資料162 兼好と頓阿の「沓冠の歌」の贈答(『続草庵集』より)




       兼好と頓阿の「沓冠の歌」の贈答 
                      『続草庵集巻第四』より   


   世中しづかならざりし比、兼好が本より、
 よねたまへぜにもほし、といふ事をくつか
 ぶりにおきて
   
538 よもすずしねざめのかりほた枕もま袖も秋にへだてなきかぜ      
       
   返し、よねはなし、ぜにすこし    
539  よるもうしねたくわがせこはてはこずなほざりにだにしばしとひませ    
       


  (注) 1.   本文は、『新編国歌大観 第4巻』(私家集編Ⅱ・定数歌編、[歌集] 昭和61年5月15日初版発行、角川書店)によりました。    
    2.  『続草庵集』は、岩波の『国書総目録』によれば、「しょく・そうあんしゅう」と読むようです。書名は、正式には『続草庵和歌集』で、頓阿の私家集です。    
    3.  「沓冠(くつかぶり・くつかむり・くつこうぶり)」とは、『広辞苑』によれば、「和歌や俳句の折句(おりく)の一つで、ある語句を各句の初めと終わりとに一音ずつ詠み込むもの。栄華物語にある「ふ坂ては往き来きもゐづねてとひなば帰さ」(「はせたきものすこし」を配る)の類」ということです。    
    4.   上の『続草庵集』の歌の場合は、兼好が、
 もすずざめのかり袖も秋だてなきか
と、各句の初めに「よねたまへ(米給へ)」と置き、各句の終わりに、下から「ぜにもほし(銭も欲し)」と置いて、「米給へ、銭も欲し」と言い送ったのに対して、頓阿が、
 るもうたくわがせてはこほざりにだばしとひま
と、各句の初めに「よねはなし(米は無し)」と置き、各句の終わりに、下から「ぜにすこし(銭少し)」と置いて、「米は無し、銭少し」と返したものです。
 二人の歌が、それぞれ表面とは違った意味を伝えているところが、面白いところです。
   
    5.  頓阿(とんあ・とんな)=鎌倉・南北朝時代の歌僧。俗名、二階堂貞宗。京都の人。出家後、二条家の嫡流藤原為世に師事、二条家歌学を再興。為世門の四天王の一人。晩年、西行の旧地双林寺に草庵を結んだ。歌風は典雅端正。二条良基の師範。二条為明のあとを継いで新拾遺集を完成。著「愚問賢注」「井蛙抄」、家集「草庵集」など。(1289~1372)(『広辞苑』第6版による)    
    6.  鈴木棠三著『ことば遊び』(中公新書、昭和50年12月20日初版)には、次のような沓冠も、紹介されています。(引用者が内容を要約してあります。)

 後法性寺関白(九条兼実)が、藤原隆信に邸へ来るように命じておいたが、或いは失念していはせぬかと懸念して、念のためにこんな歌を詠んで送った。
  いかにまたひとりあかすかしのぶてふひとはつらしなおもひこりねよ
 この歌を受け取った隆信は、
  あかでたゞすぐるわかなかのべておもへひるこそあらめおもひこりめや
と返歌した。

 関白は、「いひしひお」「たかふなよ」(言ひし日を違ふなよ)と言い送ったのであり、隆信は、これに対して「あすのひお」「たかへめや」(明日の日を違へめや)、つまり、違約は致しません、と答えたというわけである。(同書36頁。出典は『藤原隆信朝臣集』上)                   
   
    7.  兼好法師の『徒然草』には、次のような文字の判じ物が紹介されていて、よく知られています。 
 延政門院いときなくおはしましける時、院へ参る人に御言つてとて申させ給(ひ)ける御歌、
  ふたつ文字牛の角文字直ぐな文字歪み文字とぞ君は覚ゆる
 恋しく思ひ参らせ給ふとなり。(第62段)
 (日本古典文学大系30 『方丈記 徒然草』<昭和32年第1刷・昭和39年第8刷発行>による。)

 「ふたつ文字」は「こ」、「牛の角(つの)文字」は「い」。一説に「ひ」とも。「直ぐな文字」は「し」、歪(ゆが)み文字は「く」、と日本古典文学大系の頭注にあります。
 なお、「延政門院=悦子内親王。後嵯峨天皇の皇女。1332年薨、74歳。」と、同じ頭注にあります。
   
