資料3 山本五十六元帥の「述志」(昭和14年)




              述 志

     一死君国に報ずるは素より武人の本懐のみ、
     豈戦場と銃後とを問はむや。
     勇戦奮闘戦場の華と散らむは易し、
     誰か至誠一貫俗論を排し斃れて後已むの難きを知らむ。
     高遠なる哉君恩、悠久なるかな皇国。
     思はざるべからず君国百年の計。
     一身の栄辱生死、豈論ずる閑あらむや。
     語に曰く、
     丹可磨而不可奪其色、蘭可燔而不可滅其香と。
     此身滅す可し、此志奪ふ可からず。
       昭和十四年五月三十一日
            於海軍次官官舎
                     山本五十六

 


  (注) 1.  本文は、山本義正著『父・山本五十六 その愛と死の記録』(昭和44年8月15日初版発行・昭和44年9月20日20版発行、光文社)<カッパブックス>によりました。
 ただし、「斃れて後已むの難きを知らむ」は、上記の本文に「斃れて已むの難きを知らむ」とあるのを(同書165頁)、下記「注10」に記した朝日新聞掲載の写真によって「後」を補いました。また、仮名の「ん」を「む」に直しました。(2008年12月2日追記)
   
    2.  文中の「丹可磨而不可奪其色、蘭可燔而不可滅其香」は、上掲書では、「丹(あか)磨くべくして其の色奪ふべからず、 蘭燔(や)くべくして其の香滅すべからず」と読ませています。
 この言葉は、
   丹可磨而不可奪其色、蘭可燔而不可滅其香。
   玉可碎而不可改其白、金可銷而不可改其剛。
という形で用いられているようです。また、「玉可碎而不可改其白、竹可破而不可毀其節」という形も見られます。
   
    3.  読みの注を補っておきます。
  豈……あに。 誰か……たれか。 斃れて後已む……たおれてのちやむ。 難きを……かたきを。 論ずる閑……ろんずるいとま。
   
    4.  昭和16年の「述志」が、資料4にありますので、ご覧下さい。    
    5.  新潟県長岡市に、「山本五十六記念館」があります。
  「山本五十六記念館」
   → 山本五十六人物紹介  
   
    6.  国立国会図書館の『近代日本人の肖像』で、山本五十六元帥の肖像写真を見ることができます。     
    7.  『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というサイトの「会ってみたいな、この人に」(銅像との出会い)の中に、山本五十六元帥の銅像の写真と解説があって、参考になります。    
    8.  『鳥飼行博研究室』というサイトに、「山本五十六海軍大将暗殺の検証・真珠湾攻撃首謀者への報復写真」というページがあります。    
    9.  半藤一利著『山本五十六』(平凡社、2007年11月23日初版第1刷発行)が出ました。
 同書「まえがき」によれば、「本書は、昭和61年(1986)に恒文社から刊行した『山本五十六の無念』を支柱として、それに比較的最新の作を集めて新編集したもの」だそうです。          
   
    10.  平成20年(2008)12月2日付け朝日新聞夕刊に、「山本五十六の遺書「述志」の原本 初公開へ」─大分・6日から 戦争への心境記す歌も─として、山本五十六の遺書として知られる「述志」の原本が、東京都内にある元海軍中将、堀悌吉(1883~1959)氏の孫の家で見つかったと報じられました。堀元中将の業績を調べている大分県教育委員会が1日発表した由です。
 見つかったのは、海軍次官だった39年と、連合艦隊司令長官時代の41年に書かれたもので、いずれも便箋に毛筆で書かれている由です。大分県出身の堀悌 吉氏は、1930年のロンドン軍縮会議に海軍省軍務局長としてかかわり、軍縮を進める「条約派」の立場を取り、山本とは海軍兵学校の同期で互いに信頼し合っていたそうです。
 新聞に掲載された昭和14年の述志の写真によれば、改行等は次の通りです。(なお、文字に一部変体仮名が用いられていますが、ここでは普通の仮名に直して記しました。また、末尾の「海軍次官々舎」の「々」は、原文は平仮名の「こ」を潰した形の繰り返し符号になっているようです。)

     述 志  
  一死君國に報するは素より
  武人の本懷のみ豈戰場と
  銃後とを問はむや
  勇戰奮闘戰場の華と散ら
  むは易し誰か至誠一貫俗論
  を排し斃れて後已むの難き
  を知らむ

   高遠なる哉君恩 
   悠久なるかな皇國
  思はさるへからす君國百年
  の計 一身の榮辱生死
  豈論する閑あらむや
  語に曰く
  丹可磨而不可奪其色蘭可
  燔而不可滅其香  と

  此身滅す可し此志奪ふ可
  からす
   昭和十四年五月卅一日
   於海軍次官々舎  山本五十六
              (花押)

       (2008年12月2日追記)
   
    11.  『asahi.com』 に「山本五十六の遺書「述志」の原本発見 堀悌吉の子孫宅 」 という平成20年(2008)12月2日付け朝日新聞夕刊の記事が出ていましたが、現在は見られないようです。    
    12.  かつて、『YOMUIRI ONLINE』に、「山本五十六の述志、大分の先哲史料館で展示始まる」という記事(2008年12月7日読売新聞)が出ていましたが、これは平成20年(2008)5月に、山本五十六の親友だった大分県杵築市出身の元海軍中将・堀悌吉の孫宅(東京)で見つかった「述志」ほかの資料を展示したことについて報じたものでした。
 しかし、『YOMUIRI ONLINE』のこの記事も、現在は見られないようです。
   
    13.  『 たむ・たむ(多夢・太夢)ページにようこそ!!』というサイトが最近見当たらなくなってしまいましたが、何とか『更新記録』というところに、捜していた「山本五十六」というページが見つかりましたので、リンクを貼っておきます。
 『 たむ・たむ(多夢・太夢)ページにようこそ!!』
  → 『更新記録』
  → 「山本五十六」


 ここには、昭和14年5月31日付けの「述志」の写真や五十六元帥の写真の他、参考になる記事が掲載されています。 
   
 
 
 







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