資料92 福沢諭吉「学問のすゝめ」初編
 
         

 

    學問のすゝめ  初編           

 

 

 

                                                福 澤 諭 吉

 

 

 

○天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。されば天より人を生ずるには、萬人は萬人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、萬物の靈たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資(と)り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして各安樂に此世を渡らしめ給ふの趣意なり。されども今廣く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、其有樣雲と坭(どろ)との相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明なり。實語敎に、人學ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は學ぶと學ばざるとに由て出來るものなり。又世の中にむづかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。其むづかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分輕き人と云ふ。都(すべ)て心を用ひ心配する仕事はむづかしくして、手足を用る力役はやすし。故に醫者、學者、政府の役人、又は大なる商賣をする町人、夥多(あまた)の奉公人を召使ふ大百姓などは、身分重くして貴き者と云ふべし。身分重くして貴ければ自から其家も富で、下々の者より見れば及ぶべからざるやうなれども、其本を尋れば唯其人に學問の力あるとなきとに由て其相違も出來たるのみにて、天より定たる約束にあらず。諺に云く、天は富貴を人に與へずしてこれを其人の働に與るものなりと。されば前にも云へる通り、人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。唯學問を勤て物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無學なる者は貧人となり下人となるなり。

 

 

 

○學問とは、唯むづかしき字を知り、解し難き古文を讀み、和歌を樂み、詩を作るなど、世上に實のなき文學を云ふにあらず。これ等の文學も自から人の心を悦ばしめ隨分調法なるものなれども、古來世間の儒者和學者などの申すやうさまであがめ貴むべきものにあらず。古來漢學者に世帶持の上手なる者も少く、和歌をよくして商賣に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、其子の學問に出精するを見て、やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟其學問の實に遠くして日用の間に合はぬ證據なり。されば今斯る實なき學問は先づ次にし、專ら勤むべきは人間普通日用に近き實學なり。譬へば、いろは四十七文字を習ひ、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、尚又進で學ぶべき箇條は甚多し。地理學とは日本國中は勿論世界萬國の風土道案内なり。究理學とは天地萬物の性質を見て其働を知る學問なり。歴史とは年代記のくはしき者にて萬國古今の有樣を詮索する書物なり。經濟學とは一身一家の世帶より天下の世帶を説きたるものなり。脩身學とは身の行を脩め人に交り此世を渡るべき天然の道理を述たるものなり。是等の學問をするに、何れも西洋の飜譯書を取調べ、大抵の事は日本の假名にて用を便じ、或は年少にして文才ある者へは横文字をも讀ませ、一科一學も實事を押へ、其事に就き其物に從ひ、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり。右は人間普通の實學にて、人たる者は貴賤上下の區別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、此心得ありて後に士農工商各其分を盡し銘々の家業を營み、身も獨立し家も獨立し天下國家も獨立すべきなり。

 

 

 

