資料628  夏目漱石「人生」(「龍南会雑誌」第49号)




    人 生       夏 目  漱 石

 空を劃して居る之を物といひ、時に沿うて起る之を事といふ、事物を離れて心なく、心を離れて事物なし、故に事物の變遷推移を名づけて人生といふ、猶麕身牛尾馬蹄のものを捉へて麟といふが如し、かく定義を下せば、頗る六つかしけれど、是を平假名にて翻譯すれば、先づ地震、雷、火事、爺の怖きを悟り、砂糖と鹽の區別を知り、戀の重荷義理の柵抔いふ意味を合點し、順逆の二境を踏み、禍福の二門をくゞるの謂に過ぎず、但其謂に過ぎずと觀ずれば、遭逢百端千差萬別、十人に十人の生活あり、百人に百人の生活あり、千百萬人亦各千百萬人の生涯を有す、故に無事なるものは午砲を聞きて晝飯を食ひ、忙しきものは孔席暖かならず、墨突黔せずとも云ひ、變化の多きは塞翁の馬に辵をかけたるが如く、不平なるは放たれて澤畔に吟じ、壯烈なるは匕首を懷にして不測の秦に入り、頑固なるは首陽山の薇に餘命を繋ぎ、世を茶にしたるは竹林に髯を拈り、圖太きは南禪寺の山門に晝寐して王法を懼れず、一々數へ來れば日も亦足らず、中々錯雜なものなり、加之個人の一行一爲、各其由る所を異にし、其及ぼす所を同じうせず、人を殺すは一なれども、毒を盛るは刃を加ふると等しからず、故意なるは不慮の出來事と云ふを得ず、時には間接ともなり、或は又直接ともなる、之を分類するだに相應の手數はかゝるべし、況して國に言語の相違あり、人に上下の區別ありて、同一の事物も種々の記號を有して、吾人の面目を燎爛せんとするこそ益面倒なれ、比較するだに畏けれど、萬乘には之を崩御といひ、匹夫には之を「クタバル」といひ、鳥には落ちるといひ、魚には上がるといひて、而も死は即ち一なるが如し、若し人生をとつて銖分縷析するを得ば、天上の星と磯の眞砂の數も容易に計算し得べし
 小説は此錯雜なる人生の一側面を寫すものなり、一側面猶且單純ならず、去れども寫して神に入るときは、事物の紛糾亂雜なるものを綜合して一の哲理を敎ふるに足る、われ「エリオツト」の小説を讀んで天性の惡人なき事を知りぬ、又罪を犯すものの恕すべくして且憐むべきを知りぬ、一擧手一投足わが運命に關係あるを知りぬ、「サツカレー」の小説を讀んで正直なるものの馬鹿らしきを知りぬ、狡猾奸佞なるものの世に珍重せらるべきを知りぬ、「ブロンテ」の小説を讀んで人に感應あることを知りぬ、蓋し小説に境遇を敍するものあり、品性を寫すものあり、心理上の解剖を試むるものあり、直覺的に人世を觀破するものあり、四者各其方面に向つて吾人に敎ふる所なきにあらず、然れども人生は心理的解剖を以て終結するものにあらず、又直覺を以て觀破し了すべきにあらず、われは人生に於て是等以外に一種不可思議のものあるべきを信ず、所謂不可思議とは「カツスル、オフ、オトラント-」中の出來事にあらず、「タムオーシヤンター」を追懸けたる妖怪にあらず、「マクベス」の眼前に見はるゝ幽靈にあらず、「ホーソーン」の文「コルリツヂ」の詩中に入るべき人物の謂にあらず、われ手を振り目を搖かして、而も其の何の故に手を振り目を搖かすかを知らず、因果の大法を蔑にし、自己の意思を離れ、卒然として起り、驀地に來るものを謂ふ、世俗之を名づけて狂氣と呼ぶ、狂氣と呼ぶ固より不可なし、去れども此種の所爲を目して狂氣となす者共は、他人に對してかゝる不敬の稱號を呈するに先つて、己等亦曾て狂氣せる事あるを自認せざる可からず、又何時にても狂氣し得る資格を有する動物なる事を承知せざるべからず、人豈自ら知らざらんやとは支那の豪傑の語なり、人々自ら知らば固より文句はなきなり、人を指して馬鹿といふ、是れ己が利口なるの時に於て發するの批評なり、己も亦何時にても馬鹿の仲間入りをするに充分なる可能力を具備するに氣が付かぬものの批評なり、局に當る者は迷ひ、傍觀するものは嗤ふ、而も傍觀者必ずしも棊を能くせざるを如何せん、自ら知るの明あるもの寡なしとは世間にて云ふ事なり、われは人間に自知の明なき事を斷言せんとす、之を「ポー」に聞く、曰く、功名眼前にあり、人々何ぞ直ちに自己の胸臆を敍して思ひのまゝを言はざる、去れど人ありて思の儘を書かんとして筆を執れば、筆忽ち禿し、紙を展ぶれば紙忽ち縮む、芳聲嘉譽の手に唾して得らるべきを知りながら、何人も蹰躇して果たさざるは是が爲なりと、人豈自ら知らざらんや、「ポー」の言を反覆熟讀せば、思半ばに過ぎん、蓋し人は夢を見るものなり、思ひも寄らぬ夢を見るものなり、覺めて