資料665 大佛次郎『帰郷』冒頭



       『帰郷』冒頭
                  大佛次郎

「いかがです?」
 と、画家は連れを返り見た。
「なかなか景色の好いところでしょう」
 一時間ばかり前に、強いスコールが過ぎて行った後で、くすんだ赤瓦(あかがわら)に白壁の多いマラッカの町は、繁(しげ)る熱帯の樹々とともに、洗い出されたように目に鮮やかな色彩を一面に燃え立たせていた。雨雲の一部が裂けて、凄(すさま)じいばかりの日光が降りそそいでいる。町を縁(ふち)取っている海は、まだ黒い雲の下にあって、泥絵具で描いたように光のない灰色をしていたが、これもやがて晴れて来るので、見ている間に、青みをさして変化して来る。その青い色が、まだ極めて沈鬱(ちんうつ)な調子のもので、遠景に長く突き出している椰子(やし)の林ばかりの黒い岬とともに、光の氾濫した町を一層絢爛(けんらん)としたものに見せているのだった。刻々と、その光は動いて、海の上にはみ出して行こうとする。
「ちょうどいい時、来たんですなあ」
 と、画家は向きを変えて、ゆるい坂道を前面にある昔のキリスト教の寺院が廃墟となって、四方の壁だけ大きく立っているのを見上げながら歩き出した。



  (注) 1.   上記の大佛次郎著『帰郷』の冒頭は、小学館のホームページに出ている P+D BOOKS『帰郷』の「ためし読み」によって記載したものです。
 → 小学館
  →  P+D BOOKS 帰郷  著/大佛次郎
   
    2.  小学館のホームページに出ている 『帰郷』の紹介文は、次のようなものです。

元海軍将校が目にした戦後日本の悪しき荒廃
海軍兵学校出身のエリート将校・守屋恭吾は、公金に手をつけ引責辞職後、祖国には戻るまいと賭博の眼力を養いつつ、欧州各地を放浪していた。やがて、ある事情から”帰郷”することになった守屋は、大きく変貌した日本に落胆と義憤を感じる。

戦争という過去の記憶から逃れようとするあまり日本の伝統や誇りまでも失ってしまった国民たち。──戦前と戦後の日本人は何が変わったのか?

大佛次郎が当時の日本人へ自戒のメッセージを込めた記念碑的名作で1948年毎日新聞に連載された後に映画化、欧米でも高く評価された。

   * * * * *

 なお、横浜市にある『大佛次郎記念館』のホームページの略年譜に、「1948年(昭23)51歳 「帰郷」を発表(1950年に同作で芸術院賞を受賞)、のち英訳をはじめ6か国語に翻訳出版された」とあります。
 →『大佛次郎記念館』略年譜
 
   
    3.  過去に読んだ本の中で特に記憶に残っている大佛次郎の『帰郷』の冒頭部分を紹介させていただきました。    
    4.  横浜市に『大佛次郎記念館』があります。
 →『大佛次郎記念館』
   
    5.  大佛次郎(おさらぎ・じろう)=小説家。本名、野尻清彦。横浜市生れ。東大卒。鞍馬天狗物や「赤穂浪士」、現代小説「帰郷」、史伝「パリ燃ゆ」、歴史小説「天皇の世紀」など、レベラルな感覚を生かした作品で活躍。文化勲章。(1897~1973) (『広辞苑』第7版による。)    
           









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