唱歌「蛍の光」について書かれている文章を幾つかの著書から拾ってみました。
(1)田村虎藏校閲・石塚響一著『祝日の歌ひ方並儀式祭祀要義』(音楽教育書出版協会、昭和11年4月22日発行)
ここに「附録」として「仰げば尊し」と「螢の光」の二つが取り上げられています。
螢の光(送別の歌) 取扱ひの要旨
二、この歌曲は、もと高等師範學校の卒業生を送る歌として採定せられ、去る明治十三年發行の小學唱歌集初編に載せられて居るものであるが、爾來小學校の卒業式に、送別の歌として廣く用ひられてゐるものである。
三、小學校の卒業式に於て用ひられる場合は、卒業兒童の「仰げば尊し」に答へて、在校兒童が送別の歌として唱歌することを通例とする。
歌詞は第四章まであるが、前述の次第であるから其の前半の第一、第二章のみを歌ふに止め、後半の第三、第四章は之を省略する場合が多いのである。(同書、145頁)
【注】上に「去る明治十三年發行の小學唱歌集初編」とありますが、『小學唱歌集初編』は、表紙に「明治十四年十一月刊行」、奥付に「明治十四年十一月出版届」とあります。それが実際に発行されたのは、明治15年4月だそうです。
『唱歌集初編』の画像が、国立教育研究所 教育図書館の『貴重資料デジタルコレクション』のホームページで見られます。
→ 国立教育研究所 教育図書館
→
『貴重資料デジタルコレクション』
→『唱歌集 初編』
(2)大槻三好著『明治唱歌の恩人 石原和三郎』((株)講談社出版、昭和47年11月20日発行)
この著書の中に、「螢の光」の「わがせ」に触れた個所があります。
原歌の一部分「わかるるみちは かわるとも かわらぬこころ ゆきかよい」の後半が、男女間に契ることばで、恋情のようだと却下され「海山遠くへだつとも その真心はへだてなく」と改訂されたというエピソードがある。だから「つとめよわがせ──」の「せ」は「背」でなく「兄」と読むのだ。(同書、81~82頁)
(3)村野四郎・関良一・長谷川泉・原子朗 編『講座・日本現代詩史 第一巻明治期』(右文書院、昭和48年12月15日発行)
ここに「螢の光」の三番について、次のようにあります。
山住正巳氏の研究によれば、右の三番ははじめ「筑紫のきはみ。みちのおく。わかるゝみちは。かはるとも。かはらぬこゝろ。ゆきかよひ。ひとつにつくせ。くにのため。」であったのが、「『かはらぬこゝろゆきかよひ』とは父子兄弟姉妹又は朋友の間には常に言はぬ事にて重に男女間に契る詞にて(中略)恋ひしたふ心の通ふをいふ事なるべし学校に於て児女の徳性を涵養する目的の唱歌には甚不当なり」といった文部省普通学務局の批判を受け、取調掛の方でも右のようなかたちに改めたのだという。「とまるもゆくも。かぎりとて。/かたみにおもふ。ちよろづの。/こゝろのはしを。ひとことに。/さきくとばかり。うたふなり。」という二番を受けたものであってみれば、「かはらぬこゝろ。ゆきかよひ。」が「男女間に契る詞」「恋ひしたふ心の通ふ」と受けとられるというのは考えすぎであり、文部省当局の「徳性ノ涵養」「人心ヲ正シ風化ヲ助クル」(『小学唱歌集』緒言)というのがどのあたりにあるかがわかる。「児女の諷詠すべき者にあらず」とするのは、結局唱歌もまた明治国家体制の一環であることを示すもので、これは、やがては与謝野晶子が『みだれ髪』(明三四)において敢然とうたわねばならなかった事情の胚胎にほかならない。(同書、38~39頁)
(4)『教育史資料1
学事諮問会と文部省示諭』(国立教育研究所、1979年3月31日発行)
この資料の中の「付 学事諮問会員に対する文部省直轄学校等関係者の演述」の「3 音楽取調所長伊沢修二の唱歌教育に関する演述」の中に、「唱歌ノ德育ニ資スル所以ノ實例ヲ示スベシ」として挙げた十一のその第五に、次のようにあります。
第五 朋友ノ交誼ハ亦人倫ノ重ズルトコロナリ故ニ其信義ヲ厚クスルノ心情ヲ養ハザルベカラズ
其歌 螢の光り(箏 二面、胡弓 二挺)
ほたるのひかりまどの雪……(以下、歌詞が書かれている。)(同書、124頁。原本、26頁)
(5)藤浦洸著『海風 藤浦洸随筆選』(日本放送出版協会、昭和57年3月20日第1刷発行)
四番「ちしまのおくも おきなわも やしまのうちの まもりなり いたらんくにに いさおしく つとめよ わがせ つつがなく」。どうやら四番は御主人を戦地に送る若妻の「出征兵士を送る歌」になっているようであります。(同書、79頁)
(6)岡井隆著『古代詩遠望 続・前衛短歌の問題』(短歌研究社、昭和58年5月1日発行)
この本の中の「斎藤茂吉生誕百年は「新体詩抄」百年でもあること」の「唱歌のナショナリズム」の中で、唱歌「蛍」に触れて、問題は「「蛍」の歌詞の三番、四番にあるナショナリズムの問題であります」として、次のように述べています。
卒業して散っていく級友に対して、九州(つくしのきはみ)や東北地方(みちのおく)を実例としてあげています。そして、「くにのため」を強調しています。「まもりなり」と、その辺境性を力説しています。そして、「いたらんくにに。いさをしく。つとめよわがせ。」というのは、「卒業後に行くであろう土地土地で、勤勉につとめて下さいよ、お兄さま」と言う意味なのでしょう。(同書、229頁)
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