後冷汗背に洽く、茫然自失する事あるものなり、夢ならばと一笑に附し去るものは、一を知つて二を知らぬものなり、夢は必ずしも夜中臥床の上にのみ見舞に來るものにあらず、靑天にも白日にも來り、大道の眞中にても來り、衣冠束帶の折だに容赦なく闥を排して闖入し來る、機微の際忽然として吾人を愧死せしめて、其來る所固より知り得べからず、其去る所亦尋ね難し、而も人生の眞相は半ば此夢中にあつて隱約たるものなり、此自己の眞相を發揮するは即ち名譽を得るの捷徑にして、此捷徑に從ふは卑怯なる人類にとりて無上の難關なり、願はくば人豈自ら知らざらんや抔いふものをして、誠實に其心の歴史を書かしめん、彼必ず自ら知らざるに驚かん
 三陸の海嘯濃尾の地震之を稱して天災といふ、天災とは人意の如何ともすべからざるもの、人間の行爲は良心の制裁を受け、意思の主宰に從ふ、一擧一動皆責任あり、固より洪水飢饉と日を同じうして論ずべきにあらねど、良心は不斷の主權者にあらず、四肢必ずしも吾意思の欲する所に從はず、一朝の變俄然として己靈の光輝を失して、奈落に陷落し、闇中に跳躍する事なきにあらず、是時に方つて、わが身心には秩序なく、系統なく、思慮なく、分別なく、只一氣の盲動するに任ずるのみ、若し海嘯地震を以て人意にあらずとせば、此盲動的動作亦必ず人意にあらじ、人を殺すものは死すとは天下の定法なり、されども自ら死を決して人を殺すものは寡なし、呼息逼り白刃閃く此刹那、既に身あるを知らず、焉んぞ敵あるを知らんや、電光影裡に春風を斫るものは、人意か將た天意か
 靑門老圃獨り一室の中に坐し、冥思遐捜す、兩頰赤を發し火の如く、喉間咯々聲あるに至る、稿を屬し日を積まざれば出でず、思を構ふるの時に方つて大苦あるものの如し、既に來れば則ち大喜、衣を牽き、床を遶りて狂呼す、「バーンス」詩を作りて河上に徘徊す、或は呻吟し、或は低唱す、忽ちにして大聲放歌欷歔涙下る、西人此種の所作をなづけて、「インスピレーシ
ン」といふ、「インスピレーシン」とは人意か將た天意か
 「デクインシー」曰く、世には人心の如何に善にして、又如何に惡なるかを知らで過ぐるものありと、他人の身の上ならば無論の事なり、われは「デクインシー」に反問せん、君は君自身がどの位の善人にして、又どの位の惡人たるを承知なるかと、豈啻善惡のみならん、怯勇剛弱高下の分、皆此反問中に入るを得べし、平かなるときは天落ち地缺くるとも驚かじと思へども、一旦事あれば鼠糞梁上より墜ちてだに消魂の種となる、自ら口惜しと思へど詮なし、源氏征討の宣旨を蒙りて、遙々富士川迄押し寄せたる七萬餘騎の大軍が、水鳥の羽音に一矢も射らで逃げ歸るとは、平家物語を讀むものの馬鹿々々しと思ふ處ならん、啻に後代の吾々が馬鹿々々しと思ふのみにあらず、當人たる平家の侍共も翌日は定めて口惜しと思ひつらん、去れども彼等は富士川に宿したる晩に限りて、急に揃ひも揃うて臆病風にかゝりたるなり、此臆病風は二十三日の半夜忽然吹き來りて、七萬餘騎の陣中を馳け廻り、翌くる二十四日の曉天に至りて寂として息みぬ、誰か此風の行衞を知る者ぞ
 犬に吠え付かれて、果てな己は泥棒かしらん、と結論するものは餘程の馬鹿者か、非常な狼狽者と勘定するを得べし、去れども世間には賢者を以て自ら居り、智者を以て人より目せらるゝもの、亦此病にかゝることあり、大丈夫と威張るものの最後の場に臆したる、卑怯の名を博したるものが、急に猛烈の勢を示せる、皆是れ自ら解釋せんと欲して能はざるの現象なり、況や他人をや、二點を求め得て之を通過する直線の方向を知るとは幾何學上の事、吾人の行爲は二點を知り三點を知り、重ねて百點に至るとも、人生の方向を定むるに足らず、人生は一個の理窟に纏め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、「サイン」「コサイン」を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二邊竝行せる三角形あるを奈何せん、若し人生が數學的に説明し得るならば、若し與へられたる材料よりXなる人生が發見せらるゝならば、若し人間が人間の主宰たるを得るならば、若し詩人文人小説家が記載せる人生の外に人生なくんば、人生は餘程便利にして、人間は餘程えらきものなり、不測の變外界に起り、思ひがけぬ心は心の底より出で來る、容赦なく且亂暴に出で來る、海嘯と震災は、啻に三陸と濃尾に起るのみにあらず、亦自家三寸の丹田中にあり、險呑なる哉

