資料88 「風信帖」(原文と読み)



        風 信 帖


風信雲書自天翔臨
披之閲之如掲雲霧兼
恵止観妙門頂戴供養
不知攸厝已冷伏惟
法體何如空推常擬
隨命躋攀彼嶺限以少
願不能東西今思与我金蘭
及室山集會一處量商仏
法大事因縁共建法幢報
仏恩徳望不憚煩勞蹔
降赴此院此所々望々忩々
不具  釋空状上
           九月十一日
東嶺金蘭 法前
            謹空
 

忽披枉書已銷陶尓
御香兩裹及左衛士
督尊書状並謹領
訖迫以法縁暫闕談
披過此法期披雲
因還信奉此不具
釋遍照状上
   九月十三日


忽恵書札深以慰情香
等以三日來也從三日起
首至九日一期可終
十日拂晨將參入願
留意相待是所望
山城石川兩大徳深
渇仰望申意也
仁王經等備講師將
去未還後日親將去
奉呈莫々責々也因
還人不具沙門遍照状上
      九月五日
止観座主 法前
               謹空

 


 〇 読み(訓読)

風信雲書、天より翔臨(しやうりん)す。之を披(ひら)き之を閲(けみ)するに、雲霧を掲(かか)ぐるが如し。兼ねて止観の妙門を恵まる。頂戴供養し、厝(お)く攸(ところ)を知らず。已(すで)に冷(ひやや)かなり。伏して惟(おもん)みるに、法體(ほつたい)何如(いか)に。空推(うつ)ること常なり。命(めい)に隨ひ彼(か)の嶺(みね)に躋攀(せいはん)せんと擬(はか)るも、限るに少願を以てし、東西すること能はず。今、我が金蘭及び室山と一處に集會(しふゑ)し、仏法の大事因縁を商量し、共に法幢(ほふどう)を建てて仏の恩徳に報いんと思ふ。望むらくは、煩勞を憚らず、蹔(しばら)く此の院に降赴(かうふ)せよ。此れ望む所、望む所。忩々(そうそう)不具 釋空状(しる)して上(たてまつ)る。
                 九月十一日
東嶺金蘭 法前
     謹空


忽ちに枉書(わうしよ)を披(ひら)き、已(はなは)だ陶尓(うれひ)を銷(け)す。御香兩裹(りやうくわ)及び左衛士(さゑじ)の督(かみ)の尊(みこと)書状、並びに謹んで領し訖(をは)る。迫(せま)るに法縁を以てし、暫く談披(だんぴ)を闕(か)く。此の法(ほふ)、期を過ぐれば披雲(ひうん)せん。還信(くわんしん)に因(よ)つて此(これ)を奉ず。不具 釋遍照 状(しる)して上(たてまつ)る。
                 九月十三日


忽ちに書札(しよさつ)を恵まれ、深く以て情(こころ)を慰む。香等は三日を以て來(きた)る也。三日より起首(はじめ)て、九日に至りて一期終るべし。十日の拂晨(ふつしん)に參入せんとす。願はくは留意して相(あひ)待たれんことを。是れ望む所なり。山城 ・石川の兩大徳、深く渇仰(かつがう)して意(こころ)を申(の)べんことを望む也。仁王經等は備講師(びかうし)將(も)ち去(ゆ)きて未だ還らず。後日、親(みづか)ら將(も)ち去(ゆ)きて奉呈せん。責むること莫(なか)れ、責むること莫(なか)れ。還人(くわんじん)に因(よ)る。不具 沙門遍照 状(しる)して上(たてまつ)る。
                 九月五日
止観座主 法前
      謹空 



  (注) 1.   国宝 「風信帖」(ふうしんじょう)は、わが国の真言宗の 開祖である空海(774~835)が、わが国の天台宗の開祖である最澄(767~822)に宛てた手紙3通を集めて1巻としたもので、1通目の書き出しが「風信雲書」で始まるところから、「風信帖」と呼ばれています。
 なお、1通目と区別するため、それぞれ冒頭の2文字をとって、2通目を「忽披帖(こっぴじょう)」、 3通目を「忽恵帖(こつけいじょう)」と呼ぶことがあります。
   