    8.  次に、注3に出てくる栄華物語(栄花物語)の「あふ坂も……」の歌の部分の本文を引いておきます。

 この御中にも、廣幡の御息所(みやすどころ)ぞ、あやしう心ことに心ばせあるさまに、みかどもおぼしめいたりける。内よりかくなん、
  逢坂
(あふさか)もはては往來(ゆきゝ)の關もゐず尋ねて訪(と)ひこ來(き)なば歸さじ」といふ歌を、同じやうにかゝせ給て、御方がたに奉らせ給けるに、この御返事(を)方がたさまざまに申させ給けるに、廣幡の御息(みやす)どころは、薫物(たきもの)をぞ參らせ(給)たりける。さればこそ猶(なを)心ことに見ゆれと、おぼしめしけり。いとさこそなくとも、いづれの御方とかや、いみじくしたてゝ參り給へりけるはしも、なこその關もあらまほしくぞおぼされける。御(おほん)おぼえも日頃に劣りにけりとぞ聞え(侍)し。
 (日本古典文学大系75『栄花物語 上』松村博司・山中裕 校注、岩波書店 昭和39年11月5日第1刷発行によりました。巻第一、月の宴。同書 33~34頁)

 〇來(き)なば歸さじ」といふ歌を、~ ……歌の終わりに 」 が付いているのは、凡例に「和歌は底本どおりに改行して二字下りにし、また、その終りを明らかにするため、」 符号を加えた」とあるものです。
 〇いとさこそなくとも、~ ……御息所ほどは気がつかぬにしても、ある女御とかが美々しく飾り立てて参上されたのは、全く勿来の関も据えたい─来ないでほしいほどに思し召された。(同書頭注による。)
   
    9.  この栄華物語(栄花物語)の「あふ坂も……」の歌の話は、十訓抄にも出ています。
 成明(なりあきら)親王の位につかせ給ひたりけるに、女御、あまた候はせ給ひける中に、広幡(ひろはた)の御息所(みやすどころ)はことに御心ばせあるさまに、帝も思(おぼ)しめしたり。
  あふさかもはてはゆききのせきもゐず
  たづねてとひこ来(き)なばかへさじ
といふ歌を、同じやうに書かせ給ひて、方々(かたがた)に奉らる。御返事をさまざまに聞えさせ給ひける中に、広幡は薫物(たきもの)をぞ参らせ給ひたりける。いみじかりけり。こと御方には沓冠(くつかぶり)の歌とも御覧じわかざりけるにや。
 この御息所、御心おきて賢くおはしましけるゆゑに、かの帝の御時、梨壺の五人に仰せて、万葉集をやはらげられけるも、この御すすめとぞ。順(したがふ)、筆をとれりける。
 (新編日本古典文学全集51『十訓抄』「第七  思慮を専らにすべき事」七ノ八、同書295~296頁。浅見和彦 校注・訳、小学館 1997年12月20日第1版第1刷発行による。)
   
    10.  資料28に「回文歌(長き夜の……)」があります。
 また、「回文歌(長き夜の……)」の注7でも紹介しましたが、小学館の『日国友の会』というホームページに「日本のことば遊び」というページがあり、そこに小林祥次郎氏の「回文」「物名(隠 し題)」「折句」「万葉集の戯書」などがあって大変参考になります。 
 小学館の『日国友の会』
  → 一番下にある「日本のことば遊び」をクリック
 (なお、これは小林祥次郎著『日本のことば遊び』<勉誠出版・平成16年8月30日初版発行>に増補して収められています。)
   
    11.   『伊藤洋のページ』というサイトに、『徒然草』があって、注釈つきで『徒然草』の全文を読むこと ができます。「読み下し文」(全文ひらがな)もついています。    
    12.  『国文学研究資料館』で、館所蔵の『徒然草』(古活字版、慶長中刊10行本)を画像で見ることができます。    
    13.   試みに、兼好と頓阿の「沓冠の歌」に口語訳を付けてみましょう。ご意見を伺いた いものです。(2010年1月8日)

 秋になって夜も涼しく感ぜられるようになったころ、粗末な庵(いおり)にさびしく独り寝をしていると、手枕をしている手にも両方の袖にも、隔てなくひんやりとした風が吹き通ってきて、思わず寝覚めてしまったことであるよ。(男の立場で詠む)
 独り寝をする夜も、つらいことです。憎らしいことに、いとしいあの人は、来る来ると言いながら、結局は訪れてくれないのです。ほんのちょっと、形だけでもいいから、訪ねてきてくださいよ。(女の立場で詠む)
   








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