                     ─明治29、10、第五高等學校『龍南會雜誌』─


  (注) 1. 本文は、『漱石全集 第12巻』初期の文章及詩歌俳句(岩波書店、昭和42年3月30日発行)によりました。    
2. 新字・旧仮名で、主な語句に振り仮名を付けた本文(「現代日本文學大系17 夏目漱石集(一)」筑摩書房 1968(昭和43)年10月25日)が、青空文庫に出ています。
  → 青空文庫 → 「人生」
    3. この文章は漱石初期の小論で、漱石が第五高等学校に赴任した明治29年に発行された、第五高等学校の交友会「龍南会」発行の雑誌『龍南会雑誌』第49号(明治29年10月24日発行)に、「教授 夏目金之助」の名前で掲載されています。
   
    4. この『龍南會会雑誌』は、国立国会図書館デジタルライブラリーに収められているので、「個人向けデジタル化資料送信サービス(個人送信)」を利用すれば、雑誌を画像で見ることができます。
 → 国立国会図書館デジタルライブラリー →『龍南会雑誌』第49号 
   
    5. 語句の注
麕身(きんしん)=麕(きん)の身体。麕は、「のろ」という獸の名。鹿の一種。角がなく、牙(きば)がある。群れをなして集る。
遭逢(そうほう)=人生のめぐりあい。運命。
孔席暖かならず、墨突黔せず=韓愈の『諍臣論』に「孔席不暇暖、而墨突不得黔」(孔席暖まるに暇(いとま)あらず、墨突黔(くろ)むを得ず)とある。黔(けん)は、くろむ。黒くなる。すすける。「孔席暖かならず」とは、孔子の座席は、暖まるひまがなかった、ということ。孔子が、その政治的理想を説くために各地を周遊し、ゆっくりと一か所に落ち着いていることがなかったことをいう。「墨突黔せず」とは、墨子の家のかまどのけむ出しが、黒くならなかった、ということ。忙しくて家にいる暇もないこと。墨子が自分の教えを広めるのに忙しく、自分の家で炊事する暇もなかったので、かまどのけむ出しが煤(すす)で黒くならなかったという故事から。
塞翁の馬に辵をかけたるが如く=辵は、しんにょう・しんにゅう。足で道を行くことを表す。「塞翁が馬」は、「人間万事塞翁が馬」

放たれて澤畔に吟じ=中国戦国時代の楚の人、屈原をさす。屈原の『漁父辞』に「屈原すでに放たれて江浜に遊び、行くゆく沢畔に吟ず」とある。
匕首を懐にして不測の秦に入り=中国戦国時代の人、荊軻をさす。燕の太子丹のために刺客となって秦に行った。
首陽山の薇に餘命を繋ぎ=中国殷の人、伯夷・叔斉の兄弟をさす。周の粟を食むのを恥じて首陽山に隠れ、わらびを食って、遂に餓死した。
竹林に髯を拈り=中国晋時代に、世塵を避けて竹林に逃れた七賢人をさす。

   
           


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