ゲストブック 6
  (2018年8月 〜 2018年11月)
 




[38] ありがとうございました

 投稿者: くまるま 投稿日:2018年11月 6日(火)06時41分6秒 

 

管理人さま
たびたびお返事をいただき誠にありがとうございます。父にメール添付して尋ねてみました。多分これだ!という返答だったので、中身も見て欲しいとダウンロードの仕方を教えたのですが、やはりそこはなかなかハードルが高いようで(あと、老人施設への慰問などで忙しかったようで)中身は見れなかったようですが、喜んでいました。年末に帰省した際に見せたいと思います。あれこれと情報を頂けてほんとうに感謝しております。ほんとうにありがとうございました。


(管理人より)        くまるま様
やっと一つ、それらしい教科書が見つかったようで、よかったです。
教科書の本文を見て、これに間違いないとなればいいですね。

私は、1年生の国語教科書では、満洲にいる叔父さんからの手紙にあった、
  西ハ 夕ヤケ 赤イ クモ、
  東ハ マルイ オ月サマ。
  カウリャン カッテ ヒロイナア、
  ドッチヲ 見テモ ヒロイナア。
という歌の「カウリャン カッテ ヒロイナア」という句を、どういうわけか覚えていました。

ご連絡ありがとうございました。




[37] くまるま様

 投稿者: 管理人より 投稿日:2018年11月 3日(土)10時19分14秒

 

くまるま様

画像が投稿できることが分かりましたので、お父上が小学3年生の時の国語の教科書と思われる文部省発行の教科書の表紙画像をお送りいたします。

ただ、花はツバキではなく、バラの花のようですが、この教科書ではないでしょうか。



[36] 管理人さま

 投稿者: くまるま 投稿日:2018年11月 2日(金)10時40分23秒 

 

管理人さま、たびたび貴重な情報をご享受頂き誠にありがとうございます。
岩本茂樹氏の資料3ページ目の左から2番目のものはかつてどの図書館でも見たことが無かったので、まさにこれだ!と確信しまして父に送信しましたが、残念ながら違ったようで、父いわく『カラーではなく、ペン書きでベティが大きくはつらつと書かれていた』と言っておりましたのでますますわからなくなってきました。父は鹿児島在住なので、鹿児島だけ違うものを使っていたりしたのかしらと思ったりもしています。また、小学3年生の時の国語の教科書は、ツバキの絵がペン書きで書かれていてそれに色を塗っていたものだとも教えてくれました。また課題が増えました(笑)
現在父は80歳で、認知症もなく体もシャンとして生き生きと過ごしております。私もまた時間を見つけては、父と思い出の教科書を再会させるべく頑張って探そうと思っております。
この度はお忙しい中、私の親孝行のためにご尽力頂き誠にありがとうございました。追伸にあったリンク先は何故か私のスマホから飛べなかったのでどうにか方法を探して読んでみたいと思います。
これからもまた覗かせて頂きますね。この度はどうもありがとうございました!


(管理人より)        くまるま様
なかなかうまく行きませんね。

ところで、お父上が小学3年生の時の国語の教科書というのは、昭和22年発行の教科書でしょうから、まだ文部省発行の教科書だったと思います。
検索してみたところ、次の教科書がそれらしいのですが、花はツバキではなく、バラの花のようです。これではないでしょうか?

 → 『國語 第三学年 上』
 http://dc.lib.hiroshima-u.ac.jp/text/metadata/5213

これがお父上の思い出の教科書だといいのですが。
もし、そうなら、本文を全部、画像で見ることができます。





[35] 資料39 万葉集の戯書(戯訓)に感謝

 投稿者: 久保 公 投稿日:2018年10月26日(金)22時38分27秒 

 

はじめまして
資料39「 万葉集の戯書(戯訓)」に、感謝いたしております。

李白の「春夜宴桃李園序」の「羽觴を飛ばす」を検索しましたら、
王羲之の「蘭亭集序」のこちらのページにたどり着きました。
すると、資料39「 万葉集の戯書(戯訓)」が紹介されてあり、さらに、
「万葉集」九・1787の礒城嶋能 日本国乃 石上 振里尓 紐不解・・・
にリンクしている「玉台新詠」の歌が紹介されてあり、驚き入りました。

「万葉集の謎」「枕草子の謎」「奥の細道の謎」これらが一つながりとなりました。
「いろいろ」興味深い項目がありますので、ありがたく勉強させていただきます。
 78歳老女


(管理人より)     久保 公 様
ご丁寧にご連絡くださり、ありがとうございました。
私の資料が少しでもお役に立てれば、こんな嬉しいことはございません。
気ままに書いていますので誤りの記述も多いかと思いますので、お気づきの点を教えていただければ幸いです。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



[34] くまるま様へ

 投稿者: 管理人より 投稿日:2018年10月26日(金)09時01分48秒 

 

(返信欄の字数が500字をオーバーしそうなので、こちらから書きます。)

「BETTYがブックエンドを持っている絵」ということですが、ブックエンドで間違いありませんか?

