資料73 寺田寅彦の随筆「浅草紙」

                    

              
草 紙       
                              
寺 田  寅 彦
 

 

  十二月始めの或る日、珍らしくよく晴れて、そして風のちつともない午前に、私は病床から這ひ出して縁側で日向ぼつこをして居た。都會では滅多に見られぬ強烈な日光がぢかに顔に照りつけるのが少し痛い程であつた。そこに干してある蒲團からはぽかぽかと暖い陽炎が立つて居るやうであつた。湿つた庭の土からは、かすかに白い霧が立つて、それが僅かな氣紛れな風の戰ぎにあふられて小さな渦を巻いたりして居た。子供等は皆學校へ行つて居るし、他の家族も何處で何をして居るのか少しの音もしなかつた。實に静な穩な朝であつた。
 私は無我無心でぼんやりして居た。唯身體中の毛穴から暖い日光を吸ひ込んで、それが此のしなびた肉體の中に滲み込んで行くやうな心持をかすかに自覺して居るだけであつた。
 ふと氣がついて見ると私のすぐ眼の前の縁側の端に一枚の淺草紙が落ちて居る。それはまだ新しい、ちつとも汚れて居ないのであつた。私は殆んど無意識にそれを取り上げて見て居る内に、其の紙の上に現はれて居る色々の斑點が眼に付き出した。
 紙の色は鈍い鼠色で、丁度子供等の手工に使ふ粘土のやうな色をして居る。片側は滑かであるが、裏側は隨分ざらざらして荒筵のやうな縞目が目立つて見える。併し日光に透して見ると此れとは又獨立な、もつと細かく規則正しい簾のやうな縞目が見える。此の縞は多分紙を漉く時に纎維を沈着させる簾の痕跡であらうが、裏側の荒い縞は何だか分らなかつた。
 指頭大の穴が三つばかり明いて、其の周圍から喰み出した纎維が其の穴を塞がうとして手を延ばして居た。
 そんな事はどうでもよいが、私の眼についたのは、此の灰色の四十平方寸ばかりの面積の上に不規則に散在して居るさまざまの斑點であつた。
 先づ一番に氣の付くのは赤や青や紫や美しい色彩を帶びた斑點である。大きいのでせいぜい二三分四方、小さいのは蟲眼鏡でゞも見なければならないやうな色紙の片が漉き込まれて居るのである。それが唯一樣な色紙ではなくて、よく見ると其の上には色々の規則正しい模樣や縞や點線が現はれて居る。よくよく見て居ると其の中の或物は状袋のたばを束ねてある帶紙らしかつた。又或物は巻煙草の朝日の包紙の一片らしかつた。マッチのペーパーや廣告の散らし紙や、女の子のおもちやにするおすべ紙や、あらゆるさう云つた色刷のどれかを想ひ出させるやうな片々が見出されて來た。微細な斷片が想像の力で補充されて頭の中には色々な大きな色彩の模樣が現はれて來た。
 普通の白地に黑インキで印刷した文字もあつた。大概やつと一字、せいぜいで二字位しか讀めない。それを拾つて讀んで見ると例へば「一同」「圓」などはいゝが「盪」などゝいふ妙な文字も現はれて居る。それが何かの意味の深い謎でゞもあるやうな氣がするのであつた。「蛉
(ぼ)かな」といふ新聞の俳句欄の一片らしいのが見付かつた時は少しをかしくなつて來てつい獨りで笑つた。
 どうして此んな小片が、よくこなれた纎維の中で崩れずに形を保つて來たものか。此の紙の製造方法を知らない私には分らない疑問であつた。或は此等の部分だけ油のやうなものが濃く浸み込んで居た爲にとろけないで殘つて來たのではないかと思つたりした。
 紙片の外にまださまざまの物の破片がくつついて居た。木綿絲の結び玉や、毛髪や動物の毛らしいものや、ボール紙のかけらや、鉛筆の削り屑、マッチ箱の破片、此んなものは容易に認められるが、中にはどうしても來歴の分らない不思議な物件の斷片があつた。それから或る植物の枯れた外皮と思はれるのがあつて、其植物が何だといふことがどうしても思ひ出せなかつたりした。
 此等の小片は動植物界のものばかりでなく鑛物界からのものもあつた。斜めに日光にすかして見ると、雲母の小片が銀色の鱗のやうにきらきら光つて居た。
 段々見て行く内に此の澤山な物のかけらの歴史が可也に面白いものゝやうに思はれて來た。何の關係もない色々の工場で製造された種々の物品がさまざまの道を通つて或る家の紙屑籠で一度集合した後に、又他の家から來た屑と混合して製紙場の槽から流れ出す迄の徑路に、どれ程の複雜な世相が纏綿して居たか、かう一枚の淺草紙になつてしまつた今では再びそれをたどつて見るやうはなかつた。私は唯漠然と日常の世界に張り渡された因果の網目の限りもない複雜さを思ひ浮べるに過ぎなかつた。
