資料620 垣の一方の人を視見す(中国古代の名医・扁鵲の話)




      視見垣一方人(『史記』扁鵲倉公列伝第四十五より)

扁鵲者渤海郡鄭人也姓秦氏名越人少時爲人舎長舎客長桑君過扁鵲獨奇之常謹遇之長桑君亦知扁鵲非常人也出入十餘年乃呼扁鵲私坐閒與語曰我有禁方年老欲傳與公公毋泄扁鵲曰敬諾乃出其懷中藥予扁鵲曰飲是以上池之水三十日當知物矣乃悉取其禁方書盡與扁鵲忽然不見殆非人也扁鵲以其言飲藥三十日視見垣一方人以此視病盡見五藏癥結特以診脈爲名耳爲醫或在齊或在趙在趙者名扁鵲



  (注) 1.  上記の本文は、新釈漢文大系91『史記十一(列伝四)』(青木五郎著、明治書院・平成16年6月30日発行)により、『史記』扁鵲倉公列伝第四十五の初めの部分を記載しました。ただし、句読点を省いてあります。    
    2.   この扁鵲は、中国古代の名医といわれる人物です。彼は、土塀の向こう側にいる人の姿を透視することができたといいます。そこで五臟の病根がことごとく透けて見えたのですが、見かけはただ脈を診て診断しているように振る舞ったといいます。もと黄帝時代にいたとされる名医・扁鵲の名をとって扁鵲と呼ばれた、というわけです。    
    3.  〇扁鵲(へんじゃく)=中国、戦国時代の名医。渤海郡鄭の人。姓は秦、名は越人。長桑君に学び、医の秘術を伝受して名医となり趙簡子や虢(かく)の太子を救ったという。古代インドの名医、耆婆(ぎば)と並称される。
 〇耆婆扁鵲(ぎば・へんじゃく)=(耆婆は古代インドの名医、扁鵲は中国古代の名医)世にもまれな名医。優れた医者。(以上、『広辞苑』第7版による。)
   
    4.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、扁鵲の項があり、参考になります。
フリー百科事典『ウィキペディア』
 → 扁鵲
   
           
           





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