○學問をするに分限を知る事肝要なり。人の天然生れ附は、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、唯自由自在とのみ唱へて分限を知らざれば我儘放蕩に陷ること多し。即ち其分限とは、天の道理に基き人の情に從ひ、他人の妨を爲さずして我一身の自由を達することなり。自由と我儘との界は、他人の妨を爲すと爲さゞるとの間にあり。譬へば自分の金銀を費して爲すことなれば、假令ひ酒色に耽り放蕩を盡すも自由自在なるべきに似たれども、決して然らず、一人の放蕩は諸人の手本となり遂に世間の風俗を亂りて人の敎に妨を爲すがゆゑに、其費す所の金銀は其人のものたりとも其罪許すべからず。又自由獨立の事は人の一身に在るのみならず一國の上にもあることなり。我日本は亞細亞(あじや)洲の東に離れたる一箇の島國にて、古來外國と交を結ばず獨り自國の産物のみを衣食して不足と思ひしこともなかりしが、嘉永年中「アメリカ」人渡來せしより外國交易の事始り今日の有樣に及びしことにて、開港の後も色々と議論多く、鎖國攘夷などゝやかましく云ひし者もありしかども、其見る所甚だ狹く、諺に云ふ井の底の蛙にて、其議論取るに足らず。日本とても西洋諸國とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空氣を共にし、情合相同じき人民なれば、こゝに餘るものは彼に渡し、彼に餘るものは我に取り、互に相敎へ互に相學び、恥ることもなく誇ることもなく、互に便利を達し互に其幸を祈り、天理人道に從て互の交を結び、理のためには「アフリカ」の黑奴にも恐入り、道のためには英吉利(いぎりす)、亞米利加(あめりか)の軍艦をも恐れず、國の恥辱とありては日本國中の人民一人も殘らず命を棄てゝ國の威光を落さゞるこそ、一國の自由獨立と申すべきなり。然るを、支那人などの如く、我國より外に國なき如く、外國の人を見ればひとくちに夷狄々々と唱へ、四足にてあるく畜類のやうにこれを賤しめこれを嫌らひ、自國の力をも計らずして妄に外國人を追拂はんとし、却て其夷狄に窘(くるし)めらるゝなどの始末は、實に國の分限を知らず、一人の身の上にて云へば天然の自由を達せずして我儘放蕩に陷る者と云ふべし。王制一度新なりしより以來、我日本の政風大に改り、外は萬國の公法を以て外國に交り、内は人民に自由獨立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乘馬を許せしが如きは開闢以來の一美事、士農工商四民の位を一樣にするの基こゝに定りたりと云ふべきなり。されば今より後は日本國中の人民に、生れながら其身に附たる位などゝ申すは先づなき姿にて、唯其人の才德と其居處とに由て位もあるものなり。譬へば政府の官吏を粗略にせざるは當然の事なれども、こは其人の身の貴きにあらず、其人の才德を以て其役義を勤め、國民のために貴き國法を取扱ふがゆへにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、國法の貴きなり。舊幕府の時代、東海道に御茶壺の通行せしは、皆人の知る所なり。其外御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往來の旅人も路を避る等、都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝやうに見へ、世の中の人も數千百年の古よりこれを嫌ひながら又自然に其仕來に慣れ、上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟是等は皆法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、唯徒に政府の威光を張り人を畏(おど)して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、實なき虚威と云ふものなり。今日に至りては最早全日本國内に斯る淺ましき制度風俗は絶てなき筈なれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に對して不平を抱くことあらば、これを包みかくして暗に上を怨むることなく、其路を求め其筋に由り、靜にこれを訴て遠慮なく議論すべし。天理人情にさへ叶ふ事ならば、一命をも抛て爭ふべきなり。是即ち一國人民たる者の分限と申すものなり。 

                                                

 

 

○前條に云へる通り、人の一身も一國も、天の道理に基て不羈自由なるものなれば、若し此一國の自由を妨げんとする者あらば世界萬國を敵とするも恐るゝに足らず、此一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、何れも安心いたし、唯天理に從て存分に事を爲すべしとは申ながら、凡そ人たる者は夫々の身分あれば、亦其身分に從ひ相應の才德なかるべからず。身に才德を備んとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を學ばざるべからず。是即ち學問の急務なる譯なり。昨今の有樣を見るに、農工商の三民は其身分以前に百倍し、やがて士族と肩を竝るの勢に至り、今日にても三民の内に人物あれば政府の上に採用せらるべき道既に開けたることなれば、よく其身分を顧み、我身分を重きものと思ひ、卑劣の所行あるべからず。凡そ世の中に無知文盲の民ほど憐むべく亦惡むべきものはあらず。智惠なきの極は恥を知らざるに至り、己が無智を以て貧究に陷り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずして妄に傍の富る人を怨み、甚しきは徒黨を結び強訴一揆などゝて亂妨に及ぶことあり。恥を知らざるとや云はん、法を恐れずとや云はん。天下の法度を頼て其身の安全を保ち其家の渡世をいたしながら、其頼む所のみを頼て、己が私欲の爲には又これを破る、前後不都合の次第ならずや。或はたまたま身本慥にして相應の身代ある者も、金錢を貯ることを知りて子孫を敎ることを知らず。敎へざる子孫なれば其愚なるも亦怪むに足らず。遂には遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少からず。斯る愚民を支配するには迚も道理を以て諭すべき方便なければ、唯威を以て畏すのみ。西洋の諺に愚民の上に苛(から)き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自から招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。故に今我日本國においても此人民ありて此政治あるなり。假に人民の德義今日よりも衰へて尚無學文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段嚴重になるべく、若し又人民皆學問に志して物事の理を知り文明の風に赴くことあらば、政府の法も尚又寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、唯人民の德不德に由て自から加減あるのみ。人誰か苛政を好て良政を惡む者あらん、誰か本國の富強を祈らざる者あらん、誰か外國の侮を甘んずる者あらん、是即ち人たる者の常の情なり。今の世に生れ報國の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思を焦すほどの心配あるにあらず。唯其大切なる目當は、この人情に基きて先づ一身の行ひを正し、厚く學に志し博く事を知り、銘々の身分に相應すべきほどの智德を備へて、政府は其政を施すに易く諸民は其支配を受て苦みなきやう、互に其所を得て共に全國の大(太)平を護らんとするの一事のみ、今余輩の勸る學問も專らこの一事を以て趣旨とせり。

