資料680 道元禅師「愛語」(『正法眼蔵』より)



          愛 語 (『正法眼藏』より)

愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛(こあい)の言語をほどこすなり。おほよそ暴惡の言語なきなり。世俗には安否をとふ禮儀あり、佛道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。慈スルコト衆生ヲ一猶如シ二赤子ノ一のおもひをたくはへて、言語するは愛語なり。德あるはほむべし、德なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられず、みえざる愛語も現前するなり。現在の身命の存せらんあひだ、このんで愛語すべし、世世生生にも不退轉ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり。むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを學すべきなり、ただ能を賞するのみにあらず。


  (注) 1.  上記の「愛語」は、岩波文庫『正法眼藏中巻』(道元禅師著、衞藤即應校注。昭和17年3月20日発行)によりました。愛語は、「正法眼蔵菩提薩埵四摂法」の中の一節にあります(同書185~6頁)。
 この岩波文庫『正法眼藏中巻』は、国立国会図書館デジタルコレクション所収のものを利用しました。
 → 国立国会図書館デジタルコレクション
  → 岩波文庫『正法眼藏中巻』 101~102/243
   
    2.  本文の底本について
 岩波文庫『正法眼藏上巻』の凡例に、95巻の本山版正法眼蔵の木版本を底本として校訂した、とあります。
 また、『正法眼藏中巻』の凡例には、校合した本は、次の4種とあります。
 1.正法眼藏辨註(辨本)天挂傳尊著(享保15年著作、明治14年刊行)
 2.正法眼藏那一寶(那本)父幼老卵著(寛政3年著作、幷刊行)
 3.正法眼藏却退一字參(參本)本光瞎道著(明和7年著作、文化9年刊行)
 4.正法眼藏抄(福本)經豪著(延慶元年著作、明治36年鴻盟社刊行、昭和5年曹洞宗全書本刊行)

 更に、謄写本で再校改訂し得たものとして、11種の本があげてありますが、その中に次の二つがあります。
 正法眼藏83巻(瑠本)延徳2年、祖噩校、山口県瑠璃光寺所蔵
 正法眼藏79巻(大本)宝暦7年、大菴寫、静岡県最福寺所蔵

 校異:(文庫本の脚注に出ています。)
 〇慈スルコト衆生ヲ一猶如シ二赤子ノ一おもひ……の、二・諸本(引用者注:二とは、辨本と那本のこと)
 〇現在の身命の存らんあひだ……せらん、大本すべからん、辨本すらん、瑠本存せべからん
 〇世世生生……通本生生世世

 お断り : 引用者の読み誤りで底本・版本についての記述が正確でない恐れがあります。この部分の記述を利用する場合、そのことにご注意ください。
   
    3.  上記の本文の校訂について、岩波文庫『正法眼藏上巻』の凡例に次のようにあります。
 以上、本校訂の趣旨を大體述べたのであるが、之を要するに、この校訂は、一面には諸種の異本を嚴密に校合して異文を摘出し、引用文を原典に照合して誤寫を訂正するが如きは、主として久參の士の參究に資せんが爲であり、又他面には句讀を附し、段章を分ち、異文を取捨し、漢文に訓點を施すが如きは、一般讀者の爲に、成るべく讀み易く、親しみ易くせんが爲の婆心であつて、普及版としての本文庫の使命に副はんとする校者の期待に他ならぬ。然し是が爲に原本の體裁を損し、先匠の傳統に背くの非違を犯したことは、何としても校者の自責に堪へない所であるが、校者は之を以て將來の參究への階梯となさんとする者であるから、敢て深く之を咎むることなきを切望する。

 本文の校訂について詳しくは、岩波文庫『正法眼藏中巻』の凡例とともに岩波文庫『正法眼藏上巻』(道元禅師著、衞藤即應校注。昭和14年6月3日発行)の凡例も参照してください。
 → 岩波文庫『正法眼藏上巻』(道元禅師著、衞藤即應校注。昭和14年6月3日発行)
   
    4.  道元禅師の「愛語」についてはいろいろな解説が出ていますが、そのうちの一つを次に挙げておきます。
 →『浦和神経サナトリウム』
  →『院長のエッセイ アーカイブ』
   
           
           









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