資料99 屈原「漁父辞」



          漁父辭    屈 平(屈 原)

屈原既放遊於江潭行吟澤畔顔色憔悴形容枯槁漁父見而問之曰子非三閭大夫與何故至於斯屈原曰擧世皆濁我獨清衆人皆醉我獨醒是以見放漁父曰聖人不凝滯於物而能與世推移世人皆濁何不淈其泥而揚其波衆人皆醉何不餔其糟而歠其醨何故深思高擧自令放爲屈原曰我聞之新沐者必彈冠新浴者必振衣安能以身之察察受物汶汶者乎寧赴湘流葬於江魚之腹中安能以皓皓之白而蒙世俗之塵埃乎漁父莞爾而笑鼓枻而去乃歌曰滄浪之水清兮可以濯吾纓滄浪之水濁兮可以濯吾足遂去不復與言



  (注) 1. 本文は新釈漢文大系 16 『古文真宝(後集)』(星川清孝著、明治書院昭和38年7月20日初版発行、昭和46年5月10日14版発行)によりました。 ただし、返り点・句読点、改行等は省略しました。      
    2.  屈原(くつげん)=中国、戦国時代の楚の人。名は平、字は原。官にちなみ三閭大夫(さんりょたいふ)とも呼ぶ。楚の王族に生まれ、王の側近として活躍したが妬まれて失脚、湘江のほとりをさまよい、ついに汨羅(べきら)に投身したという。巫覡(ふげき)集団の長であったともいわれる。憂国の情をもって歌う自伝的叙事詩「離騒」をはじめ、楚の歌謡を本とした楚辞文学を集大成した。(前343頃~前277頃)  (『広辞苑』第6版による。)    
           
           
           
           





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