(注) | 1. | 本文は、『漱石全集 第12巻』初期の文章及詩歌俳句(岩波書店、昭和42年3月30日発行)によりました。 | |||
2. |
新字・旧仮名で、主な語句に振り仮名を付けた本文(「現代日本文學大系17 夏目漱石集(一)」筑摩書房 1968(昭和43)年10月25日)が、青空文庫に出ています。 → 青空文庫 → 「人生」 |
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3. |
この文章は漱石初期の小論で、漱石が第五高等学校に赴任した明治29年に発行された、第五高等学校の交友会「龍南会」発行の雑誌『龍南会雑誌』第49号(明治29年10月24日発行)に、「教授 夏目金之助」の名前で掲載されています。 |
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4. |
この『龍南會会雑誌』は、国立国会図書館デジタルライブラリーに収められているので、「個人向けデジタル化資料送信サービス(個人送信)」を利用すれば、雑誌を画像で見ることができます。 → 国立国会図書館デジタルライブラリー →『龍南会雑誌』第49号 |
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5. | 語句の注 麕身(きんしん)=麕(きん)の身体。麕は、「のろ」という獸の名。鹿の一種。角がなく、牙(きば)がある。群れをなして集る。 遭逢(そうほう)=人生のめぐりあい。運命。 孔席暖かならず、墨突黔せず=韓愈の『諍臣論』に「孔席不暇暖、而墨突不得黔」(孔席暖まるに暇(いとま)あらず、墨突黔(くろ)むを得ず)とある。黔(けん)は、くろむ。黒くなる。すすける。「孔席暖かならず」とは、孔子の座席は、暖まるひまがなかった、ということ。孔子が、その政治的理想を説くために各地を周遊し、ゆっくりと一か所に落ち着いていることがなかったことをいう。「墨突黔せず」とは、墨子の家のかまどのけむ出しが、黒くならなかった、ということ。忙しくて家にいる暇もないこと。墨子が自分の教えを広めるのに忙しく、自分の家で炊事する暇もなかったので、かまどのけむ出しが煤(すす)で黒くならなかったという故事から。 塞翁の馬に辵をかけたるが如く=辵は、しんにょう・しんにゅう。足で道を行くことを表す。「塞翁が馬」は、「人間万事塞翁が馬」 放たれて澤畔に吟じ=中国戦国時代の楚の人、屈原をさす。屈原の『漁父辞』に「屈原すでに放たれて江浜に遊び、行くゆく沢畔に吟ず」とある。 匕首を懐にして不測の秦に入り=中国戦国時代の人、荊軻をさす。燕の太子丹のために刺客となって秦に行った。 首陽山の薇に餘命を繋ぎ=中国殷の人、伯夷・叔斉の兄弟をさす。周の粟を食むのを恥じて首陽山に隠れ、わらびを食って、遂に餓死した。 竹林に髯を拈り=中国晋時代に、世塵を避けて竹林に逃れた七賢人をさす。 |
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