資料664 横井也有「物忘翁伝」(『鶉衣』より) 



       物忘翁伝
              横井也有『鶉衣』より

 わすれ草生ふる住よしのあたりに住みわびたる物わすれの翁あり。さるは健忘などいへる病の筋にはあらで、只身のおろかに生れつきて、物覺のおろそかなるにぞありける。昔は經學の道をもとひきゝ、作文和歌の席などにも、さそふ人あればまじらひけれど、きく事習ふ事のさすがに面白しと思ふ物から、夕べに覺えしことごとも、朝ぼらけにはこぎ行舟の跡なくて、身にも心にものこる事すくなし。されば是を書付置かむと、しゐて硯ならし机によれば、春の日はてふ鳥に心うかれて過ぎ、秋の夜は虫なきていとねぶたし。かくてぞ老曾の森の草、かりそめの人のやくそくも、小指を結び手のひらにしるしても、行水の數かくはかなさ、人もわらひても罪ゆるしつべし。さればその翁のいへりける、身のとり所なきを思ふに、若きにかずまへられしほどは、人やりならずはづかしかりしが、つんぼうの雷にさはがず、座當の蛇におどろかざるこぼれ幸なきにもあらず。よのつねきゝわたる茶のみ語りも、はじめ聞ける事の耳にのこらねば、世に板がへしといふ咄ありて、またかの例の大坂陣かと、若き人々はつきしろひて、小便にもたつが中にも、我は何がし僧正のほとゝぎすならねど、きくたびにめづらしければ、げにときくかひある翁かなと、かたる人は心ゆきても思ふべし。ましてつねづね手馴れ古せし文章物がたりの双帋も、去年見しことはことし覺えず、春よみしふみは秋たどたどしく、又もくりかへしみる時は、只あらたなる文にむかふ心地して、あかず幾たびも面白ければ、わづか兩三帙の書籍ありて、心のたのしみさらに盡くる事なし。むかし炎天に腹をさらしたるおのこは、人にもおりおり物をとはれて、とりまがはしいひたがへじと、いかにかしましき心かしけん。今は中々うれしき物わすれかなとぞいひける。猶かの翁が家の集に、何の本歌をかとりけるならむ、
  わすれてはうちなげかるゝ夕べかなと
    物  覺  え  よ き 人  は よ  み  し か



  (注) 1.   上記の「物忘翁伝」(ものわすれおきなのでん)は、横井也有の『鶉衣』にある文章です。横井也有の『鶉衣』(岩波文庫、石田元季 校訂。昭和5年12月25日発行)は、国立国会図書館デジタルコレクションに入っています。ただし、この本は送信サービスで閲覧可能のものなので、見る場合は利用者登録をする必要があります。又は、利用可能の図書館で見る方法もあります。

 → 国立国会図書館デジタルコレクション
  → 岩波文庫『鶉衣』
  →「物忘翁伝」(22/135)
   
    2.  本文最後の「物覚えよき人はよみしか」は、日本古典文学大系92『近世俳句俳文集』(阿部喜三男・麻生磯次校注)では、「物覚えよき人はよみしが」と、最後の仮名を「が」としてあります。
 つまり、この部分は「物覚えよき人はよみしか」と「物覚えよき人はよみしが」の二つの読みがあるということでしょうか。
   
    3.  本文中の平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、元の仮名に直して表記してあります。(「ことごと」「つねづね」「たどたどしく」「おりおり」)    
    4.  「わすれてはうちなげかるゝ夕べかな」は、新古今和歌集巻11にある式子内親王の「百首歌の中に、忍(ぶる)恋を 忘れてはうちなげかるる夕べかな我のみ知りて過ぐる月日を」の歌です。国歌大観の番号1035。

 窪田空穂著『完本 新古今和歌集評釈 中巻』(東京堂、昭和39年9月29日初版発行)から歌の訳を引かせていただきます。
 相手にうち明けていないことを忘れて、待つ人が来ない恨みからのため息の漏らされる夕べではあるよ。思えば、自分だけが知っているのみの忍ぶ恋で、久しい時を忍びつづけている恋であるものを。

 → 国立国会図書館デジタルコレクション
  →『完本 新古今和歌集評釈 中巻』窪田空穂著
  → 「忘れてはうちなげかるる夕べかな」の歌(115/282)
   
    5.  語句の注釈を少し(日本古典文学大系92『近世俳句俳文集』の377~379頁の頭注を主にして、ところどころ他の注釈書の注釈を加えてあります。)
 