    2.  改行は書状の通りにしてあります。
 なお、文末に見られる「謹空」とは、「(古代中国の上奏文で、天子の裁可を記すために紙の終りに空白をおいたことから)手紙の末尾に添えて敬意を表す語」だそうです。(『広辞苑』第7版による。)
   
    3.  漢字の字体も、できるだけ書状の漢字に合わせるようにしました。「九月十一日の手紙」の空の「」(「毎」の下に「水」)の漢字は、島根県立大学の “e漢字” を利用させていただきま した。    
    4.  「風信帖」は、京都の東寺(教王護国寺)所蔵です。    
    5.   空海の手紙は、もと5通あったものが、1通は盗難にあって紛失、1通は関白豊臣秀次の懇望によって進上されて、現在の3通になった、ということが、「風信帖」巻末の別紙の記載によって知られます。
 日本名筆選36『光明皇后 空海 最澄 集』(二玄社、1995年2月28日初版第1刷発行)によって、別紙のその記載を見ておきます。(改行は原文どおりです。)     

 本寄進状雖為五通猶本主良瑜之許留置之
 間守禅或人一枚盗取之由良瑜送ニ一枚紛失之由
 載之者也既副置状

 當關白殿下秀次公以與山上人為御所
 望付消息四枚之内一枚進上畢
   天正廿壬辰年四月九日 

 ( 〇良瑜送ニ一枚紛失之由……「送」の次の「ニ」は、縦書きの「送」の右下に小さく書かれて いる片仮名の「ニ」です。)
   
    6.  「風信帖」は三筆の随一といわれる空海の代表作で、島谷弘幸氏は、 『書の至宝日本と中国』(朝日新聞社、2006年1月11日発行)の作品解説の中で、「伝統的な王羲之(303~361)書法に加えて顔真卿(709~785)の書法をも手中にしたもので、一通目から三通目まで豊潤で重厚、闊達自在と変化に富んだ多様な書法を展開しており、書道史・仏教史の上でも注目される遺品である」と書いておられます。              
    7. 上記の読み(訓読)は、下記の書籍を参考にして記載しました。
〇『国宝への旅 第10巻』(日本放送出版協会、昭和63年2月5日第1刷発行、平成3年11月20日第6刷発行)
〇『弘法大師空海 ・人と書』(木本南邨著、朱鷺書房 ・2003年10月20日第1版第1刷発行)
〇『すぐわかる日本の書 飛鳥時代~昭和初期の名筆』(可成屋編、東京美術 平成14年12月10日初版第1刷発行)
(なお、『弘法大師空海 ・人と書』掲載の「風信帖」の読み下し文は、高木訷元著『弘法大師の書簡』によった由です。)   
   
    8. 東京国立博物館のホームページに、2011年7月20日~9月25日に開催された特別展「空海と密教美術」展についての解説 ページがあり、そこに「風信帖」について次のように記述されています。  

 空海が最澄にあてた3通の自筆の手紙を継いだものです。その名は第1通の冒頭に「風信雲書」とあることにちなみます。奧書よりもともとは5通ありましたが、1通は盗難にあい、もう1通は天正20年(1592)関白豊臣秀次に進上されたとあります。延暦寺に伝来しましたが、付属の寄進状より文和4年(1355)に東寺の所有になったことが分かります。内容より空海39歳から40歳ころのものと推測されます。    
  東京国立博物館  → 特別展 → 過去の特別展
   → 特別展「空海と密教美術」展
   
    9.  嘗て、『好古齋』というホームページに東京国立博物館の「東洋館」で展示された「風信帖」の写真が出ていましたが、残念ながら現在は見られないようです。    








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