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(注) |
1. |
本文は、明治文学全集37『政教社文学集』(松本三之介編、筑摩書房・昭和55年5月15日初版第1刷発行)所収の「志賀重昂篇『日本風景論』によりました(同書54~56頁)。この 『日本風景論』の最後に、(明治27年10月・政教社刊)と付記してあります。(明治27年10月・政教社刊の『日本風景論』は、注9に出してあります。)
ここに掲げた本文の後に、「(ニ)登山の準備」「(三)花崗岩の山嶽」「(四)登山中の注意」という文章が続いています。 |
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2. |
初めの「登山の気風を興作すべし」の右側(本文は縦書き)に、「附録」と記してあります。 |
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3. |
文中の縦書きの文字の右側に、白丸・黒丸・二重白丸を付してある箇所が数箇所ありますが、ここではこれを省略しました。 |
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4. |
平仮名の「こ」を押し潰したような形の繰り返し符号は、「々」で代用してあります。(「愈々」「益々」「會々」など) |
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5. |
漢文「登富士山記」に出てくる次の漢字は、「島根県立大学e漢字フォント」の漢字フォントを使用しました。)
(「匯」のサンズイが左外に出た形)、(山+巠)、(食+卞)、(左側に「山」の下に「雀」、右側に「戈」:音サツ)、 (上に「山」+「薛」-草冠:音ガツ)、(目+氐)、(尸+非)。
〇
という漢字は、諸橋轍次著『大漢和辞典 巻四』によれば、「サツガツ」と読み、「山の高峻なさま」を表す言葉だそうです。 司馬相如の「上林賦」に、「九峻--、南山峩峩」とあるそうです。
司馬相如の「上林賦」は、『文選』に収められています。新釈漢文大系80『文選(賦篇)中』(明治書院発行)所収の司馬長卿(司馬相如)「上林賦」では、「サツ」という漢字は、「山」の下に「截」という漢字になっています。 |
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6. |
志賀重昂の『日本風景論』は、明治27年10月24日に初版が出され、以後度々増補を加えながら版を重ねました。昭和12年1月15日発行の岩波文庫版は、明治36年6月10日発行の第15版によった、と同文庫巻頭の小島烏水氏の解説にあります。
岩波文庫版の本文との主な異同は、次の通りです。
< 『政教社文学集』 → 岩波文庫版 > の形で示します。
(初めの部分にある) 大地 → 太地
(終わり近くにある) 大覺 → 太覺 大氣 → 太氣
(「(三)水の美、奇は山を得て大造す」の初めにある)
益々奇、→ 益々奇を成し、
(終わり近くにある)
地球以外の惑星より此の惑星を眺矚するに似、
→ 地球以外の惑星より此の惑星を眺觀するに似
その他、句点→読点、読点→句点、句読点の有無、漢字の字体の違い、などがありますが、詳しくは省略します。
○ 注9に紹介した 『国立国会図書館デジタルコレクション』で見てみますと、明治27年10月発行の『日本風景論』には、「太地」「太氣」となっています。
その他にも「藐視するの慨あり」となっている箇所が、「……概あり」と直してあるようですので、明治文学全集37『政教社文学集』所収の本文は、巻末の「解題」の後にある「編集部註」(同書449頁)には「本集の本文収録に当っては、カナの清濁や句読点まで底本通りとすることを旨とした」とあるのですが、編者の校正がある程度なされているものと考えられます。 |
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7. |
志賀重昂(しが・しげたか)=地理学者。号は矧川(しんせん)。愛知県の人。札幌農学校卒。三宅雪嶺らと雑誌「日本人」を創刊、国粋主義を主張。世界各地を巡遊。著「日本風景論」「世界山水図説」など。(1863~1927)(『広辞苑』第6版による) |
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8. |
ここで底本とした明治文学全集37『政教社文学集』の巻末にある「年譜」に、志賀重昂の詳しい年譜があります。(450~452頁) |
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9. |
『国立国会図書館デジタルコレクション』で、『日本風景論』(志賀重昂著・政教社、明治27年10月発行)の本文画像を見ることができます。
『国立国会図書館デジタルコレクション』
→「日本風景論」(政教社、明治27年10月発行)
(「登山の気風を興作すべし」は、画像の77~80 /
143 の部分です。)
昭和12年1月15日に発行された岩波文庫の『日本風景論』が、同じ『国立国会図書館デジタルコレクション』で見られます。 |
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10. |
「世界的な地理学者 志賀重昂」というページが『愛知県総合教育センター』のホームページにあり、そこで志賀重昂の銅像と重昂の墓の写真、その業績についての解説、略年譜が見られます。
『愛知県総合教育センター』
→「世界的な地理学者 志賀重昂」 |
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11. |
『ニッポン旅マガジン』というサイトに、「志賀重昂墓所」という記事があり、そこで志賀重昻の墓所などの写真や説明が見られます。 |
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12. |
岩波現代文庫に『志賀重昻『日本風景論』精読』(大室幹雄著、2003年1月16日発行)があります。
同書の紹介文に、「日本の風景は世界でも最優秀であると説いた『日本風景論』は、日清戦争のさなかに刊行され、ベストセラーとなった。江戸漢詩文を基盤とする独特の文学性や当時の地理学の問題を掘り起こし、「国粋保存旨義」を主張した志賀重昂のナショナリズムとは何であったのかを探る。近代日本の精神史を風景受容から逆照射する書下ろし」とあります。 |
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13. |
本文中に引用してある漢文「登富士山記」の作者について。
澤元愷 (たく・げんがい) 本名、平澤元愷(ひらさわ・げんがい)。山城国宇治出身の漢学者。字は弟侯。旭山と号した。『漫遊文草』の著があり、「登富士山記」はその中に収められている。 1733(享保18年)~1791(寛政3年)。 |
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14. |
『漫遊文草』(澤元愷著、明治20年・万笈閣発行)が『国立国会図書館デジタルコレクション』に入っていて、「登富士山記」の本文を画像で見る(読む)ことができ
ます。(富士 山の絵と絶頂図とが付いています。)
『国立国会図書館デジタルコレクション』
→『漫遊文草』
→「登富士山記」 |
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15. |
資料275に、志賀重昂撰による「間宮先生埋骨之処」碑文(間宮林蔵顕彰碑)があります。 |
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