資料28 回文歌「長き夜の……」
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        回文歌「長き夜の……」


 ながきよのとをのねぶりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな  

(鈴木棠三著『ことば遊び』中公新書、昭和50年12月20日初版・昭和55年6月5日9版

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 長き夜のとをの眠(ねぶ)りの皆目覚め浪(なみ)乗り船の音のよき哉

(山田俊雄「言語遊戯と文字遊戯」平凡社版『国民百科事典』5<1977年5月15日初版発行、1979年印刷>所収)

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 ながきよのとをのねぶりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな  
   
(小学館『日本国語大辞典[縮刷版]』第8巻(昭和55年12月20日縮刷版第1版第1刷発行)
                                                                                                            

 これらの歌は、初めから読んでも、後ろから読んでも同じ音になる回文歌として有名な歌です。正月2日の夜の初夢に、吉夢をみるために七福神の宝船の絵を枕の下に置く風習があり、特にその絵にあるこの歌を3度読んで寝ると吉夢になると信じられています。


  (注) 1.  平凡社版『国民百科事典』によれば、この歌の出典は、『運歩色葉集』(1548(天文17)年成立)、『日本風土記』(16世紀末、中国)などが古い文献だということです。 鈴木棠三著『ことば遊び』には、『日本風土記』(侯継高)だけが挙げてあります。        
    2.  歌中の「とをのねぶり」「とをの眠(ねぶ)り」について
 『広辞苑』第5版や『日本国語大辞典[縮刷版]』第7巻(小学館・昭和55年10月20日縮刷版第1 版第1刷発行)では、 [遠の眠り]として「深い眠り」の意としています。『日本国語大辞典[縮刷版] 』 第七巻の「とお-の」の項に、

 『とおの眠(ねぶ)り   (回文歌「ながきよのとをのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな」に見られる語)  深い眠り。  * 長唄・宝船「長き夜の、遠の眠りの皆目ざめ<略>波乗り船の音のよきかな』

とあります。
 しかし、鈴木棠三氏は、その著 『ことば遊び』の中で、

 「『日本風土記』(侯継高)では、歌の意味を「十人共  舟、夜長困倦、浪裡舟行、各皆醒看」と説明して、十人が舟で眠る意味だとしており、延宝ごろ(1673~81)にできたとされる『詠歌本紀』(『和訓栞』所引)では、長夜の眠りの中に十界を流転することだと、仏教的な説明をしていて、定説がない。遠の眠りとも、疾(と)うの眠りとも解されるが、どうもぴったりしない。」

──と言っておられます。
   
    3.  「なみのりふね」「浪乗り船」の読みについて
 『日本国語大辞典[縮刷版]』に、「なみのり-ふね[波乗船]」という項目があり、

 「なみのり-ふね[波乗船]」 宝船の図に「ながきよのとをのねぶりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな」の回文歌 (かいぶんか)が記してあるところから)宝尽しや七福神を乗せた船。宝船。  * 歌舞伎・矢の根「布袋はどぶつ、福禄寿は月代(さかやき)剃るに手間が入る。弁財天は船饅頭、波乗(なみのり)舟の銭もうけ」

──とあるのによりました。 ( ただし、「とおの眠(ねぶ)り」の項の引用に、「なみのりぶね」とあるのは不統一です。)    
   
    4.  鈴木棠三著『ことば遊び』の中の「めさめ」は、「めざめ」と濁らずに、「めさめ」と清音に読むのでしょうか。    
    5.  『運歩色葉集』(うんぽいろはしゅう)は、室町時代の国語のうち、漢字表記の普通語を、頭音によりいろは別に集めた通俗辞書。3巻。著者未詳。1548年(天文17)成る。いろは各部をさらに下位分類しない点で「節用集」と異なる。 (『広辞苑』第6版による)    
 6.   『日本風土記』は、中国の明の侯継高の編著。万歴20年(1592年)以前の成立。
   なお、 蒋 垂東氏の論文「日本語を記載する『倭情考略』『籌海重編』」の中に、「『(全浙兵制考附録)日本風土記』(1592年成立)」の後注 9)として『日本風土記』についての解説があります。
 この論文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』に入っていて、ダウンロードして読むことができます。
  → 蒋 垂東「日本語を記載する『倭情考略』『籌海重編』」
    7.  小学館の『日国友の会』というホームページに「日本のことば遊び」というページがあり、そこに小林祥次郎氏の「回文」「物名(隠 し題)」「折句」「万葉集の戯書」などがあって大変参考になります。
 
