資料13 島崎藤村の合本詩集の「自序」
自 序
若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四巻
をまとめて合本の詩集をつくりし時に
遂に、新しき詩歌の時は来りぬ。
そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者の如く叫び、あるもの
は西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光と新声と空想とに酔へるがごとくな
りき。
うらわかき想像は長き眠りより覚めて、民俗の言葉を飾れり。
伝説はふたゝびよみがへりぬ。自然はふたゝび新しき色を帯びぬ。
明光はまのあたりなる生と死とを照せり、過去の壮大と衰頽とを照せり。
新しきうたびとの群の多くは、たゞ穆実なる青年なりき。その芸術は幼稚なりき、
不完全なりき、されどまた偽りも飾りもなかりき。青春のいのちはかれらの口脣に
あふれ、感激の涙はかれらの頰をつたひしなり。こゝろみに思へ、清新横溢なる思
潮は幾多の青年をして殆ど寝食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と煩悶と
は幾多の青年をして狂せしめたるを。われも拙き身を忘れて、この新しきうたびと
の声に和しぬ。
詩歌は静かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや。げにわが歌ぞおぞき苦
闘の告白なる。
なげきと、わづらひとは、わが歌に残りぬ。思へば、言ふぞよき。ためらはずし
て言ふぞよき。いさゝかなる活動に励まされてわれも身と心とを救ひしなり。
誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、
若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉は
すなはち新しき生涯なり。
われもこの新しきに入らんことを願ひて、多くの寂しく暗き月日を過しぬ。
芸術はわが願ひなり。されどわれは芸術を軽く見たりき。むしろわれは芸術を第
二の人生と見たりき。また第二の自然とも見たりき。
あゝ詩歌はわれにとりて自ら責むるの鞭にてありき。わが若き胸は溢れて、花も
香もなき根無草四つの巻とはなれり。われは今、青春の記念として、かゝるおもひ
での歌ぐさかきあつめ、友とする人々のまへに捧げむとはするなり。
明治卅七年の夏 藤 村
(注)1.岩波文庫『藤村詩抄』(昭和2年7月10日第1刷発行、昭和32年7月5日第35刷
改版発行、昭和45年4月10日第48刷発行)によりました。
2.仮名遣いは、もとのままですが、漢字は、ほぼ常用漢字に改め
ました。
3.上記の岩波文庫『藤村詩抄』は、電子図書館「青空文庫」で読
むことができます。
→ 『藤村詩抄』