資料61 学事奨励ニ関スル被仰出書(学制序文)



          學事獎勵ニ關スル被仰出書 (學制序文)

             
太政官布告第二百十四號(明治五壬申年八月二日)



人々自ラ其身ヲ立テ其産ヲ治メ其業ヲ昌ニシテ以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ身ヲ脩メ智ヲ開キ才藝ヲ長スルニヨルナリ而テ其身ヲ脩メ智ヲ開キ才藝ヲ長スルハ學ニアラサレハ能ハス是レ學校ノ設アル所以ニシテ日用常行言語書算ヲ初メ士官農商百工技藝及ヒ法律政治天文醫療等ニ至ル迄凡人ノ營ムトコロノ事學アラサルハナシ人能ク其才ノアル所ニ應シ勉勵シテ之ニ從事シ而シテ後初テ生ヲ治メ産ヲ興シ業ヲ昌ニスルヲ得ヘシサレハ學問ハ身ヲ立ルノ財本共云ヘキ者ニシテ人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ夫ノ道路ニ迷ヒ飢餓ニ陷リ家ヲ破リ身ヲ喪ノ徒ノ如キハ畢竟不學ヨリシテカヽル過チヲ生スルナリ從來學校ノ設アリテヨリ年ヲ歴ルコト久シト雖トモ或ハ其道ヲ得サルヨリシテ人其方向ヲ誤リ學問ハ士人以上ノ事トシ農工商及ヒ婦女子ニ至ツテハ之ヲ度外ニヲキ學問ノ何物タルヲ辨セス又士人以上ノ稀ニ學フ者モ動モスレハ國家ノ爲ニスト唱ヘ身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ或ハ詞章記誦ノ末ニ趨リ空理虚談ノ途ニ陷リ其論高尚ニ似タリト雖トモ之ヲ身ニ行ヒ事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス是即チ沿襲ノ習弊ニシテ文明普ネカラス才藝ノ長セスシテ貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ是故ニ人タルモノハ學ハスンハ有ヘカラス之ヲ學フニハ宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス之ニ依テ今般文部省ニ於テ學制ヲ定メ追々敎則ヲモ改正シ布告ニ及フヘキニツキ自今以後一般ノ人民華士族卒農工商及婦女子必ス邑ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス人ノ父兄タル者宜シク此意ヲ體認シ其愛育ノ情ヲ厚クシ其子弟ヲシテ必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ 高上ノ學ニ至テハ其人ノ材能ニ任カスト雖トモ幼童ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事

但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ學費及其衣食ノ用ニ至ル迄多ク官ニ依頼シ之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト思ヒ一生ヲ自棄スルモノ少カラス是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ自今以後此等ノ弊ヲ改メ一般ノ人民他事ヲ抛チ自ラ奮テ必ス學ニ從事セシムヘキ樣心得ヘキ事