 小学館の『日国友の会』
  → 一番下にある「日本のことば遊び」をクリック
 → 『日本のことば遊び』第1回 回文
 (なお、これは小林祥次郎著『日本のことば遊び』<勉誠出版・平成16年8月30日初版発行>に増補して収められています。)
   
    8.  回文では、仮名の清濁は問わないそうです(例えば「ながきよ」と「よきかな」など)。 また、鈴木棠三氏の前掲書によれば、仮名遣いの相違も問わないということです。「オとヲ、ムとンはもちろんのこと、『家(いへ)』の逆さが『えい』、『手引き』の逆を『聞いて』にしても差支えない。(中略)耳に聞いて同じようならばかまわない。従って、ズ・ヅ、ジ・ヂは同視する。しかもその濁点を無視した場合には、ス・ツ、シ・チが同じになるという極端なケースさえ生じる」といいますが、「仮名違いをまるきり野放しにしたわけではなく、規制したものもある」として、例が挙げてあります。
 この歌の場合、「とをのねぶり」の「とを」は、「遠」の場合は歴史的仮名遣いは「とほ」ですが、この歌が作られた当時、既に語中・語末のハ行音は消失していた(つまり、音としては「とほ」=「とお」)ということですし、「を」と「お」の仮名の音も同じになっていたといいますから、音としては「とほ」=「とお」=「とを」であったわけで、「遠の眠りの」(とをのねふりの)の逆を、(「音」の歴史的仮名使いは「おと」ですが、) 「乗り船の音」(のりふねのをと)とすることができるわけです。
   
    9.  『潮汐性母斑通信』というサイトに「回文短歌など」というページがあり、そこに多くの「回文短歌」が収めてあります。『悦目抄』(藤原基俊著)所収の小輪尼「むら草に草の名はもし備はらばなぞしも花の咲くに咲くらむ」「惜しめどもつひにいつもと行く春は悔ゆともつひにいつもとめじを」や、正岡子規の「戻つたぞ時鳥はや来つ鳴けな月やは杉戸とぼそ立つとも」などが見られ、興味深いものがあります。

 『潮汐性母斑通信』
  → 「ちょろぱ通信」
  → (「ちょろぱ通信」の下方にある「その他の言葉遊びなど」の「回文など」) → 「回文短歌など」

 ○悦目抄(えつもくしょう)=歌論書。2巻。藤原基俊著といわれるが偽作。成立年代は鎌倉中期とされるが未詳。和歌の作り方・仮名遣い、先人の作風などについて述べたもの。更科記(さらしなき)。和歌一流。和良日久佐(わらひくさ)。 
 ○藤原基俊(ふじわら・の・もととし)=[1060ころ~1142] 平安後期の歌人・歌学者。歌道では、伝統派の中心人物で、源俊頼と対立した。万葉集に次点(訓点)をつけた一人。藤原俊成の師。編著「新撰朗詠集」、家集「基俊集」など。(以上、『大辞泉 増補・新装版(デジタル大辞泉)』による。) 
   
    10.  フリー百科事典『ウィキペディア』「回文」の項にも、多くの回文の例が挙げてあります。ローマ字回文や英語の回文の例も出ています。    
    11.  藤原基俊の『悦目抄』所収の、小輪尼の回文歌についての部分を、次に引いておきます。

