資料627 徳川光圀「梅花記」(『水戸義公全集 中』による)




                            梅花記

花・時鳥・月・雪の時と、永福門院のよませたまふもさる物から、春はあけほのゝやうやうしろく成ゆくまゝに、よもの山々はかすみわたりて、あやしのしつの軒端ちかく、うくひすのはなやかに鳴いてたる、青柳のいとほそくあやめもゆらになひきあひつゝ、櫻はあを葉かちにて、庭の木たちもこくらき中に、卯の花の垣ほにのみとおもはすしも咲かゝりて、山ほとゝきすまちかほなるに、のきのたち花はむかしおもはすしもあらす、やみはいとさら也、月のころも、ほたるの三つ四つ二つなと、とひちかひたる、まとのまへはふみなんすしつへくおほえていとおかし、秋は夕くれの入日はれやかにさして、山きはいとちかくなりたるに、かりもこゝらなきわたりて、比しも月やあかれる、紅葉やさかりなとあらそひのゝしるもけふおほえてあはれふかし、やうやくこからしの風身にいとふなりもてゆくまゝに、すゝきのかれ葉のかしらに霜をきまよひ、蟲のこゑもかれかれに、枕にちかききりきりすの、をのか衣のつゝりさせてふとや、まことに折にふれ時につれつゝ、物のあはれは侍るめれと、むめのはなのいよやかなるありさまの、いつれなみせんともおほえす、いとやんことなし、いつれの所にかありけん、いまはわすれつ、梅の木のあるをもてる人なんありしほとに、やつかれ日をわたり月を經てもとめしかとも、あるしの人つゐにゆるさす、いかゝし侍らんとおもひわつらふほとに、ある夜雨いたうふりぬ、かのあるしのまへをとをりにけるつゐて、今そかうとふとおもひいてゝ、ひそかにこれをぬすみ、みつからねこしておひつゝからふしてゆくありさま、人やきゝつくらんとせちにしのひたる心のうち、いとけうありて、白玉かなにそとゝひしあくた河のほとりまておもひやらる、色にめつる心のはなはたしさは、われも人もかはらさりけり、つゐにそのふにうつして、よるひるとなく此十とせかをち、こころをつくしあひしもてあそふといへとも、橐駝かをしへにしたかひて、子のことくしすつるかことくせよ、かへりみることなくおもむはかることなし、それいにしへよりいまの時にいたるまて、草木のことなきもものことになそらへてもてあそふ人、まさきのかつら長きよゝにたえす、晉の陶淵明か菊を東籬の下にとり、濂溪の翁ははちすはのにこりにしまぬをたのしみぬ、ともにゆへあるにや、かれすらしかり、いはんやむめのひとりあてなるみさほつくりてたてるそ、こよなうめてたしとみゆ、なかにも雪のふりたる曉なとの、我身もひえゐるやうにおほえて、空のけしきはけしかりしに、おやのいさめのけにとおほえて、ひらけさしつゝ、おかしきはかりの匀なり、これそなにはの冬こもりとはいふへかりけるを、あら玉の春のあしたはひときはまさりてみゆ、夕はへのいろはなやかに、あやまたすて月はいてにけりな、人めも枝もおなしいろにうつされてそれとも見えす、かをたつねてと詠しみつねかことまておもひいてぬ、いとしろうをきませるしもかとあやまたれて、とふとりもまなこをぬすまれ、こてふのはらわたもたちぬへくみはやされ、かけもなゝめに窗にさしいりたるけはひはいみしきゑしといへとも、筆かきりありけれはいと匀ひなし、されはもろこしにもわれにひとしき人やありけらし、上林の園、松風のうてな、何遜のなかめしも廣平が賦せしもことならす、廋嶺の春のふたゝひにほへるそ、よのつねのとしよりもをさをさおもしろかるへけれ、世の中にはなのはかせといひけんもにけなからす、玉色の明道にたとへ、深衣の司馬かといふかりし人こそあなれ、いともかしこし、はい所の月のこゝろもとなきをかなしみ、とひもてゆくにや、ひと夜のうちに千里をしのきしといひつたへけんもはたかはゆし、しかるをたれか草木は心なきとやはいふめる、いにしへをきゝ今を見るにつけても、はなこそあるし梅や友なんとおもふ物から、ともすれは日くらしさしむかひ、ふる文なんとゝりちらしつゝ、もろこしのうたともうちすんしぬれは、みるにしたかひてうたてはかなきことこそおほかめれ、むかしの人のまことにまれ、あたことにまれ、かゝるいさきよきはなもて、國の城のそれすらかたふけむとすらん女にそへしそうたてはかなしな、柳子かいはゆる羅浮の山は、みはてぬ夢のなこりをとゝめ、壽陽公主のひたいよそほへるすかたのえんなる、こやの眞人のたをやかに、雪のはたへのいとみやひにらうたけしもさそありけん、飛燕かかろやかなるすかた、久かたのひかりのとけき春の日にかゝやきて、いとゆふのみたるゝ世となしはへらんはいとくちおし、貴妃かむかしをおもひいつめれは、風ふきをくる野邊の草葉のつゆとゝもにきえにしあとそはたにけなからすやはある、しかるをなにのゆへありてかきよらなる花なん、これやひとしといふめるはいとはしたなくそきこゆ、かゝるうらみのそこはかとなくおもひたゆたふまゝ、しかすかにやみなんもかつくちをしとて、にふきふんてのほこさきをにらき、いさゝかこゝにしるして一えたの梅によす、はなもし心あらはこれか和答せよとそ、ことしよろこひやすき春、江東の遊子それかし日新齋のうちにしてつゆをしたて侍る


1. 上記の本文は、『水戸義公全集 中』(水戸義公著、徳川圀順編。角川書店・1970年(昭和45年)10月発行)に収められている「常山詠草」巻之三によりました。
    2. 文中の、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、同じ仮名を繰り返して表記してあります。(やうやう、かれかれ、きりきりす、をさをさ)
   
    3. 「梅花記」は、安藤為章撰の『年山紀聞』にも掲載されていますが、両者の本文には若干の異同が見られます。    
         
         
           



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