右之通被 仰出候條地方官ニ於テ邊隅小民ニ至ル迄不洩樣便宜解譯ヲ加ヘ精細申諭文部省規則ニ隨ヒ學問普及致候樣方法ヲ設可施行事



  普通の文章表記に書き改めたものが、(注)の11にあります。  


  (注) 1. 本文は、『法令全書』第五巻ノ一(内閣官報局編、原書房 昭和49年10月15日発行。復刻原本=明治22年刊)によりました。 
                                             
   
    2. 標題の「学事奨励ニ関スル被仰出書」は、原本にはなく、一般に用いられている通称です。あるいは、「学制序文」とも言われています。
   
    3. 文中の細字は、原文では1行の中に2行に分かち書きされています。
   
    4. その細字2行の分かち書きの「華士族農工商及婦女子」のところの上の欄外(原文は縦書きなので)に、「文部省第二十二號ヲ以テ分注華士族ノ下卒ノ字ヲ加フ」と、注があります。
(文部省第二十二號(明治五壬申年八月)の通達に、「学制中誤謬ヲ訂正スルモノ左ノ如シ 御布告書三葉ノ裏第三行ノ細書華士族ノ下卒ノ字ヲ加フ」とある。)
従って、「華士族農工商及婦女子」は、「華士族卒農工商及婦女子」が正しいということになると思われますので、本文に「卒」の字を補いました。この点、ご注意下さい。
「卒」は、卒族のことで、『広辞苑』(第6版)には、「【卒族】 明治初年の族称の一つ。中間(ちゅうげん)・足軽など下級の武士を旧来の慣用に従い「卒」として士族から区分して設けた。1872年(明治5)これを廃止して、禄高を世襲する者を士族、他を平民に編入した。卒。」とあります。
   
    5. 本文の2か所の「雖トモ」(細字の「雖トモ」は除く)の「トモ」は、左右を縮めて1字にした仮名が使われています。
   
    6. 「文明普ネカラス」の「ネ」は、「子」という漢字を「ネ」と読ませています(変体仮名)。
   
    7. 標題の「被仰出書」は、普通、「おおせいだされしょ」と読んでいるようです。
   
    8. 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、明治5年7月に文部省から出版された「學制」が入っています。(序文の最後「……方法ヲ設可施行事」の次に、「明治五年壬申七月 太政官」と書いてあります。)この画像によると、最後の「今般被仰出候條……方法ヲ設可施行事」以外は、仮名は、「ハ」を除いて平仮名が用いられているようです。この「学制」で、「学制」の本文をすべて見ることができます。
なお、この明治5年7月に文部省から出版された「学制」と上に掲げた本文とに、次のような表記上の違いがみられます。

  (『法令全書』)        (明治5年7月文部省出版の『学制』)
其生ヲ遂ル所以ノモノ          其生を遂るゆゑんのもの
學校ノ設アル所以ニシテ         學校の設あるゆゑんにして
其才ノアルニ應じ           其才のあるところに應し
シテ後初テ              しかして後初て
財本共云ヘキ者             財本ともいふへきもの
年ヲ歴ルコト久シト雖トモ        年を歴ること久しといへとも
之ヲ度外ニキ             之を度外に
又士人以上ノ稀ニ學フモ        又士人以上の稀に學ふもの
身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ      身を立るの基たるを知すして
其論高尚ニ似タリト雖トモ        其論高尚に似たりといへとも
事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス    事に施すこと能さるもの少からす
即チ沿襲ノ習弊ニシテ         是すなはち沿襲の習弊にして
貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ      貧乏破産喪家の徒多きゆゑんなり
人タルモノハ學ハスンハヘカラス   人たるものは學はすんはあるへからす
人ノ父兄タル             人の父兄たるもの
其人ノ材能ニ任カスト雖トモ       其人の材能に任かすといへとも
之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト思ヒ 之を給するに非されは學さる事と思ひ
     ☆ この点、細かなことですがご注意ください。
   
    9.   『東京学芸大学コンテンツアーカイブ』というサイトでも、太政官布告第214号(明治5年8月2日)「学事奨励ニ関スル被仰出書」を画像で見ることができます。
   
    10.  ○学制(がくせい)=1872年(明治5)に制定された日本で最初の近代学校制度に関する規定。欧米の学校制度を参考とし、全国を大学区・中学区・小学区に分け、各学区に大学校・中学校・小学校を設置することを計画したが、計画通りには実施されず、79年(明治12)教育令の制定により廃止。
○学制頒布(がくせい・はんぷ)=明治5年(1872)8月、明治政府が学制を定め、全国に頒布したこと。頒布にあたり、国民皆学の理念、学問・実学の重要性などを説いた太政官布告「学事奨励に関する被仰出書」(「学制序文」)が公布。          (以上、『広辞苑』第6版による。)
引用者注:「学制頒布」という場合の「頒布」は、法令を公布する、の意です。