〇わすれ草……住吉は忘れ草の名所。古今集に紀貫之の「道知らばつみのも行かむ住吉の岸に生ふてふ恋忘れ草」の歌がある。忘れ草は、萱草。
 
〇朝ぼらけにはこぎ行舟の跡なくて……『万葉集』巻二、沙弥満誓の「世の中を何に譬へむ朝びらき漕ぎ去にし船の跡なきがごと」に拠る。拾遺集には「世の中を何に譬へむ朝ぼらけ漕ぎゆく船のあとの白波」とある。
 〇しゐて硯ならし……強いて硯を磨って。
 〇かくてぞ老曾の森の草、かりそめの人のやくそくも……「老曾の森」(おいそのもり)は、滋賀県近江八幡市にある奥石(おいそ)神社の森。「かくて老いゆく」というのに「老曾の森」を続けて、「老曾」に年の老いゆく意をふくめる。その森の草を「かり(刈り)」に「かりそめ(仮初)」をかける。「老曾の森の草」は「かりそめ(仮初)」の序詞。かりそめの人の約束も。
 〇小指を結び手のひらにしるしても……忘れないための心おぼえに、小指を結んだり手の平に書いたりする。
 〇行水の数かくはかなさ……『伊勢物語』第50段の「行く水にかずかくよりもはかなきは、思はぬ人を思ふなりけり」に拠る。
 〇人やりならず……人のせいではなく、自分のせいだとして。
 〇座当の蛇におどろかざる……「座当」は、普通は「座頭」。「盲蛇におじず」という諺もある。
 【座頭】(1)琵琶法師に与えられた官名で、四階級の最下位。検校(けんぎょう)・別当・勾当(こうとう)に次ぐ。(2)僧の姿をした盲人で、あんま・はりを業とする者。また、琵琶・三味線・胡弓(こきゅう)などをひき、歌曲・語り物を演じる盲人。(『旺文社古語辞典』第8版による。)『広辞苑』第7版には、詳しい解説の最後に、「転じて、盲人」とあります。
 〇こぼれ幸……思いがけない仕合せ。
 〇板がへし……同じことを繰り返して話すことをいう。「板かへし」は玩具の名で、一方の端をもって下げると、板の表が次々に現れ、手をかえすと、裏が次々に出てくる。ある人の説明によると、「江戸時代に庶民の間で遊ばれた「かわり屏風」という、ひっくり返すと別の絵柄や模様があらわれるからくり玩具」。
 〇またかの例の大坂陣かと……老人どもが大坂陣の自慢話を繰り返すので、若い者はまたかと、膝をつつきあう。
 〇何がし僧正のほとゝぎす……花林院の僧正永円(ようえん)は、郭公の声を聞いて「聞く度に珍らしければ郭公いつも初音の心地こそすれ」と詠んで初音の僧正といわれた(平家物語)。

 此の永縁(やうえん)は優に艶(やさ)しき人にておはしけり。或時郭公(ほとtぎす)の鳴くを聞いて、
  聞くたびに珍しければ郭公いつも初音の心地こそすれ
といふ歌を詠(よ)うでこそ、初音の僧正とは云はれ給ひけれ。
(『平家物語』巻第六「新院崩御」 『昭和校訂 平家物語 流布本』野村宗朔校訂。武蔵野書院・昭和25年6月15日訂正1版発行による。この歌は『金葉集』夏に、「權僧正永縁」として出ている。)
 

 〇かたる人は心ゆきても思ふべし……話す人は満足に思うことだろう。
 〇両三帙の書籍……二、三部の書物。
 〇炎天に腹をさらしたるおのこ……郝隆は七月七日日中に外へ出て仰臥し、自分は腹中の書を曝すのだといったという話が、『蒙求』上の郝隆曬書に見える。

  72 郝隆曬書(かくりゅう さいしょ)
 世説、郝隆七月七日、出日中仰臥。人問其故。曰、我曬腹中書也。
 訓読:世説に、郝隆七月七日、日中に出(い)でて仰臥す。人其の故を問ふ。曰(いは)く、我は腹中の書を曬(さら)すなり、と。 通釈:『世説』排調篇にいうよう、晋の郝隆は七月七日、戸外で腹を出して上を向いて寝ていた。他の人がそのわけを尋ねると、彼は、「世間では、今日は衣服や書物を日にさらす日である。私は腹の中に覚えこんだ書をさらしているところだ」と答え、自分の学問を自慢した。語釈:〇郝隆 字(あざな)は仕治、汲郡の人。仕えて征西将軍桓温の参軍になった。(この項は、新釈漢文大系58『蒙求 上』早川光三郎著。明治書院・昭和48年8月25日初版発行によりました。)

 〇とりまがはじ……取り違えまい。
 〇何の本歌をかとりけるならむ……どういう和歌を本歌にとったのであろうか。
 〇わすれては……『新古今集』恋に「忘れてはうちなげかるゝ夕べかな我のみ知りてすぐる月日を」(式子内親王)。物覚えのよい人は、物忘れをして悲しいと嘆く夕べであるよと、歌に詠んだが、物覚えのわるい自分は、そんな歎きもしないで平気で暮らしている。(日本古典文学大系の頭注。)
 
  詳しくは、日本古典文学大系本、その他の注釈書に直接当たってください。
   
     
   









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