturdy stroke!  

Let not Ambition mock their useful toil,  
Their homely joys, and destiny obscure;  
Nor Grandeur hear with a disdainful smile,  
The short and simple annals of the poor.     

The boast of heraldry, the pomp of power,
And all that beauty, all that wealth e'er gave,  
Awaits alike the inevitable hour.  
The paths of glory lead but to the grave.  

Nor you, ye proud, impute to these the fault,  
If Memory o'er their tomb no trophies raise,
Where through the long-drawn aisle and fretted vault  
The pealing anthem swells the note of praise.  

Can storied urn or animated bust
Back to its mansion call the fleeting breath?    
Can Honour's voice provoke the silent dust,  
Or Flattery soothe the dull cold ear of Death?

Perhaps in this neglected spot is laid    
Some heart once pregnant with celestial fire;  
Hands that the rod of empire might have swayed,  
Or waked to ecstasy the living lyre.  

But Knowledge to their eyes her ample page  
Rich with the spoils of time did ne'er unroll;    
Chill Penury repressed their noble rage,  
And froze the genial current of the soul.  

Full many a gem of purest ray serene,     
The dark unfathomed caves of ocean bear:  
Full many a flower is born to blush unseen,  
And waste its sweetness on the desert air.  

Some village-Hampden, that with dauntless breast    
The little tyrant of his fields withstood;  
Some mute inglorious Milton here may rest,      
Some Cromwell guiltless of his country's blood.

The applause of listening senates to command,    
The threats of pain and ruin to despise,  
To scatter plenty o'er a smiling land,     
And read their history in a nation's eyes,  

Their lot forbade: nor circumscribed alone  
Their growing virtues, but their crimes confined;  
Forbade to wade through slaughter to a throne,  
And shut the gates of mercy on mankind,    

The struggling pangs of conscious truth to hide,    
To quench the blushes of ingenuous shame,  
Or heap the shrine of Luxury and Pride
With incense kindled at the Muse's flame.  

Far from the madding crowd's ignoble strife,  
Their sober wishes never learned to stray;    
Along the cool sequestered vale of life    
They kept the noiseless tenor of their way.
 
Yet even these bones from insult to protect
Some frail memorial still erected nigh,  
With uncouth rhymes and shapeless sculpture decked,  
Implores the passing tribute of a sigh.  

Their name, their years, spelt by the unlettered muse,
The place of fame and elegy supply:    
And many a holy text around she strews,    
That teach the rustic moralist to die.  

For who to dumb Forgetfulness a prey,
This pleasing anxious being e'er resigned,  
Left the warm precincts of the cheerful day,  
Nor cast one longing lingering look behind?  

On some fond breast the parting soul relies,  
Some pious drops the closing eye requires;    
Ev'n from the tomb the voice of nature cries,  
Ev'n in our ashes live their wonted fires.

For thee, who mindful of the unhonoured dead  
Dost in these lines their artless tale relate;  
If chance, by lonely Contemplation led,  
Some kindred spirit shall inquire thy fate,  

Haply some hoary-headed swain may say,    
"Oft have we seen him at the peep of dawn  
Brushing with hasty steps the dews away    
To meet the sun upon the upland lawn.  

"There at the foot of yonder nodding beech  
That wreathes its old fantastic roots so high,    
His listless length at noontide would he stretch,  
And pore upon the brook that babbles by.  
 
"Hard by yon wood, now smiling as in scorn,    
Muttering his wayward fancies he would rove,
Now drooping, woeful wan, like one forlorn,  
Or crazed with care, or crossed in hopeless love.    

"One morn I missed him on the customed hill,  
Along the heath and near his favourite tree;  
Another came; nor yet beside the rill,  
Nor up the lawn, nor at the wood was he;  

"The next with dirges due in sad array  
Slow through the church-way path we saw him borne.
Approach and read (for thou can'st read) the lay,  
Graved on the stone beneath yon aged thorn."  

The Epitaph  
 
Here rests his head upon the lap of earth  
A youth to fortune and to fame unknown.    
Fair Science frowned not on his humble birth,     
And Melancholy marked him for her own.  

Large was his bounty, and his soul sincere,    
Heaven did a recompense as largely send:  
He gave to Misery all he had, a tear,  
He gained from Heaven ('twas all he wished) a friend.      

No farther seek his merits to disclose,    
Or draw his frailties from their dread abode,  
(There they alike in trembling hope repose)  
The bosom of his Father and his God.  
 
 

 

          16. 東洋大学大学院教授の埋橋勇三先生による “Notes on Elegy Written in a
                      Country Churchyard by Thomas Gray” (『東洋大学大学院紀要』第41集<平
            成17年3月>)というページがあり、詩の第1節から第15節までの語句解説が
           見られ、原詩を読む上で参考になります。
            なお、 “Notes on Elegy Written in a Country Churchyard by Thomas Gray
           (Part II)” (『東洋大学大学院紀要』第42集<平成18年3月>)が、まもなく
           ネット上で読めるようになるそうです。
               
東洋大学研究者情報データベースで検索して該当ページへ。
                                       
(2010年2月16日追記)
             
(お断り) ……ということでしたが、現在ネット上で“Part II”を読むことは
                 できないようです。           
(2012年6月18日追記)
          現在、“Notes on Elegy Written in a Country Churchyard by Thomas Gray”
          
も、残念ながら読めないようです。
                 (2016年9月29日追記)
          17. 斎藤茂吉の随筆に、「グレエの詩」があります。(資料158「斎藤茂吉の随筆
           
から」に載せてあります。)
          18. 『英語の詩を日本語で English Poetry in Japanese 』というブログで、この詩
            の現代語訳が見られます。
               → 
英語の詩を日本語で English Poetry in Japanese 』  
                                              
(2017年9月30日追記)




                      
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