資料621 斗筲之人(『論語』子路第十三より)




        斗筲之人  『論語』子路第十三より


  子貢問曰何如斯可謂之士矣子曰行己有恥使於四方不辱君命可謂士矣曰敢問其次曰宗族稱孝焉郷黨稱弟焉曰敢問其次曰言必信行必果硜硜然小人哉抑亦可以爲次矣曰今之從政者何如子曰噫斗筲人何足算也    


  (注) 1.  上記の本文は、新釈漢文大系1『論語』(吉田賢抗著、明治書院・昭和35年5月25日初版発行、昭和45年10月5日19版発行)によりました。ただし、句読点を省いてあります。    
    2.  〇斗筲(とそう)=(「斗」は1斗を入れる量器、「筲」は1斗2升をいれる竹器)①器量の小さいこと。度量のないこと。としょう。性霊集四「─の才を以て謬つて法綱に処(お)り」②禄・給料などのわずかであること。(『広辞苑』第7版による。)    
    3.  この文章の余説で著者の吉田賢抗氏は、
 「士君子とは階級上の名ではない。人の修養課程上の名である。士君子と称される人物でも、常に才能を発揮しうる地位に在るとはいえない。時運のいたずらで、時代に会わない、換言すれば、就職できない人、そして貧乏生活に苦しまなくてはならぬ人物もある。しかも、この窮地にあっても節を持して学問と修養を捨てないで、常に廉恥心があり、人に及ばないのを残念がって努力している。そして一旦運命が拓(ひら)けて大きい任務が与えられた時には、平素蓄えた力を発揮して使命を果たすことのできる人物、こういう人を孔子は真の士といった。」
と書いておられます。(同書、292頁)
   
           
           
           


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