資料684 愚禿悲歎述懷 釈親鸞

      

      愚禿悲歎述懐  親鸞

浄土真宗に帰すれども
 真実の心はありがたし
 虚仮不実のわが身にて
 清浄の心もさらになし

外儀のすがたはひとごとに
 賢善精進現ぜしむ
 貪瞋邪偽おほきゆゑ
 奸詐ももはし身にみてり

悪性さらにやめがたし
 こころは蛇蝎のごとくなり
 修善も雑毒なるゆゑに
 虚仮の行とぞなづけたる

無慙無愧のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀の回向の御名なれば
 功徳は十方にみちたまふ

小慈小悲もなき身にて
 有情利益はおもふまじ
 如来の願船いまさずは
 苦海をいかでかわたるべき

蛇蝎奸詐のこころにて
 自力修善はかなふまじ
 如来の回向をたのまでは
 無慙無愧にてはてぞせん

五濁増のしるしには
 この世の道俗ことごとく
 外儀は仏教のすがたにて
 内心外道を帰敬せり

かなしきかなや道俗の
 良時・吉日えらばしめ
 天神・地祇をあがめつつ
 卜占祭祀つとめとす

僧ぞ法師のその御名は
 たふときこととききしかど
 提婆五邪の法ににて
 いやしきものになづけたり

外道・梵士・尼乾志に
 こころはかはらぬものとして
 如来の法衣をつねにきて
 一切鬼神をあがむめり

かなしきかなやこのごろの
 和国の道俗みなともに
 仏教の威儀をもととして
 天地の鬼神を尊敬す

五濁邪悪のしるしには
 僧ぞ法師といふ御名を
 奴婢僕使になづけてぞ
 いやしきものとさだめたる

無戒名字の比丘なれど
 末法濁世の世となりて
 舎利弗・目連にひとしくて
 供養恭敬をすすめしむ

罪業もとよりかたちなし
 妄想顛倒のなせるなり
 心性もとよりきよけれど
 この世はまことのひとぞなき

末法悪世のかなしみは
 南都北嶺の仏法者の
 輿かく僧達力者法師
 高位をもてなす名としたり

仏法あなづるしるしには
 比丘・比丘尼を奴婢として
 法師・僧徒のたふとさも
 僕従ものの名としたり

 以上十六首、これは愚禿がかなしみなげきにして述懷としたり。この世の本寺本山のいみじき僧とまふすも法師とまふすもうきことなり。
 釈親鸞これを書く。


  (注) 1.  上記の「愚禿悲歎述懷 釈親鸞」は、『最低山極悪寺』のホームページに出ている『高僧和讃(親鸞聖人 作)』の「愚禿悲歎述懷」によりました。
 「愚禿悲歎述懷」は、親鸞最晩年の作になる和讃です。

 →『最低山極悪寺』
  → 高僧和讃(親鸞聖人 作)
  → 「正像末和讃」(94)~(109)「愚禿悲歎述懷
   
    2.  親鸞聖人が開顕された浄土真宗の所依の聖典や参考書籍を掲載し、聖典で使われる仏教用語の意味の解説を提供するために2004年に開設されたサイト『WikiArc(ウイキアーク)』に、「正像末和讃」があります。

 →『WikiArc(ウイキアーク)』
  →「正像末和讃」(94)~(109)「愚禿悲歎述懷
   
    3.  「真宗大谷派 東本願寺」のホームページにある、「コラム 宗祖としての親鸞聖人に遇う」の中に、「帰依と虚仮」という新野和暢・教学研究所嘱託研究員の文章があって参考になります。

 →「真宗大谷派 東本願寺」
  →「コラム 宗祖としての親鸞聖人に遇う」
  →「帰依と虚仮」新野和暢
   
           








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