資料701 「三上」欧陽脩(『欧陽文忠公文集』「帰田録」より) 



       三 上   歐陽脩 

錢思公雖生長富貴而少所嗜好在西洛時嘗語寮
屬言平生惟好讀書坐則讀經史卧則讀小説上厠
則閲小辭盖未嘗頃刻釋巻也謝希深亦言宋公垂
同在史院毎走厠必挟書以徃諷誦之聲琅然聞於
遠近其篤學如此余因謂希深曰余平生所作文章
多在三上乃馬上枕上厠上也盖惟此尤可以屬思



  (注) 1.  上記の「三上」は、『欧陽文忠公文集』の中の「帰田録」に出ている文章です。この『欧陽文忠公文集』は、維基文庫に出ている本文によりました。漢字の字体は『欧陽文忠公文集』に合わせてあります。
 → 維基文庫
  →『歐陽文忠公文集』36ー28.djvu/68~69
   
    2.  〇三上(さんじょう)=〔欧陽脩、帰田録〕文章を練るのに最もよく考えがまとまるという三つの場所。すなわち馬上・枕ちん上・厠上。
 〇欧陽脩(おうようしゅう)=北宋の政治家・学者。廬陵(江西𠮷安)の人。字は永叔、号は酔翁・六一居士、諡は文忠。仁宗・英宗・神宗に仕え、王安石の新法に反対して引退。唐宋八家の一人。著「欧陽文忠公全集」「新唐書」「新五代史」「集古録」「詩本義」など。(1007~1072)(以上、『広辞苑』第7版による。)
  
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    3.  試みに、訓読してみました。読み誤りを訂正してくだされば幸いです。

錢思公は富貴に生長すと雖も、嗜好する所少なし。西洛に在りし時、嘗て語寮
屬に語りて言ふ、「平生惟(た)だ讀書を好み、坐れば則ち經史を讀み、卧すれば則ち小説を讀み、厠(かはや)に上れば則ち小辭を閲(けみ)す」と。盖(けだ)し未だ嘗て頃刻も巻を釋(お)かざるなり。謝希深も亦た言ふ、「宋公垂、同じく史院に在り。毎(つね)に厠に走れば必ず書を挟み以て徃き、諷誦の聲琅然として遠近に聞こゆ。其の學に篤きこと此(か)くの如し」と。余因りて希深に謂ひて曰はく、「余が平生作る所の文章は、多くは三上に在り。乃(すなは)ち馬上、枕上、厠上なり」と。盖し惟(た)だ此れ尤(もつと)も以て思ひを屬(しよく)すべきのみ。(2025年10月9日)

 希深=謝希深(しゃ・きしん。994年/995年ー1039年)北宋の文人官僚。欧陽脩の友人。梅堯臣の妻の兄。希深は字。諱は絳(謝絳 しゃこう)。
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    4.  ついでに、訳してみましょう。うまく訳せるといいのですが。

錢思公は富貴の境遇に成長したけれども、趣味は少なかった。西洛にいたとき、嘗て下役に次のように語った。「私の性格は読書が好きで、座れば経書・歴史書を読み、寝床に横になれば小説を読み、トイレに入るとちょっとした読み物を読むよ」と。思うに彼は片時も本を手離さなかったのだ。謝希深もまた、こう言った。「宋公垂は私と同じ役所にいたが、彼はいつもトイレに入るときは、必ず本を手に持って行った。トイレからは本を朗読する声が、近くから遠くまで清らかに聞こえていた。このように彼は学問に熱心であった」と。
私はそれらに因んで、友人の謝希深にこう言った。「私が普段書く文章は、多くは三つの場所で書いている。即ち、馬上、枕上、厠上だ」と。思うに、ただこの三つだけが、私にとっていかにも気持ちを集中し続けることができる場所なのである。(2025年10月9日)

   
           
           




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