資料85 若山牧水「山桜の歌」23首




          山ざくら    若山牧水

    三月末より四月初めにかけ天城山の北麓なる湯ヶ島温泉に遊ぶ、附近の溪より山に山櫻甚だ多し、日毎に詠みいでたるを此處にまとめつ。  
       
うすべにに葉はいちはやく萠えいでて咲かむとすなり山櫻花
うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花 
花も葉も光りしめらひわれの上に笑みかたむける山ざくら花 
かき坐る道ばたの芝は枯れたれや坐りて仰ぐ山ざくら花
おほみ空光りけぶらひ降る雨のかそけき雨ぞ山ざくらの花に
瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき頃の山ざくら花
山ざくら散りしくところ眞白くぞ小石かたまれる岩のくぼみに
つめたきは山ざくらの性(さが)にあるやらむながめつめたき山ざくら花
岩かげに立ちてわが釣る淵のうへに櫻ひまなく散りてをるなり
朝づく日うるほひ照れる木(こ)がくれに水漬(みづ)けるごとき山ざくら花
峰かけてきほひ茂れる杉山のふもとの原の山ざくら花
吊橋のゆるるちさきを渡りつつおぼつかなくも見し山ざくら
椎の木の木(こ)むらに風の吹きこもりひと本咲ける山ざくら花
椎の木のしげみが下のそば道に散りこぼれたる山ざくら花
とほ山の峰越(をごし)の雲のかがやくや峰のこなたの山ざくら花
ひともとや春の日かげをふくみもちて野づらに咲ける山ざくら花
刈りならす枯萱山の山はらに咲きかがよへる山ざくら花
萱山にとびとびに咲ける山ざくら若木にしあれやその葉かがやく
日は雲にかげを浮かせつ山なみの曇れる峰の山ざくら花
つばくらめひるがへりとぶ溪あひの山ざくらの花は褪(あ)せにけるかも
今朝の晴靑あらしめきて溪間より吹きあぐる風に櫻散るなり
散りのこる山ざくらの花葉がくれにかそけき雪と見えてさびしき
山ざくら散りのこりゐてうす色にくれなゐふふむ葉のいろぞよき


  (注) 1.  上記23首の「山ざくら」の歌は、初め歌集『山櫻の歌』(大正12(1923)年5月17日刊)に収められて発表されたものです。
 ただし、ここに掲げた短歌は大正12年の初版本の形ではなく、雄鶏社版『若山牧水全集』第二巻(編集 ・校訂/若山喜志子 ・大悟法利雄、昭和34年5月30日発行)に収められた、修正された形のものを掲げました。    
   
    2.  大悟法利雄氏は、雄鶏社版『若山牧水全集』第二巻巻末の解説に、次のように書いておられます。
 ……この全集では改作されたものはすべてその最後のものを採つたから、歌集所載のものと字句のちがつているのが相当にある。例えば代表作に数えられる「山ざくら」一連の中の「瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき頃の山ざくら花」でも、単行本『山櫻の歌』では第四句が「美しき春の」で、改造社版の全集もそれによつておるのを、この全集では「美しき頃の」と改めてあるという風である。       
   
    3.   初版本(大正12年5月17日に新潮社から発行された歌集『山櫻の歌』)に収められた歌と、ここで底本にした雄鶏社版『若山牧水全集』の歌との異同を次に示しておきます。
 5首目
  (初版本) 山ざくらの蔭(かげ)
  (雄鶏社版)山ざくらの花に 
 6首目 
  (初版本) 美(うつく)しき春(はる)
  (雄鶏社版)美しき頃の
 9首目 
  (初版本) 立ちてわがみる
  (雄鶏社版)立ちてわが釣る 
 12首目
  (初版本) ゆるるあやふき
  (雄鶏社版)ゆるるちさきを

(初)おほみ空光りけぶらひ降る雨のかそけき雨ぞ山ざくらの蔭に 
(雄)おほみ空光りけぶらひ降る雨のかそけき雨ぞ山ざくらの花に

(初)瀬瀬走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花
(雄)瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき頃の山ざくら花

(初)岩かげに立ちてわがみる淵のうへに櫻ひまなく散りてをるなり
(雄)岩かげに立ちてわが釣る淵のうへに櫻ひまなく散りてをるなり

(初)吊橋のゆるるあやふき渡りつつおぼつかなくも見し山ざくら
(雄)吊橋のゆるるちさきを渡りつつおぼつかなくも見し山ざくら
   
    4.   振り仮名(ルビ)は括弧( )に入れて示しました。振り仮名(ルビ)は、底本の振り仮名(ルビ)だけに付けてあります。    
    5.  いくつか読みを補っておきます。
    6首目 瀬々(せぜ)    
     17首目 枯萱山(かれかややま)  
   18首目 萱山(かややま)
   20首目 溪(たに)あひ   
   21首目 溪間(たにま)
   
    6.  題詞(詞書)に「三月末より四月初めにかけ」とあるのは、大正十一年(1922)年三月 ・四月のことです。    
    7.  増進会出版部版『若山牧水全集』第十巻(監修:大岡信、佐佐木幸綱、若山旅人、平成5年7月12日第1刷発行)は、初版本の『山櫻の歌』を底本にしています。
 ここでは、振り仮名(ルビ)は総ルビになっており、上記の歌の語句の異同の他に、題詞(詞書)の「湯ヶ島温泉に遊ぶ、附近の溪より」の読点が、「湯ヶ島温泉に遊ぶ。附近の溪より」と、句点になっています。
   
    8.   『沼津市若山牧水記念館』のホームページがあり、年譜や牧水作品一覧、その他が見られます。    
    9.  宮崎県の東郷町にある『若山牧水記念文学館』のホームページに『若山牧水』のページがあり、年譜牧水歌碑、その他が見られます。    
    10.  中央大学文学部文学科国文学専攻渡部芳紀研究室のホームページの中に「若山牧水文学散歩」があって、牧水の旅の足跡が紹介してあります。
  残念ながら現在は見られないようです。(2023年8月31日)
   
           
           







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