 あらゆる方面から來る材料が一つの釜で混ぜられ、こなされて、それから又新しい一つのものが生れるといふ過程は、人間の精神界の製作品にも其れに類似した過程のある事を聯想させない譯にはゆかなかつた。
 そのやうな聯想から私はふとエマーソンが「シェークスピア論」の冒頭に書いてある言葉を思ひ出した。「價値のある獨創
(オリヂナリティ)は他人に似ないといふ事ではない。」「最大の天才は最も負債の多い人である。」こんな意味の言詞が思ひ出された。
 それから又或る盲目の學者がモンテーニュの研究をする爲に採つた綿密な調査の方法を思ひ出した。モンテーニュの論文を悉く點字に寫し取つた中から、あらゆる思想や、警句や、特徴や、插話を書き抜き、分類し、整理した後に、更に此の著者が讀んだだらうと思はれるあらゆる書物を讀んだり讀んで貰つたりして、其の中に見出される典據や類型を拾ひ出すといふのである。此の盲人の根氣と熱心に感心すると同時に、其の仕事が何處となく私が今紙面の斑點を捜しては其の出所を詮索した事に似通つて居るやうな氣もした。どんな偉大な作家の傑作でも──寧ろさういふ人の作ほど豐富な文獻上の材料が混入して居るのは當然な事であつた。其れを詮索するのは興味もあり有益な事でもあるが、それは作と作家の價値を否定する材料にはならなかつた。要は資料がどれだけよくこなされて居るか、不淨なものがどれだけ洗はれて居るかにあつた。
 作中の典據を指摘する事が批評家の知識の範圍を示す爲に、第三者に取つて色々の意味で興味のある場合も可なりにある。該博な批評家の評註は実際文化史思想史の一片として學問的の價値があるが、さうでない場合には批評される作家も、讀者も、從つて批評者も結局迷惑する場合が多いやうに思はれる。さういう批評家の爲に一人の作家が色々互に矛盾したイズムの代表者となつて現はれたりするのであらう。
 美術上の作品についても同樣な場合が屢々起る。例へば文展や帝展でもそんな事があつたやうな氣がする。それにつけて私は、ラスキンが「剽竊」の問題について論じてあつた事を思ひ出して、も一度それを讀んで見た。其の最後の項にはこんな事が書いてあつた。
 「一般に剽竊
(プラヂアリズム)に就いて云々する場合に忘れてならないのは、感覺と情緒を有する限り凡ての人は絶えず他人から補助を受けて居るといふ事である。人々はその出會ふ凡ての人から敎へられ、その途上に落ちて居るあらゆる物によつて富まされる。最大なる人は最も屢々授けられた人である。そして凡ての人心の所得を其の眞の源迄追跡する事が出來たら、此の世界が一番多くの御蔭を蒙つて居るのは、最も獨創力のある人々であつた事を發見するだらう。又さういふ人々が其の生活の日毎に、人類から彼等が負ふ負債を増しながら、同時に同胞に贈るべきものを増大して行つた事が分るだらう。何かの思想或は何かの發明の起源を捜さうとする勞力は、太陽の下に新しき物なしといふあつけない結論に終るに極つて居る。さうかと云つて本當に偉大なものが全くの借り物であるといふ事もありやうはない。それで何でも人からくれるものが善いものであれば何もおせつかいな詮議などはしないで單純に其れを貰つて、直接くれた其人に御禮を云ふのが、通例最も賢い人であり、何時でも最も幸福な人である。」
 此の文辭の間にはラスキンの癇癪から出た皮肉も交つては居るが、兎も角も或る意味では矢張り思想上の淺草紙の辯護のやうにも思はれる。
 エマーソンとラスキンの言葉を加へて二で割つて、もう一遍此れを現在の或る過激な思想で割るとどうなるだらう。此れは割り切れないかも知れない。もし割り切れたら、其答はどうなるだらう。あらゆる思想上の偉人は結局最も意氣地のない人間であつたといふ事にでもなるだらうか。
 魔術師でない限り、何もない眞空から假令一片の淺草紙でも創造する事は出來さうに思はれない。しかし紙の材料をもつと精選し、もつとよくこなし、もう一層よく洗濯して、純白な平滑な、光澤があつて堅實な紙に仕上げる事は出來る筈である。マッチのペーパーや活字の斷片が其のままに眼につく内はまだ改良の餘地はある。

