資料124 劉向『説苑』(抄)



         説 苑(抄)    劉向


巻第三 建本 より

伯兪有過其母笞之泣其母曰他日笞子未嘗見泣今泣何也對曰他日兪得罪笞甞痛今母之力不能使痛是以泣故曰父母怒之不作於意不見於色深受其罪使可哀憐上也父母怒之不作於意不見其色其次也父母怒之作於意見於色下也

(参考)『蒙求』に、「416 伯瑜泣杖」として、次のように出ています。
 説苑曰伯瑜有過其母笞之泣母曰他日笞未嘗泣今泣何也對曰他日得罪笞常痛今母之力不能痛是以泣十二國史瑜作兪
 ○ 「十二國史瑜作兪」とあるのは、今本『説苑』は本文が兪、注に「十二國史兪作瑜」となっていて、逆になっているそうです。(この項は、新釈漢文大系59『蒙求 下』(早川光三郎著)によりました。) 


巻第四 立節 より

子思居於衛縕袍無表二旬而九食田子方聞之使人遺狐白之裘恐其不受因謂之曰吾假人遂忘之吾與人也如棄之子思辭而不受子方曰我有子無何故不受子思曰伋聞之妄與不如遺棄物於溝壑伋雖貧也不忍以身爲溝壑是以不敢當也


巻第七 政理 より

齊桓公出獵逐鹿而走入山谷之中見一老公而問之曰爲是何谷對曰爲愚公之谷桓公曰何故對曰以臣名之桓公曰今視公之儀状非愚人也何爲以公名對曰臣請陳之臣故畜牸牛生子而大賣之而買駒少年曰牛不能生馬遂持駒去傍鄰聞之以臣爲愚故名此谷爲愚公之谷桓公曰公誠愚矣何爲而與之桓公遂歸明日朝以告管仲管仲正衿再拜曰此夷吾之愚也使堯在上咎繇爲理安有取人之駒者乎若有見暴如是叟者又必不與也公知獄訟之不正故與之耳請退而脩政孔子曰弟子記之桓公霸君也管仲賢佐也猶有以智爲愚者也況不及桓公管仲者也


巻第九 正諫 より

呉王欲伐荊告其左右曰敢有諫者死舎人有少孺子者欲諫不敢則懷丸操彈遊於後園露沾其衣如是者三旦呉王曰子來何苦沾衣如此對曰園中有樹其上有蝉蝉高居悲鳴飲露不知螳螂在其後也螳螂委身曲附欲取蝉而不知黄雀在其傍也黄雀延頸欲啄螳螂而不知彈丸在其下也此三者皆務欲得其前利而不顧其後之有患也呉王曰善哉乃罷其兵

景公有馬其圉人殺之公怒援戈將自撃之晏子曰此不知其罪而死臣請爲君數之令知其罪而殺之公曰諾晏子擧戈而臨之曰汝爲吾君養馬而殺之而罪當死汝使吾君以馬之故殺圉人而罪又當死汝使吾君以馬之故殺人聞於四鄰諸侯汝罪又當死公曰夫子釋之夫子釋之勿傷吾仁也


巻第十四 至公 より

楚共王出獵而遺其弓左右請求之共王曰止楚人遺弓楚人得之又何求焉仲尼聞之曰惜乎其不大亦曰人遺弓人得之而已何必楚也仲尼所謂大公也


  (注) 1.  本文は、中国古典新書『説苑』(高木友之助著、明徳出版社・昭和44年4月30日初版、平成2年8月30日4版)によりました。
 本文に施してある返り点・句読点は、これを省略しました。       
   
    2.  〇『説苑』(ぜいえん)=君主を訓戒するため逸話を列挙した教訓的説話集。君道・臣術・建本・立節・貴徳・復恩など二〇編。漢の劉向(りゅうきょう)撰。 (『広辞苑』第6版による)    
    3.  〇劉向(りゅうきょう:リュウコウとも)=前漢末の学者。目録学の始祖。字は子政。劉歆(りゅうきん)の父。宣帝の時に賦頌数十編を献じ、元帝の時に讒(ざん)により免官、成帝の時に光禄大夫となる。著「列女伝」「洪範五行伝」「説苑」「新序」など。(前77~前6) (『広辞苑』第6版による)    
    4.   資料35の陶淵明「五柳先生伝」の注6に、『列女伝』巻二賢明伝「十一 魯黔婁妻」が引用してあります。    
           
           



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