資料662 『俊頼髄脳』の「月の鼠」の歌二首 





       『俊頼髄脳』の「月の鼠」の歌二首

 露のいのち草の葉にこそかかれるを月のねずみのあわたたしきかな
 草のねに露のいのちのかかるまを月のねずみのさわぐなるかな
これは、世のはかなきたとひにて、経文(きやうもん)にある事とぞうけ給はる。たとへば、人ありて、はるかなる荒野をゆくに、虎(とら)といふけだもの、にはかに来たりて、その人を食(くら)はむとする。にげて走る程に、野の中に、古き井のやうなる穴に走りいりて、穴のなからばかりにある草をひかへて見れば、穴の底に、わにといへるものの、大きなる口をあきて、落入(い)らば食(くら)はむと思ひて待つ。目のおほきなる事、金椀(かなまり)のごとし。歯の白く長きこと、つるぎのごとし。落入りつる上(かみ)を見れば、追ひつる虎、また、口をあきて、はひのぼらば食(くら)はむと思ひて、にらみて立てり。まなこ白く、歯の長きこと、底にあるわにのごとし。その、たのみてひかへたる草のねを、白きねずみと、黒きねずみと、二つして、かはるがはるつみ切る。つひに切れては、落入りて、底に待ちをるわにに食(くら)はれなむとす。落入らぬさきに、かきあがらむとすれば、上に立てる虎、はまむとして立てり。これすなはち、この世中のたとひなり。底にあるわには、我がつひのすみかの地獄なり。上にを追ひいれつる虎は、この世にてつくりあつむる業障煩悩(ごふしやうぼんなう)なり。たちかはりつつ、草の根をつみ切るねずみは、月日の過ぎゆくなり。白きねずみは日なり。黒きねずみは月なり。月日のゆくさまなむ、かのねずみの、草の根をつみ切るがやうに、程もなきといへるたとひなり。これらをみても、心あらむ人は、世のはかなき事をば、思ひしるべきなり。
   

  (注) 1.  上記の本文は、日本古典文学全集 50『歌論集』(橋本不美男・有𠮷保・藤平春男 校注・訳、小学館 昭和50年4月30日初版発行)によりました。
 『俊頼髄脳』は橋本不美男 校注・訳とあります。
 ここでは、本文だけにして口語訳は省略しました。
   
    2.  上記の日本古典文学全集 50『歌論集』の凡例に、次のようにあります。
 〇『俊頼髄脳』は、国立国会図書館蔵『俊頼髄脳』を底本とし、静嘉堂文庫岡本保孝手校『俊頼口伝集』(4冊)の「一本」書入れ本文をもって校合した。
 〇本文は読みやすくするために、次のような操作を加えた。
  句読をきり、濁点を加えた。
  仮名づかいは、歴史的仮名づかいに統一し、送り仮名を適宜補った。
  「らむ」「けむ」「なむ」の類は、「ん」の表記をとらず、すべて「む」にした。反復記号(「ゝ」「平仮名の「く」を縦に延ばした形の符号」)は用いず、もとの文字をくり返して記した。
   
    3.
 また、日本古典文学全集 50『歌論集』の頭注に次のようにあります。
 〇「露の命」の歌……次の歌とともに、類歌として『高光集』に「世の中はかなくのみ覚えて法師になりなむと覚ゆる頃 頼むよか月のねずみの騒ぐまの草葉にやどる露の命は」があり、後歌は、『奥義抄』上に古歌として引用されている。二首ともに伝承の古歌か。
     * * * * * 
 引用者注:
 (1)国際日本文化研究センター(日文研)のホームページに、『高光集』が出ていて、そこに、
 「00034 たのむよかーつきのねすみのーさわくまのーくさはにやとるーつゆのいのちを」
があり、『高光集 異同歌』のところに、
 「00034 たのむよかーつきのねすみのーさわくまのーくさはにかかるーつゆのいのちは」
が出ています。「くさはにやとるつゆのいのち」と「くさはにかかるつゆのいのち」の二つの形があるということでしょう。
 ただ、『歌論集』の頭注に「くさはにやとるつゆのいのち」とあるのが、ここには「くさはにやとるつゆのいのち」となっていることが注目されます。
  → 国際日本文化研究センター(日文研)
   →『高光集』『高光集 異同歌』

 (2)頭注にある「後歌は、『奥義抄』上に古歌として引用されている」の「後歌」とは、『俊頼髄脳』にある二首の和歌のうちの2番目の「草のねに露のいのちのかかるまを月のねずみのさわぐなるかな」のことです。『奥義抄』のこの部分を注7に引いてありますので、ご覧ください。
     * * * * *
 〇「たとへば」以下……この例話は、『大集経』に拠り、それをわかりやすく意訳したものか。(引用者注:しかし、『大集経』では人を追う動物は虎でなく象になっているそうだし、鰐も出ていないとするとこの注はいかがなものか。)
 〇草をひかへて見れば……(「ひかへ」は動詞「控ふ」の連用形。)この「控ふ」は、ひきとめる・支えるの意。
 〇わに……『和名抄』箋注に拠ると鮫(さめ)類の古名。ここでは『大集経』の毒蛇に該当するので爬虫類の鰐か。
   * * * * * 
 引用者の注:
 「露の命」の歌に「月のねずみのあわたたしきかな」とありますが、「あわただし」という形容詞は、「古くは清音」であったと、『広辞苑』第7版にあります。
 『大集経』(だいじっきょう)=『大方等(だいほうどう)大集経』の略称。
 『大方等大集経』(だいほうどうだいじっきょう)=仏書。曇無讖(どんむしん)らの訳。隋の僧就(そうじゅ)の合編。60 巻。大集部の諸経を集成したもの。大集経。(この項は『広辞苑』第7版による。)
   
