(注) | 1. |
上記の「日米和親条約(日本国米利堅合衆国和親条約)」は、「日米交流150周年記念事業」の公式サイトに掲載されている本文によりました。このサイトには「日米交流の始まり」という解説があって参考になります。 このウェブサイトは、現在は『WARP 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業』というサイトに保存されています。(2017年10月30日) 『WARP 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業』 →「日米交流150周年記念事業」の公式サイト」 現在は「日米和親条約(日本国米利堅合衆国和親条約)」の本文は見られないようです。(2023年 8月 6日) |
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2. |
本文の一部を、他の本文によって手直ししたところがあります。(渡來の儀→渡來之儀、閉籠候儀→閉籠メ候儀、相調候を→相調ひ候を、外國人へ→外國人え、模樣に寄り→模樣により、など。) なお、第十一條に「兩國政府に於て無據儀有之候時は模樣により」とありますが、他の本文には「時は」がないものがあります(例えば『大日本古文書 幕末外国関係文書之五』など)。 |
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3. | 資料174に「日米和親条約(漢文・漢文和解・翻訳蘭文和解)」があります。 | ||||
4. | 資料176に「日米和親条約(英文)」があります。 | ||||
5. | 外務省のホームページの「外交史料Q&A 幕末期」によれば、日本側の日米和親条約調印書原本は、幕末期の江戸城における火災によって焼失してしまい、現在残っていないそうですが、アメリカ側の原本は、アメリカの国立公文書館に所蔵されているそうです。そして平成16年に、アメリカが保存している条約批准書のレプリカ(複製)が日本側に寄贈された由です。
国立国会図書館のホームページ「史料にみる日本の近代 開国から講和まで100年の軌跡」で、アメリカ側に保存されている日本文の条約の写し(「日米和親条約写」)を見ることができます。 |
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6. |
日米和親条約(にちべい・わしん・じょうやく)=1854年(安政1)神奈川で、アメリカ全権使節ペリーと幕府全権林大学頭(あきら)以下4名との間に締結・調印された条約。アメリカ船の下田・箱館寄港、薪水食糧の購入、漂着アメリカ人の保護、片務的最恵国条款などを定めた。神奈川条約。(『広辞苑』第6版による) (注) (光+韋)の漢字は、“島根県立大学e漢字フォント”を利用しました。 日米和親条約(にちべい・わしんじょうやく)=1854年江戸幕府がペリーと結んだ条約。下田・箱館両港へのアメリカ船寄港、薪水・食料などの補給、下田に領事をおくことなどを認めた。貿易は認めなかったが開国の端緒となる。神奈川条約。(『大辞林』第2版による) |
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7. |
「その時歴史が動いた」で、第120回「その時歴史が動いたスペシャル」、「ニッポン開国第一部
なぜアメリカだったのか?~ペリーの知られざる外交戦略~、第二部
通商か亡国か?~日本全権決死の通商条約締結~」(平成15年1月8日放送)がありました。 残念ながら現在は見られないようです。(2017年10月30日) |
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8. | 「国立公文書館アジア歴史資料センター」というサイトに、「条約と御署名原本に見る近代日本史」があって参考になります。 |