それと、「昭和26年の『JACK  AND  BETTY』の教科書の表紙と8〜9頁の写真が出ています」と返信に書きましたが、岩本茂樹氏の文章に出ている教科書の写真によると、ここに出ている表紙は昭和27年度〜36年度の教科書のようですね。

昭和26年度〜33年度の『JACK  AND  BETTY』の写真は、二人が歩いている絵になっています。お父上がお使いになった教科書は、この教科書でしょうか。(写真がカラーでないのが残念です。)

〇 岩本茂樹氏の「戦後日本におけるアメリカニゼーションーJACK AND BETTY を通してー」
→ https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/83/83-ch7.pdf
〇 ヤフオクのページ
https://aucview.aucfan.com/yahoo/l262058980


(管理人より) 追伸
岩本茂樹氏の「戦後日本におけるアメリカニゼーションーJACK AND BETTY を通してー」に出ている昭和26年度〜33年度の『JACK  AND  BETTY』の表紙の写真は白黒ですが、これと同じ図柄のカラーの教科書の写真は、他でも多く見られると思います。
このことを付け加えておきます。
これがお父上の捜しておられる教科書だといいのですが。

次の画像は1年生の教科書ではありませんが、表紙の図柄は同じだと思います。
 → https://blogs.yahoo.co.jp/y0_yamaguchi/GALLERY/show_image.html?id=28072578&no=0




[33] ありがとうございました

 投稿者: くまるま 投稿日:2018年10月25日(木)12時35分31秒 

 

管理人様、お忙しいところご丁寧にいろいろ教えて下さりありがとうございました。とても嬉しく思いました。
無事に読むことが出来ました。
が、父の記憶だと挿絵も違うようで…。
父は国語の教員をしておりましたが、昔からとても記憶力がよく、昔のことをほんとうによく覚えているので(私なんて教科書の内容なんかこれっぽっちも覚えていませんが)、それはそれで何かほかのプリントなどでほんとうにあった文言なのではと思うようになりました。

あと、昭和26年の英語の教科書『JACK  AND  BETTY』も読みたがっていたので先日京都教育大学付属図書館に探しに行ったのですが、たまたま26年のものが無くて(ヨミカタもなくて)、ネットで調べた26年前後の年のものまでいくつか見せたのですが、『表紙が違う、BETTYがブックエンドを持っていた』と言います(遠方に住んでいるためなかなかゆっくり話することができなくて)
兄弟が多かったためそれなりに教科書も多かったでしょうし父の記憶違いもあるかもしれませんが、それならそれでそのブックエンドを持っている英語の教科書を探し出したいなあと思っています。もしも何かそれについて情報をお持ちでしたらまた教えていただけたらと思います。
また覗かせてくださいね。


(管理人より)         くまるま様
期待しておられたものと違っていたとのことで、本当に残念でした。
お父上ははっきり覚えておいでのようですから、おっしゃるように、国語の教科書以外の何かに載っていたものなのでしょうね。それが何かが分かればいいのですが。

それと、BETTYがブックエンドを持っている絵の『JACK  AND  BETTY』も見つかるといいですね。今のところ私には心当たりはありませんが、心がけておきます。

今回はお力になれず残念でした。もしどちらかでも見つかりましたら、私にもお知らせくださるようお願いします。

追伸:1. 岩本茂樹氏の「戦後日本におけるアメリカニゼーションーJACK AND BETTY を通してー」に昭和24年度用から昭和36年度用までの「JACK AND BETTY」の表紙写真が出ています(101頁)が、これはご覧になりましたか?
 → https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/83/83-ch7.pdf
  2. 次のところに、昭和26年の教科書の表紙と8〜9頁の写真が出ています。
 → https://aucview.aucfan.com/yahoo/l262058980/



[32] 昭和20年の国語の教科書

 投稿者: くまるま 投稿日:2018年10月21日(日)22時22分8秒

 