    4.  「露のいのち……」「草のねに……」の歌の意味が、『歌論集』の口語訳に次のように出ています。申し訳ありませんが、引用させていただきます。
 露のいのち……人の命ははかないものでまるで露のようなものである。しかもその露がやっと草の葉にのっているのを、落とそうとして月の鼠──月日──が走り廻るように、月日はすぐに過ぎてしまう。
 
草のねに……草の根に露──命──がやっとしがみついているのに、月日という鼠が落とそうとして盛んに走り廻っていることだ。
   
    5.  『俊頼髄脳』の書名と成立について、 『歌論集』の解題に次のようにあります。
 本書の書名について
 『和歌童蒙抄』(藤原範兼)以下には俊頼朝臣無名抄・俊頼朝臣抄物・俊頼抄として引用され、現存写本も俊頼無名抄
俊秘抄・俊頼口伝集・唯独自見抄など、さまざまな名目で伝存している。従って、当初より明確な標題はなかったものと思われる。本全集の底本とした国立国会図書館本には、「俊頼髄脳」と標目されているので、書名はそれに拠った。
 
本書の成立について 
 本書の成立は、一応下限を永久二(1114)年末、上限を天永二(1111)年の初めとしておこう。
 
   
    5.  国立国会図書館蔵の『俊頼髄脳』は、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。
 → 国立国会図書館デジタルコレクション
  → 『俊頼髄脳』
  →『俊頼髄脳』の「月の鼠」の歌二首のページ71~72/172)
   
    6.  俊頼髄脳(としよりずいのう)=歌論書。二巻。源俊頼著。1111年(天永2)頃の成立。関白藤原忠実の女(むすめ)のために作歌の手引として著したもの。和歌の略史・種類・病・効用・技法などを説き、歌語の詳説に至る。和歌説話を多く記す。俊頼口伝。俊頼無名抄。俊秘抄(しゅんぴしょう)。(『広辞苑』第7版による。)    
    7.  『俊頼髄脳』にある「草のねに露のいのちのかかるまを月のねずみのさわぐなるかな」の歌についての『奥義抄』の記事。

 『歌学文庫』(室松岩雄編纂、明治43年9月30日・一致堂書店発行)に収められている『奥義抄』から、該当部分を引いておきます。

 この『歌学文庫』は、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。(ただし、個人送信サービスを利用するため、「利用者登録」をして見る必要があります。)
 → 
国立国会図書館デジタルコレクション

  →『歌学文庫 一』
  →『歌学文庫』の『奥義抄』の該当部分 45/210

       * * * * * 

 
赤染歌云
卌八 けふも又むまのかひこそふきつなれ
    
ひつしのあゆみちかつきぬらん
是は法文にある事也羊をかひてよくこえぬるおりは
これをころしてくふ也ころさんとするところへひき
ゐてゆくにしたかいてしなんすることのちかつくを
世中の人にたとへて羊のあゆみとは云り 世中のほ
となくすくるたとへには又ひまゆくこまと云事あり
これも文にいへりしろき馬くろき馬のをひつゝきて
ゆくをものゝはさまより見るにたとへたり白駒は日
也黑駒は月なり月日のすくることかのむまのやうに
なんほともなきと云也又月のねすみと云事ありそれ
は樓炭經文也世中のたとへに虎にをはれてにくるに
大きなる穴におちいりぬあなのなかほとにくさのわ
つかにあるにおちかゝりてとりすかりて見れはそこ
にわにといふものゝまちうけておちはくらはんとす
るあひたに此草のねをしろきねすみくろきねすみか
はるかはるはみきるのほらんとすれは又をひつる虎あ
なの口にある也そこなるわには地獄也をひつる虎は
此世にてつくれる業障也しろきねすみは日也くろき
ねすみは月也月日のゆくことかのねすみのたのめる
草をはみきるか如くにほとなきよし也高光少將歌云
  たのむよか月のねすみのさはくまの
    くさはにかゝるつゆのいのちを
此歌は古歌也
  草のねに露のいのちのかゝるまを
    月のねすみのさはくなるかな

 引用者注:文中に「そこにわにといふものゝまちうけておちはくらはんとす
る」「月日のゆくことかのねすみのたのめる草をはみきるか如くにほとなきよし也」とある「おちは」「はみきるか如くに」は、『歌学文庫』には「おちば」「はみきるが如く」と、「は」と「か」に濁点がつけられているのですが、引用者の判断で刊本に拠って濁点を取って清音にしました。この点、ご注意ください。
   
    8.  慶安5年刊の『奥義抄』が、『国書データベース』に収められている和歌山大学附属図書館蔵の紀州文庫『奥義抄』で見られます。
 国書データベース
  → 28 奥義抄、和歌山大  紀州藩、010-0002-001、刊。慶安5。6冊、マイクロ/デジタル。100010500
       該当ページは、174~175/285
   









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