(注) | 1. |
上記の「三上」は、『欧陽文忠公文集』の中の「帰田録」に出ている文章です。この『欧陽文忠公文集』は、維基文庫に出ている本文によりました。漢字の字体は『欧陽文忠公文集』に合わせてあります。 → 維基文庫 →『歐陽文忠公文集』36ー28.djvu/68~69 |
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2. | 三上(さんじょう)=〔欧陽脩、帰田録二〕文章を練るのに最もよく考えがまとまるという三つの場所。すなわち馬上・枕ちん上・厠し上。 欧陽脩(おうようしゅう)=北宋の政治家・学者。廬陵(江西𠮷安)の人。字は永叔、号は酔翁・六一居士、諡は文忠。仁宗・英宗・神宗に仕え、王安石の新法に反対して引退。唐宋八家の一人。著「欧陽文忠公全集」「新唐書」「新五代史」「集古録」「詩本義」など。(1007~1072)(以上、『広辞苑』第7版による。) |
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3. |
試みに、訓読してみました。読み誤りを訂正してくだされば幸いです。 錢思公は富貴に生長すと雖も、嗜好する所少なし。西洛に在りし時、嘗て語寮 屬に語りて言ふ、「平生惟(た)だ讀書を好み、坐れば則ち經史を讀み、卧すれば則ち小説を讀み、厠(かわや)に上れば則ち小辭を閲(けみ)す。盖(けだ)し未だ嘗て頃刻にも巻を釋(お)かざるなり」と。謝希深も亦た言ふ、「宋公垂、同じく史院に在り。毎(つね)に厠に走れば必ず書を挟み以て徃き、諷誦の聲琅然として遠近に聞こゆ。其の學に篤きこと此(か)くの如し」と。余因りて希深に謂ひて曰はく、「余が平生作る所の文章は、多く三上に在り。乃(すなは)ち馬上、枕上、厠上なり」と。盖し惟(た)だ此れ尤(もつと)も以て思ひを屬(つら)ぬべきのみ。(2025年10月8日) |
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