 ラスキンをはふり出して、淺草紙を又膝の上へ置いたまゝ、うとうとして居た私の耳へ午砲の音が響いて來た。私は飯を食ふ爲に此のやうな空想を中止しなければならないのであつた。
                   
                           
(大正10年1月、東京日日新聞)

 

 

 

 

 

   (注) 1. 本文は、『寺田寅彦全随筆 1 』(岩波書店、1991年12月4日第1刷発行)に
         よりました。
        2. 本文中、下線を付けた「こなされ」は、『寺田寅彦全随筆 1』では傍点が付け
         られている部分です。
        3. 仮名2字の繰り返し符号(平仮名の「く」「ぐ」を長く伸ばしたような形の踊り字)
         は、普通の仮名に改めてあります。
          また、「屢々」が2か所出てきますが、原文ではこの部分は、「屢」の次に平仮
         名の「こ」を平らに押し潰したような形の繰り返し符号(踊り字)を小さく添えて、
         「しばしば」と読ませているものです。上の本文では、その小さく添えられた繰り返
         し符号(踊り字)を「々」で代用して「屢々」としました。
        4. 参考までに、『寺田寅彦全集 第2巻』
(全17巻、岩波書店 1960年11月7日第1刷
          発行・1976年6月15日第3刷発行)
による漢字の読み方を、現代仮名遣いでいくつか
         補っておきます。(同全集は、全文が現代仮名遣いで表記されています。)
             日向ぼつこ……ひなたぼっこ
             陽炎……かげろう
             喰み出した……はみだした
             (色紙の)片……きれ
             片々……きれぎれ
             「盪」……とう
             (製紙場の)槽……ふね
             意氣地……いくじ
             假令……たとえ
             午砲……ドン
        5. 寺田寅彦(てらだ とらひこ) 1878~1935 (明治11年~昭和10年)
            物理学者、随筆家。吉村冬彦、藪柑子
(やぶこうじ)などの筆名がある。東京
           麹町に生まれた。父は高知県士族。東京帝国大学物理学科卒業。第五高等
           学校在学中、夏目漱石に英語、田丸卓郎に数学、物理を学んで深い影響を
           受けた。実験物理学を専攻し、1908年、≪尺八の音響学的研究≫で理学博
           士、翌年東大助教授。ヨーロッパ留学を経て、16年東大教授となる。すでに
           小品の発表はあったが、20年病気療養中のころから随筆を書き始め、23年
           ≪冬彦集≫≪藪柑子集≫を刊行。同年の関東大震災を機に地震研究にも
           従事、東大地震研究所、航空研究所、理化学研究所にかかわった。研究は
           地球物理学、気象学、応用物理学など多方面にわたり、X線回折のラウエ
           斑点の研究方法の改良によって学士院賞を得た。29年、第3随筆集≪万華
           鏡
(カレイドスコープ)≫を刊行、ほかに≪続冬彦集≫≪柿の種≫≪蒸発皿≫
           ≪触媒≫など多くの随筆集があるが、いずれも実験物理学の精細な目と
           豊かな文学的・芸術的感覚が融合した独自の風格を見せており、寅彦を
           日本近代における屈指の随筆家たらしめている。≪寺田寅彦全集≫全18
           巻がある。
(平凡社『国民百科事典 9』<1978年1月20日初版発行>の平岡敏夫氏の
            解説による。)
        
6. 浅草紙=すきがえし紙の下等品。主におとし紙に用いる。江戸時代に、
              多く浅草山谷や千住辺から産出したからいう。
(『広辞苑』第五版)

 


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