資料166 常陸山谷右衛門の墓碑銘





 

常陸山谷右衛門の墓碑銘

市毛谷右衛門幼名谷明治七年一月十九日水戸下市宝鏡院門前町に生
る父高成もと水戸藩士たり母池上氏谷右衛門ハその長子なり資性豪
邁穎悟人に過く長するに及ひ躯幹魁偉膂力絶倫郷黨目を聳つ嘗て志
を立てゝ東京に出つるや叔父内藤高治等の勸むることなり遂に父母
に請うて力士となり東京大角觝協會に入り御西山と稱す尋て去つて
名古屋に抵り練磨年あり技大に進み復た東京に歸り名を常陸山と改
む剛勇敵なし向ふところ皆靡く明治三十七年一月日下開山横綱を允
許せらる四十年歐米各國を歴游し國技を海外に示す常陸山の盛名
天下を壓せり歸來幾くもなく先師出羽海の名を襲ひ年寄の列に入る
即ち推されて協會の取締に任す偶大正六年國技館火あり全館焦土と
なる谷右衛門奮然として協會員を督勵し空手能く百萬の資を集め
再築の大事業を成す擧世嘆稱せさるはなし谷右衛門家武門に出つ夙に
士風の振起と國技の興隆とを以て任となし大に心を門弟の養育に用ふその
名を成すもの三百餘人に上り栃木山守也大錦夘一郎尤も傑出し共に
横綱力士たり谷右衛門父母に孝に弟妹に友に任侠人に接しまた弘く
天下の士と交り聲望身に萃る実に明治大正國技界の偉人と謂
つへきなり大正十一年六月十九日病を以て奄然東京本所相生町の家に
歿す享年四十有九越二日郷里水戸市外酒門村の塋域に葬る配長澤
氏子なし大島高信同花子を養ひて子となす高信家を繼き花子醫
学士村田光邦に嫁し三子あり長澤氏歿するに及んて其妹信子を娶り二子を擧
く長子高友次子龍高尚幼なり   文學博士 酥直“謹撰
                      男高信建
                         
石工軍司駒次郎刻 

 

 


 

 

    

       (注) 1. 常陸山谷右衛門の墓は、水戸市酒門(さかど)町の酒門共有墓地にあります。
               2. 墓碑は表に「市毛谷右衛門墓」と書いてあり、碑陰に上に記載した文学博士
               黒板勝美氏の撰文が刻してあります。(柔らかな書体は、黒板勝美氏のものと
         思われます。)
               3. 改行は、碑文の通りにしてあります。
               4. 黒板勝美(くろいた・かつみ)=歴史学者。号、虚心。長崎県生れ。東大教授。
             古文書学を確立し、「国史大系」を新訂増補。著「国史の研究」「虚心文集」
             など。 (1874〜1946)                 
(『広辞苑』第6版による)
               5. 碑文の語句の注をいくつか付けておきます。
           豪邁……ごうまい。気性が強く衆にすぐれていること。 穎悟……えいご。才知
           がすぐれてさとりの早いこと。 角觝……すもう。 尋て……ついで。「次いで」に
           同じ。次に。それから。つづいて。まもなく。 日下開山……ひのしたかいさん。
           「日下」(ひのした)は、天下。世界。世の中。「開山」(かいさん)は、開祖の意。
           「日下開山」で、武芸・相撲などで、天下無双であること。 幾くもなく……いくば
           くもなく。ほどなく。やがて。 偶……たまたま。 任侠……にんきょう。弱い者の
           味方をし、強い者の力に屈しない気風。また、そういう人。侠気。おとこだて。 
           萃る……あつまる。
        6. 水戸市宮町の東照宮境内にある「常陸山之碑」(第19代横綱常陸山の碑)が、
         資料165にあります。
        7. 坂田暁風著『城東歴史散歩』(平成13年9月20日発行) によれば、東京谷中の
         天王寺墓地にある「出羽海谷右衛門墓」には、谷右衛門の遺髪が埋葬されている
         とのことです。(同書、274頁)
        8. 常陸山谷右衛門については、資料165「常陸山之碑(第19代横綱常陸山の碑)」
         の注をご覧下さい。

 

                               
                                     
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