資料184 落合直文「楠公の歌」




 

 楠公の歌   落合直文

    
   櫻井の訣別

慷佞靴欧譴諫井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下かげに駒とめて
世の行末をつくづくと
しのぶ鎧の袖の上に
ちるは涙かはた露か」
正成なみだをうち拂ひ
わが子正行呼びよせて
父は兵庫におもむかむ
彼方の浦にて討死せむ
汝はこゝまで來れども
とくとく歸れ故里へ」
父上いかにのたまふも
見すてまつりてわれ一人
いかで歸らむ歸られむ
この正行は年こそは
未だ若けれもろともに
御供仕へむ死出の旅」
汝をこゝより歸さむは
わが私のためならず
おのれ討死なさむには
世は尊氏のまゝならむ
早く生ひ立ち大君に
仕へまつれよ國のため」
この一刀
(ひとふり)は去にし年
君の賜ひしものなるぞ
この世の別のかたみにと
汝にこれを贈りてむ
ゆけよ正行ふる里へ
老いたる母の待ちまさむ」
ともに見送り見反りて
別れををしむ折からに
又もふりくる五月雨の
空に聞ゆるほとゝぎす
誰かあはれと聞かざらむ
あはれ血になくその聲を」

    敵軍襲來

遠く沖べを見渡せば
浮べる舟のそのかずは
幾千萬ともしら波の
此方をさして寄せて來ぬ」
陸はいかにとながむれば
味方は早くも破られて
須磨と明石の浦づたひ
敵の旗のみうちなびく
吹く松風かしら波か
よせくるなみか松風か
響き響きて聞ゆなり
つゞみのおとに鬨のこゑ」

    湊川の奮戰

いかに正季われわれの
命すつべき時は來ぬ
死す時死なでながらへば
死するに勝る恥あらむ」
太刀のをれなむそれまでは
敵のことごとかたへより
斬りてすてなむ屠りてむ
進め進めといひいひて
かけいるさまの勇ましや」
右より敵のよせくるは
左のかたへと薙ぎ拂ひ
左の方よりよせくるは
右の方へとなぎ拂ふ
前よりよするその敵も
後よりするその敵も
見ては遁さじのがさじと
奮ひたゝかふ右ひだり
とびくる矢數は雨あられ」
君の御ためと昨日今日
數多の敵に當りしが
時いたらぬをいかにせむ
心ばかりははやれども
刄はをれぬ矢はつきぬ
馬もたふれぬつはものも」
かしこの家にたどりゆき
共にはらをばきりなむと
刀を杖にたちあがる
身には數多のいたやぐし」
戸をおしあけて内に入り
共によろひの紐とけば
緋をどしならぬくれなゐの
血しほしたゝる小手の上」
こゝろ殘りはあらずやと
兄のことばにおとうとは
これみなかねての覺悟なり
何かなげかむ今さらに」
さはいへくやしねがはくは
七度この世に生れ來て
にくき敵をばほろぼさむ
さなりさなりとうなづきて
水泡ときえしはらからの
こゝろも罎みなと川」

 
 

 

 

 

 

           (注)  1.上記の本文は、。『国立国会図書館デジタルコレクション』に収録され
            ている 『萩之家遺稿』(落合直文著、
明治書院 明治37年5月5日発行、明
              治37年9月30日再版発行、明治37年12月10日3版発行、明治38年6月15日4版
              発行。発行者・落合直幸
)によりました。
                           
『国立国会図書館デジタルコレクション』のTOPページで「萩之家遺稿」と入力
              して検索
                   
「1.萩之家遺稿 / 落合直文、落合直幸、1905 4版」をクリック
                    
「本文を見る」をクリック   「萩之家遺稿」(132〜136 / 384)
                     2. 講談社文庫『日本の唱歌〔上〕明治篇』(金田一春彦・安西愛子編、
           
昭和52年10月15日第1刷発行、昭和57年7月30日第3刷発行)には、「桜井
            の訣別」という題で6番までの歌詞が載せてあります。そしてその解説
            の中に、「堀内敬三氏によると、これはもと明治32年6月に神戸の熊谷
            久栄堂から単行本として出版された『湊川』という歌の本があり、全体
            で15章あるうちのここにあげた初め6章に特に「桜井の訣別」という小
               見出しがついており、これが広く歌われた。のち「青葉茂れる桜井の」
            という題で歌われた。」とあります。
                   ※ 上記の『湊川』は、岩波文庫『日本唱歌集』に出ている表紙の写
              真によると、『
学校生徒 / 行軍歌 湊川』(従六位落合直文先生作歌/
              岡山県師範学校教諭奥山朝恭作曲 熊谷久栄堂蔵梓)とあります。
               同文庫の注によれば、作曲者奥山朝恭は兵庫県立師範学校教
              諭在職中に「湊川」を作曲した、とあります。
             3
ここに掲載した『萩之家遺稿』に収められている「楠公の歌」が、『湊
            川』という歌の本に載せてあるものと同じものかどうかは、確認していま
            せん。<」>で区切ってあるものの数は、「桜井の訣別」が6、「敵軍襲
            来」が2、「湊川の奮戦」が8で、全部で16になります。これが章だとす
            ると、上の「全体で15章ある」と合わないことになります。ただし、6句ず
            つ区切っていくと、全部で15にはなります。
           4. ワイド版岩波文庫『日本唱歌集』(堀内敬三・井上武士編、1991
年6
             月26日第1刷発行、2001年4月5日第10刷発行
)所収の「青葉茂れる桜井
            の」の歌詞を引いておきます。(ただし、仮名遣いを歴史的仮名遣いに
            改めました。また、振り仮名を一部省略しました。)

                              
青葉茂れる桜井の
                                      
落合直文

                 青葉茂れる桜井の          里のわたりの夕まぐれ
                 木の下蔭に駒とめて         世の行く末をつくづくと
                 忍ぶ鎧の袖の上
(え)に        散るは涙かはた露か

                 正成
(まさしげ)涙を打ち払ひ     我子正行(まさつら)呼び寄せて
                 父は兵庫に赴かん          彼方
(かなた)の浦にて討死せん
                 いましはここ迄來
(きつ)れども   とくとく歸れ故郷(ふるさと)

                 父上いかにのたまふも      見捨てまつりてわれ一人
                 いかで歸らん歸られん       此
(この)正行は年こそは
                 未
(いま)だ若けれ諸共に      御供(おんとも)仕へん死出の旅
                 
                 いましをここより歸さんは      わが私
(わたくし)の為ならず
                 己
(おの)れ討死為(な)さんには   世は尊氏(たかうじ)の儘ならん
                 早く生ひ立ち大君に         仕へまつれよ国の為め

                 此一刀
(ひとふり)は往(いに)し年   君の賜ひし物なるぞ
                 此世の別れの形見にと       いましにこれを贈りてん
                 行けよ正行故郷
(ふるさと)へ     老いたる母の待ちまさん

                 共に見送り見反りて         別れを惜
(おし)む折からに
                 復
(また)も降り来る五月雨の    空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
                 誰れか哀
(あわれ)と聞かざらん    あはれ血に泣く其(その)声を 
                   
                                          ──『湊川』明32・6            

           5. 落合直文「孝女白菊の歌」 が資料142にあります。


 

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