資料661 白石大二氏の「たとえ尽くしー「とら(虎)」の巻 ー」から
白石大二氏の「たとえ尽くしー「とら(虎)」の巻
ー」から
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昭和37年3月15日発行の雑誌『藝能』4月号に、白石大二氏の「たとえ尽くし ー「とら(虎)」の巻 ー」が掲載されていて、そこに「虎の尾を踏み、毒蛇(どくじゃ)の口を逃(の)がる」は、危険をおかして他の危険を逃がれるの意味であろうかとして、次のようなことに触れておられます。
現在、著作権の関係で全文を掲載することができませんので、引用者が必要と思う要点のみを書き記すことにします。 |
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「虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃がる」について
(1)白石氏は、「虎の尾を踏み、毒蛇(どくじゃ)の口を逃(の)がる」という言葉は、危険をおかして他の危険をのがれるの意味であろうかとして、万葉集巻五に見える山上憶良の歌の前書きに「二つの鼠競(きそ)ひ走りて、目を度(わた)る鳥旦(あした)に飛び、四つの蛇(へみ)争ひ侵して、隙(げき)を過ぐる駒(こま)夕べに走る。嗟呼(ああ)痛ましきかも。」とある故事の出典に関係があるか、としておられます。
(2)次に、板橋倫行(ともゆき)氏の研究によれば、この出典として契沖がすでに指摘した仏典『賓頭盧(びんずる)、優陀延王(うだえおう)の為に法を説く経』には、「曠野で大悪象に会い、追われて丘の井戸に逃げ込み樹根にすがりついた旅人は、一安心の暇(いとま)もなく白黒の二鼠(にそ)が樹根をかじりつつあるのを発見した。しかもこの井戸のまわりには四匹の毒蛇がいて旅人を螫(さ)そうとし、井戸の下には大毒龍が潜んでいた。すがりついている樹が動揺して蜜が口の中に落ちたのは有りがたかったものの、ついに蜂の窠(す)を破ったため蜂に螫され、さらに野火が襲って来てすがりついている樹を焼くという苦境に追いやられる。(後略)」と出ている、と紹介されています。
そして、この動物には異同があり、『俊頼(としより)口伝集』に掲げた歌の拠った経文には、追う動物が虎となり、井の底のものが鰐(わに)となっているとのことです。ちなみに、この象・虎は、キリスト教の宗教書「バーラムとジョサフアト」では、古典世界の伝説獣である一角獣になっていて、トルストイの『懺悔』では、単に「おそろしい猛獣」「野獣」となっているとのことです。(同氏著『万葉集の詩と真実』(淡路全書四)「黒白二鼠譬喩譚について」、「奈良朝芸文に現われた「二鼠四蛇」」参照。)
白石氏は、こういう研究を背景に考えると、「虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃がる」は、謡曲「安宅」・歌舞伎「勧進帳」の末尾、「虎の尾を踏み毒蛇の口を遁(のが)れたる心地して、陸奥国へと下りける」によったものと思われる、としておられます。
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以上、白石氏の「たとえ尽くし ー「とら(虎)」の巻
ー」から引用者が必要と思う内容だけを紹介しましたが、この文章が収められている『藝能』昭和37年四月号は、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができますので、詳しくは同書をご覧ください。(ただし、これは送信サービスで閲覧できる雑誌なので、見るためには利用者登録をする必要があります。)
→ 国立国会図書館デジタルコレクション
→『芸能』四月号(芸能発行所、昭和37年3月15日発行)
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なお、上の文章の内容に関連した次の資料があります。
資料650「仏説譬喩経」(『大正新脩大蔵経』第4巻による)
資料652「仏説譬喩経」(書き下し文)
資料658
賓頭盧為優陀延王説法経
資料659『衆経撰雑譬喩』巻上第八
資料651
トルストイが「仏説譬喩経」に触れている部分(相馬御風訳『我が懺悔』より)
資料660「日本挽歌」の序(万葉集巻五)
上の文中に「
『俊頼(としより)口伝集』に掲げた歌の拠った経文には、追う動物が虎となり、井の底のものが鰐(わに)となっているとのことです」とありますが、この
『俊頼口伝集』(『俊頼髄脳』『俊頼秘抄』とも)については、次の参考文献があります。
〇『万葉集の詩と真実』板橋倫行著
→ 国立国会図書館デジタルコレクション
→『万葉集の詩と真実』板橋倫行著
(個人送信サービスを利用するため、「利用者登録」をして見る必要があります。)
〇「俊頼髄脳所収和歌本文札記」岡崎真紀子
(この論文は『成城大学リポジトリ』でダウンロードして読むことができます。)
→
成城大学リポジトリ「俊頼髄脳所収和歌本文札記」
(ここで「ダウンロード」して読みます。)
〇「〈月の鼠〉説話に於ける虎と鰐(ワニ)の描写表現対照表」杉山和也(「緑岡詞林」第37号、平成25年3月31日、青山学院大学院日文院生の会)
→〈月の鼠〉説話に於ける虎と鰐(ワニ)の描写表現対照表
(この論文もダウンロードして読む必要があります。)
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