資料652  仏説譬喩経(書き下し文) 



       仏説譬喩経   三蔵法師訳による本文の書き下し文
              (本文は旧漢字、読み仮名は現代仮名遣いにしてあります。)


是(かく)の如く我は聞きぬ。一時、薄伽梵(ばぎゃぼん)室羅伐城逝多林給孤獨園(しらばつじょうせいたりんきっこどくおん)に在(ましま)しき。爾(そ)の時、世尊、大衆(だいしゅ)の中(うち)にて、勝光王に告げて曰(のたまわ)く、「大王よ、我今王の爲に略して譬喩(たとえ)を説かん。諸有(しょう)は生死(しょうじ)にて、過患(うれい)に味着(みじゃく)せり。王今、諦(あきらか)に聽き、善く之(これ)を思念せよ。乃徃過去(むかし)、無量劫(むりょうこう)の時に於(おい)て一人(ひとり)有り。曠野に遊びて惡象(あくぞう)の爲に逐(お)はれ、怖(おそ)れ走(わし)れども依るもの無し。一(いつ)の空(むな)しき井(いど)を見れば、傍(かたわら)に樹根有り。即ち根を尋ねて下(くだ)り、身を井(いど)の中(うち)に潜(ひそ)む。黑白(こくびゃく)の二鼠(にそう)有りて互(たが)ひに樹(き)の根を齧(か)む。井(いど)の四邊(しへん)に於て、四(よつ)の毒蛇(どくだ)有り。其の人を螫(さ)さんと欲(ほっ)す。下に毒龍有り。心に龍蛇(りゅうだ)を畏(おそ)れ、樹根の斷(た)つを恐る。樹(き)に蜂蜜有り、五滴(ごてき)口に墮(お)つ。樹(き)搖(うご)き、蜂散(さん)じ、下(くだ)りて斯(こ)の人を螫(さ)す。野火(やか)復た來(きた)りて、此の樹を燒然(や)けり」と。王の曰(いわ)く、「是の人云何(いか)んぞ無量の苦(くるしみ)を受けて、彼(か)の少味(しょうみ)を貪(むさぼ)れる」と。
爾(そ)の時、世尊、告げて言(のたま)はく、「大王よ、曠野(こうや)とは無明長夜(むみょうちょうや)の曠遠(こうおん)なるに喩(たと)ふ。言ふところの彼(か)の人は、異生(いしょう)に喩(たと)ふ。象(ぞう)は、無常に喩ふ。井(いど)は生死(しょうじ)に喩ふ。險岸(けんがん)の樹根は、命(いのち)に喩ふ。黑白(こくびゃく)の二鼠(にそう)は、以(もっ)て晝夜(ちゅうや)に喩ふ。樹根を齧(か)むとは、念々(ねんねん)の滅(めっ)するに喩ふ。其(そ)の四毒蛇(しどくだ)とは、四大(しだい)に喩ふ。蜜は、五欲に喩ふ。蜂は、邪思(じゃし)に喩ふ。火は、老病(ろうびょう)に喩ふ。毒龍(どくりゅう)は、死に喩ふ。是(こ)の故に、大王當(まさ)に知るべし、生老病死(しょうろうびょうし)は甚(はなは)だ怖畏(おそる)べし、常に應(まさ)に思念(おも)ひて、五欲に呑迫(どんはく)せらるゝ勿(なか)れ」と。爾(そ)の時、世尊、重(かさ)ねて頌(じゅ)を説きて曰(いわ)く、
  曠野とは無明(むみょう)の路(みち)なり  人の走(わし)るは凡夫(ぼんぷ)に喩ふ  大象(だいぞう)は無常に比(ひ)す  井(いど)は生死(しょうじ)の岸に喩ふ  樹根は命(いのち)に喩ふ  二鼠(にそう)は晝夜(ちゅうや)に同じ  根を齧(か)むは念々(ねんねん)の衰へなり  四蛇(しだ)は四大(しだい)に同じ  蜜の滴(したた)りは五欲に喩(たと)ふ  蜂の螫(さ)すは邪思(じゃし)に比(くら)ぶ  火は老病に同じ 毒龍は方(まさ)に死苦なり  智者(ちしゃ)斯(こ)の事を觀(かん)じ  急に厭(いと)ひて津(わたり)を生(しょう)ずべし  五欲に心(こころ)著(ちゃく)する無くば  方(まさ)に解脱(げだつ)の人と名づく  鎭(とこしなえ)に無明(むみょう)の海に處(お)れば  常に死王の爲(ため)に驅(か)られ  寧(むし)ろ聲色(せいしき)を戀ふを知りて  凡夫(ぼんぷ)を離るゝを樂(ねが)はず    
爾(そ)時、勝光大王(しょうこうだいおう)、佛(ぶつ)爲(ため)に生死(しょうじ)の過患(かけん)を説くを聞きて未曾有(みぞう)なることを得(え)、深く厭離(いとい)を生(しょう)じ、合掌恭敬(がっしょうくきょう)し、一心に瞻仰(せんこう)して佛(ぶつ)に白(もう)して言(もう)さく、「世尊よ、如來(にょらい)の大慈(だいじ)は爲(ため)に是(か)くの如き微妙(みみょう)の法義(のり)を説きたまひぬ。我今、頂戴すべし」と。佛(ぶつ)の言(のたま)はく、「善哉(よし)善哉(よし)、大王、當(まさ)に説(せつ)の如く行(ぎょう)ずべし。放逸(ほういつ)を爲(な)す勿(なか)れ」と。時に勝光王及び諸(もろもろ)の大衆(だいしゅ)、皆悉(ことごと)く歡喜(よろこ)びて信受奉行(しんじゅぶぎょう)しき。
佛説譬喩經


  (注) 1.  上記の書き下し文は、主として『仏陀之處生訓』(前田慧雲著、明治45年5月30日 興教書院発行)により、その他を参考にして記述しました。従って、『仏陀之處生訓』の本文のままではなく、文責は引用者にあることをお断りしておきます。    
    2.  書き下し文の漢字は概ね旧漢字とし、読み仮名は現代仮名遣いとしてありますので、ご注意ください。    
    3.  ネットを検索すると、「仏説譬喩経」についていろいろ解説記事が出ているようです。そのうちの一つを挙げておきます。
 ここで、岩波文庫『懺悔』(トルストイ著、原久一郎訳)の、トルストイが「仏説譬喩経」を引いている部分を見ることができます。
 → VIVEKA   For All Buddhist Studies
     →「仏説譬喩経」とは
   
    4.  次の資料があります。
 資料650 仏説譬喩経(『大正新脩大蔵経』第4巻による)
 資料651 トルストイが「仏説譬喩経」に触れている部分(相馬御風訳『我が懺悔』より)
   
           
           







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