 

 

 


                
                       學問のすゝめ 初編 

 

 

 
  (注) 1.  上記の「學問のすゝめ」初編の本文は、『福澤諭吉全集 第3巻』(岩波書店、昭和34年4月1日初版発行、昭和44年12月13日再版発行)によりました。同全集は、「明治三十一年版全集所収のものを原拠とし、検索し得る限りの各種の版本と、福澤家に伝はつた第十三編原稿の一部(冒頭を欠く)と第十五編の写本とを参照して、校訂した」由です。  
    2.  平仮名二字の繰り返し符号(「く」を伸ばした形の踊り字)は、平仮名に直してあります。(「たまたま」)  
    3.  「○學問をするには分限を知る事肝要なり。」の中の「同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め」の「眺」には、目偏に「永」の漢字が使ってあります。  
    4.  「學問のすゝめ」初編は、明治5年2月に出版されました。出版されたとき、題箋には「學問のすゝめ 全」とあり、平仮名交じり文で、単独の一冊として出版されました。出してみると売れ行きが意外によかったので、引き続き二編以下を続刊することになり、「學問のすゝめ」は全部で17編(十七編は明治9年11月出版)が出されました。
 また、明治5年2月に出版された「學問のすゝめ」全の本文第1行には、「學問のすゝめ」の次に「福澤諭吉 小幡篤次郎 同著」とあり、末尾の端書にも、巻頭と同じく二人の名前が記してあります。これは、「學問のすゝめ」が出版の直接の対象とした中津市学校の生徒及び郷里の有志に対する配慮から出たものであると考えられる、とされています。このことから、ここに掲げた資料では、著者名を単に「福澤諭吉」としてあります。
 以上のことについては、上記の『福澤諭吉全集 第3巻』の後記に、富田正文氏の詳しい解説があります。 
 ※ 明治5年2月に出版された「學問のすゝめ」を、『慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション』で見る(読む)ことができます。
  → 注10
をご覧ください。
 
5.  次に、「學問のすゝめ」の本文末尾の端書を引いておきます。これは、「學問のすゝめ」初編に掲げてあるものです。
  

端書
此度余輩の故郷中津に學校を開くに付學問の趣意を 記して旧く交りたる同郷の朋友へ示さんがため一册を綴りしかば或人これを見て云くこの册子を獨り中津の人へのみ示さんより廣く世間に布告せば其益も亦廣かるべしとの勸に由り乃ち慶應義塾の活字版を以てこれを摺り同志の一覧に供ふるなり

  明治四年                  福澤 諭吉記                                   
  未十二月                  小幡篤次郎

(この端書の本文は、『デジタルで読む福沢諭吉』に収めてある『學問のすゝめ』初版(明治6年刊)によりました。) 
    6. 慶應義塾のホームページの「Keio Times」に、「学問のすすめ」出版150年というページがあって参考になります。  
    7.  国立国会図書館のホームページに「近代日本人の肖像」のページがあり、そこに「福沢諭吉」があり、諭吉の若いときの写真が出ています。また、簡単な経歴と、『国立国会図書館デジタルコレクション』収載の著作等が載っています。  
    8.  『国立国会図書館デジタルコレクション』では、『学問ノスヽメ』(第1-17編合本版・明治13年7月出版)を画像で見ることができます。
 『国立国会図書館デジタルコレクション』
  →『学問ノスヽメ』(第1-17編合本版・明治13年7月出版)
 
    9.  岩波文庫に『學問のすゝめ』(ワイド版岩波文庫も)があります。  
    10.  慶應義塾図書館のサイトに、『慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション』があり、そこのジタルで読む沢諭吉』で、『學問のすゝめ』の他に『西洋事情』『文明論之概略』『福翁自傳』などを画像で見る(読む)ことができます。 
 『慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション』

  →『デジタルで読む福沢諭吉』
 
 
 




 

    
          トップページ(目次)