資料651  トルストイが「仏説譬喩経」に触れている部分(相馬御風訳『我が懺悔』より)



      トルストイが「仏説譬喩経」に触れている部分
                   
新潮文庫『我が懺悔』より 

 


 或る草原地の旅人が恐ろしい野獣に襲はれたといふ東方の昔噺がある。この旅人は、助からうと思つて水の涸れた井戸の中に這入つた。しかし、その底には一匹の龍が口を開けて彼を呑まうとしてゐた。この不幸な男は野獣の怖しさの爲めに外に出ることもなし得ず、龍の怖しさの爲めに下に降りることもなし得ないで、井戸の罅隙に生じた野草の枝に摑まつてゐた。彼の腕はだんだんと疲れ、間もなく死なねばならないこと、死が兩方から待つてゐることを感じながらも、彼は猶ほそれを堪へてゐる。その時彼は白と黑との二匹の鼠が、その野草の莖を齧つて、萬遍なくその周圍を進んで行くのを見た。この草はやがて切れ落ちねばならない。そして彼は龍の口の中に落ちるであらう。旅人はこれを見て、自分の死の避けがたいことを知つた。しかし吊りさがつてゐながら、周圍を見廻した彼は、數滴の蜜が野草の葉にあるのを見出して、舌を出してそれを舐めた。
 かうして私は、死の龍が間違ひなく私を待つてゐて、私を分斷せんとしてゐるのを知りつゝも、命の枝に吊りさがつてゐて、何故そんな苦悶が私に襲つて來たのかを理解し得なかつた。私もまた以前自分を樂しませたこの蜜を啜らうとしたが、晝の白鼠と夜の黑鼠とが私の吊りさがつてゐる枝を嚙んでゐる間は、それも私の口には味がなかつた。私は餘りに判然と龍を見てゐるので、その蜜ももう甘くはなかつた。私は自分がそれから逃れることの出來ないところの龍を見、また鼠を見てゐるのだが、しかもそれから目をそらすことも出來なかつた。それは造り話ではない。凡ての人によつて理解さるべき、生きた不可抗的な眞理である。以前龍の恐怖から私を隱してゐた人生の幸福の迷妄も、もはや私を欺かなくなつた。


  (注) 1.  上記のトルストイが「仏説譬喩経」に触れている部分の本文は、国立国会図書館デジタルコレクション所収の新潮文庫『我が懺悔』(トルストイ著、相馬御風訳。新潮社 昭和9年6月1日発行)によりました。
 国立国会図書館デジタルコレクション
 → 新潮文庫『我が懺悔』(トルストイ著、相馬御風訳)
  → 該当部分16ー17/79)
   
    2.  「仏説譬喩経」の該当部分の原文は、資料650 仏説譬喩経(『大正新脩大蔵経』第4巻による)にあります。
 また、古い本によったものですが、「仏説譬喩経」の書き下し文が次の資料にあります。
  → 資料652   仏説譬喩経(書き下し文)
   
    3.  岩波文庫に、原久一郎訳でトルストイの『懺悔』が出ていますが、現在品切れだそうです。
 → 岩波文庫『懺悔』トルストイ著 原久一郎訳(1935年6月15日発行)

 岩波書店の原久一郎訳『懺悔』の紹介文は次の通りです。
 『懺悔』は一大回心の記録である。大作『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を著し名声の絶頂にあったトルストイ(1828ー1910)は、自らの人生の意義について烈しい疑問にとらわれ、これまでの生活・著作・価値観などの一切を否定し、新しい信仰にめざめてゆく。苦悩する自己の姿を赤裸々にさらけだした真摯な魂の軌跡。

 〇 なお、この岩波書店の原久一郎訳『懺悔』の、トルストイが「仏説譬喩経」に触れている部分は、次のサイトで見ることができます。
 → VIVEKA   For All Buddhist Studies
     →「仏説譬喩経」とは
   
4.  参考までに、上の新潮文庫『我が懺悔』(トルストイ著、相馬御風訳)の引用部分のあとの文を、少し引いておきます。
 如何に理窟をつけて見ても、人生の意味は私には解らない、私は考へないで生活せねばならないと言つて見ても、私は再びさうすることが出來ない。何故なれば私は既に餘りに永くそれをやつて來たのから、今や私は、過ぎて行く晝と夜とが、私をだんだんと死に近づけて行くのを見ずに居られない。私が見得るのはたゞこれだけだ、これのみが眞理である──この他の凡ては嘘である。何よりも多くこの殘酷な眞理から私を遠ざからしめる二適の蜜、私の家族と、私の著述(私はそれに藝術といふ名前を與へてゐるが)に對する愛も、私には、もう甘い味がなくなつた。『私の家族』私は考へた。『しかし家族、妻、子供もまた人間であつて、私と同じ條件に從つてゐる。彼等は虚僞の中に住むか、然らざれば恐ろしい眞實を見ねばならない。何故彼等は生きねばならないか? 何故私は彼等を愛し勞(いたは)り育て守らねばならないか、私を充たしてゐる絶望に彼等を導くべきか、或は彼等を愚鈍なものとなすべきか? 私は彼等を愛してゐる、この眞理を彼等から隱すことは來ない──知識を得れば得るほど、一歩々々彼等はそれに近づいて行く。そしてその眞理とは死である。』
 しかしそれでは藝術は、詩は? 成功讃辭に謟はれたりしたお蔭で、かの大破壊壊者たる死は私の書くものや、それの記憶を絶滅したりせんとして近づいては來たが、しかも猶ほ私はそれを營み働くに値するものとして永い間自らを説得して來た。しかし今私は直にこれが更に一つの迷妄に過ぎないことを見た──私は明かに、藝術は人生の装飾であり蠱惑であるに過ぎないことを見た。(以下、略)
           
           





         トップページへ