はじめまして。
Yahoo知恵袋でここのサイトを教えていただきやってきた者です。
昭和13年生まれの父が、1年生(昭和20年)の時の国語の教科書の文言を覚えているため、ネットであちこち探してみたり、京都教育大学附属図書館や、国立図書館関西館などに連れていきましたが、戦時中だったせいか、その時のものがのこっておらず、また20年の教科書の文献をネットで探し当てても、『アカイアカイアサヒ』ではなく、『アサヒダアサヒダオホキイアサヒダ』だったというのです。この文言はネットでいくら探しても出てきません。
こちら様のリンクでもやはりアカイアカイアサヒになっておられるようです。
父の記憶違いもあるかもしれませんが、教科書の挿絵含む内容についての記憶力は衰えておらず感心しています。どうにか生きているうちに写真でもいいのでその教科書と再会させてやりたいと思いまして躍起になっております。
もし、ご存知でしたら情報を頂けたら幸いです。よろしくお願いします。


(管理人より) くまるま様
メールを拝見しました。
お父上が、昭和20年に国民学校に入学されたとのことですので、当時の1年生の国語教科書は、文部省発行の「ヨミカタ 一」「ヨミカタ 二」だったと思われます。
だとすると、「ヨミカタ  一」の最初の文は、「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」だったはずで、お父上が憶えておられる「アサヒダ アサヒダ オホキイ アサヒダ」というのは、ご記憶違いではないでしょうか。

広島大学図書館のホームページに、『教科書コレクション画像データベース』があり、ここで「ヨミカタ 一」の全部のページが画像で見られますので、お父上にご覧に入れてみてください。
教科書の絵をみて、思い出されるといいのですが。

 → 『教科書コレクション画像データベース』の「国民学校(昭和16〜20年)」
   http://dc.lib.hiroshima-u.ac.jp/text/list/school_systems/33
このURLでページを開くと、その2ページ目に、「ヨミカタ一」が出ています。

 → 「ヨミカタ 一」をクリック
 → 「ファイル」の「43124.pdf」をクリック
 → (保存場所を決めて)「保存」する。
 → 保存した画像を開いて見る 。(画像をスクロールして次のページを見ます。)

もし、教科書の画像がうまく見られない場合は、またメールをください。
なお、国民学校1年生の国語教科書は、「ヨミカタ 一」と「ヨミカタ 二」ですので、「ヨミカタ 二」もご覧ください。



[31] 吉田松陰『東北遊日記』(抄)錯誤訂正

 投稿者: 方翊 投稿日:2018年 9月 2日(日)13時49分32秒

 

I read text and found a few mistakes according to the archive in 國立國會圖書館 Digital Collections.
1.嘉永四年十二月十八日:問余學所主「来」午時又導余至舘(誤)→問余學所主午時又「来」導余至舘
2.同年十二月廿日:「哺」時政助帰(誤)→「晡」時政助
3.同年十二月廿三日:為劉左「袒」人知忠(誤)→為劉左「祖」人知忠
Thank you.

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763418


(管理人より)    方翊 様
吉田松陰の『東北遊日記』(抄)の本文の誤りについて教えてくださいまして、誠にありがとうございました。
早速確認して、訂正いたしました。
ただ、十二月廿三日の「左袒」のところは、底本にした本文には確かに「左祖」となっているようですが、ここは意味から考えて「左袒」とあるべきところだと思われますので、『吉田松陰全集』第7巻(山口県教育会編纂、岩波書店・昭和10年2月9日第1刷発行)その他によって、本文を「左袒」と直して、直した旨を注で断ることにいたしましたので、ご了承ください。

詳しく見ていただいて入力ミスをご教示くださいまして、本当にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

入力した本文は、一応は見直したつもりでも、どういうわけか誤りが残ってしまうようです。そして、一旦公開してしまうと、再び見直すことは大変億劫になってしまいます。そのため、誤りがそのまま放置されてしまうことになってしまいます。
そういうわけで、他の方から教えていただけると大変助かります。

本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



[30] 資料のことでお問い合わせくださった方へ(再)

 投稿者: 管理者より 投稿日:2018年 9月 2日(日)10時00分20秒

                              

2018年9月2日
資料のことでお問い合わせくださった方へ

どういう形でご返事すればいいのか迷いました。この場からご返事を差し上げたほうがよろしいのでしょうか?

簡単にご返事いたします。
どうぞご利用ください。出典はどちらでもご都合のよろしいほうで結構です。

なお、何か不明の点がありましたら、お知らせください。






[26] 資料201 武石浩玻の銅像の碑文と写真 

 投稿者: 武石 投稿日:2018年 8月11日(土)23時48分57秒 

 

7番の3行目「現在は」の後はなかみなと市ではなく「ひたちなか市」です。


(管理人より)   武石 様
地名の誤記についてご注意くださいまして、ありがとうございました。
うっかり「なかみなと市」と書いてしまい、書いたあとでこの部分も何回か見たはずですが、長い間全く気づかずにおりました。
早速、正しく書き改めました。
その他にも誤記などがあると思いますので、お気づきの節はよろしくお願いいたします。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
本当にありがとうございました。