 一 廻文とは。かしらよりも。しもよりも。同じ樣によまるゝ也。是は小輪尼が歌なり。
  村草に草のなはもし備はらはなそしも花の咲に咲らん
  おしめともつゐにいつもと行春はくゆともつゐにいつもとめしを
 是はくつかぶりともいふべし。此歌の躰大事なり。よむ人もあれども。はかばかしきもなし。あさ夕によむべき事にあらず。口傳にあり。
 いろはに云。
   いはい  ろくろ  はらは  にしに ほくほ へをへ とかと  ちまち  りあり  ぬかぬ るとる をしを われわ かすか よるよ  たつた れにれ そまそ つきつ  ねかね なつな らくら  むかむ うかう ゐくゐ  のちの
  おくお  くとく   やとや  まやま けふけ ふたふ  こみこ  えくえ てうて  あのあ さまさ   きしき   ゆかゆ めすめ みかみ しるし ゑてゑ ひゑひ  ものも  せこせ すくす
  又云。
   しらとりとらし むかはきはかむ    
     すみのまのすみ〔みす歟〕 こねこのこねこ
         しゝのこのしし  是等秘事也。

    上記の『悦目抄』の本文は、『群書類従 第16輯』和歌部(続群書類従完成会、昭和9年4月15日発行、昭和55年7月15日訂正3版第4刷発行)によりました。
   
    12.  『日本歌学大系 第4巻』(佐佐木信綱編、昭和31年1月15日・風間書房発行)所収の『悦目抄』には、『群書類従』の「小輪尼」が「小論尼」となっており、引用の歌 の表記も次のようになっています。

 一、廻文歌とはかしらよりもしもよりも心おなじやうによまるゝなり。是は小論尼が歌なり。
   むら草にくさのなはもじそなはらばなぞしも花の咲くにさくらむ
   をしめどもつゐにいつもとゆくはるはくゆともつゐにいつもとめじを
 是はくつかうぶりとも云ふべし。此歌の體大事(たくみイ)なり。よむ人もあれどもはかばかしきもなし。朝夕によむべきにあらず。口傳あり。
   
    13.  手元に、角川文庫の『土屋耕一回文集 軽い機敏な仔猫何匹いるか』(昭和61年1月10日初版発行)があります。巻末に「あとがき、または回文のつくり方」があって、回文を自分で作ってみようという人に参考になると思います。ただ、私の趣味に合わない種類の回文も含まれているのが、少し残念です。    
    14.  駒澤大学総合教育研究部日本文化部門のホームページ『情報言語学研究室』に、「ことばあそび」のページがあり、そこに「(6)回文」があって、大変参考になります。(2012年5月4日付記)
 → 「(6)回文」
   
    15.  山口謠司著『てんてん─日本語究極の謎に迫る』(角川選書500、平成24年1月25日初版発行)に、次のようにあります。
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 平安時代末期には、すでに「回(廻)文」も作られていた。「回文」とは、上から読んでも、下から読んでも同じ文になる文句であるが、鎌倉時代までには、和歌でも回文がつくられるほど、和歌の技巧は高度になっていたのである。
 藤原清輔(1104-77)が書いた『奥儀抄』という歌論書には次のような「回文」の和歌が載せられている。
          
 廻文歌。さかさまによむに同歌也。草花を詠む古歌に云う。
   むら草に 草の名はもし そなはらば なそしも花の 咲くに咲くらむ

      また、藤原隆信(1142-1205)の歌集には五首の回文の和歌が載せてある。

  白浪の 高き音すら なかはまは かならずとをき かたのみならし
    繁る葉も かざしていはま 闇くだく みやまはいでじ さかも遙けし
  長き夜の のもはるかにて そまくらく まそでにかるは もののよきかな
  はらあける 船なるたなは いをとると をいはなたるな ねぶるけあらば
  しなたまも をかしなまひも 待てしばし てまもひまなし かをも又なし

 以上、濁点をつけて写したが、原文には濁音の表記はない。しかし、濁点を無視しても構わないからこそ、回文の和歌もできる。(同書、133~4頁)
   
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              (2012年7月6日付記)

 ※ 『国立国会図書館コレクション』に、『群書類従』第327ー328冊(巻258上下)所収の「藤原隆信朝臣集上下」があり、そこで「しらなみの……」以下5首の回文歌が見られます。

 『国立国会図書館デジタルコレクション』
    →  『群書類従』第327-328(「藤原隆信朝臣集」)
   → 「しらなみの……」以下5首の回文歌 63 /141
 
   





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