○ 参考:頒布(はんぷ)の意味について
「頒布(はんぷ)」を手元の辞書で引いてみると、次のように出ています。
  頒布(はんぷ)=広くゆきわたるように分かちくばること。「小冊子を─する」「─会」           (『広辞苑』第6版による。)
  頒布(はんぷ)=多くの人に分けること。「無料─・─会〔=会員を募り、特定の品物を販売する・制度(会)〕」(『新明解国語辞典』第3版による。)

   つまり、「頒布(はんぷ)」とは、多くの人に配り分けることを言い、有償の場合もあり、無償の場合もある、ということになります。これは、現在使われている「頒布」の意味ですが、少し大きな辞書、『日本国語大辞典』第8巻(小学館、昭和50年発行)を引いてみますと、
  頒布(はんぷ)=(1)広くわかち配って行きわたらせること。また、広く行きわたること。配布。*東京新繁昌記<服部誠一>初・新聞社「是れ新聞紙の国内に頒布して、開化を助くるの一二也」 *出版法(明治26年)1条「文書図書を印刷して之を発売し又は頒布するを出版と云ひ」 (2)法律などを発表し、広く知らせること。公布。 *刑法(明治13年)3条「法律は頒布以前に係る犯罪に及ほすことを得す」 *花間鶯<末広鉄腸>緒言「選挙法等は国会開設の前に御頒布(ハンプ)になるに相違ありますまい」
とあって、「公布」と同じ意味が(2)に出ています。「学制頒布」の「頒布」の意味です。

ところで、『日本国語大辞典』 の(1)に「配布」とあり、(1)の「頒布」は「配布」と同じ意味としてありますが、「頒布」の場合は、有償の場合もあり、無償の場合もあるのに対して、「配布」の場合は、「街頭でチラシを─する」のように、無償の場合に用い、有償の場合には使わないのではないでしょうか。ちなみに、特定の関係者に一人ひとり配って渡す場合には「配付」を使い、「配布」と区別することがありますが、新聞や法令では「配布」・「配付」を区別せず、「配布」を使っているそうです。
なお、<「配布」と「配付」の使い分け>については、『言葉に関する問答集・総集編』(文化庁・編、大蔵省印刷局・平成7年3月31日初版発行)に詳しく出ていますので、ご覧ください。(同書、47~8頁)(2010年9月15日追記)
                                           
   
    11. 上記の「学事奨励ニ関スル被仰出書」を、普通の表記の文章に書き直してみます。 
1)読み方については、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の、明治5年7月に文部省から出版された「學制」の読み方を参考にしました。
2)漢字の読みは、現代仮名遣いで示してあります。
3)「邑(むら)に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん事を「期(き)す」にある漢字「邑(むら)」の読みについては、下の「付記」をご覧ください。
4) 終わり近くにある「不洩様」は「洩らさざるやう」と読みましたが、あるいは「洩れざるやう」と読むのでしょうか?
 ○ 読み方について、お気づきの点を教えていただければ幸いです。

  学事奨励に関する仰せ出(いだ)され書(しょ)
人々自(みずか)らその身を立て、その産を治め、その業(ぎょう)を昌(さか)んにして、以てその生を遂ぐる所以(ゆえん)のものは、他(た)なし、身を修め、智を開き、才芸を長ずるによるなり。而(しか)してその身を修め、智を開き、才芸を長ずるは、学にあらざれば能(あた)はず。これ学校の設(もうけ)ある所以にして、日用常行(にちようじょうこう)・言語(げんぎょ)・書算(しょさん)を初め、士官(しかん)・農商(のうしょう)・百工(ひゃっこう)・技芸(ぎげい)及び法律・政治・天文・医療等に至る迄、凡(およ)そ人の営むところの事、学あらざるはなし。人能(よ)くその才のある所に応じ、勉励してこれに従事し、而(しか)して後(のち)初めて生を治め、産を興(おこ)し、業を昌(さか)んにするを得(う)べし。されば、学問は身を立つるの財本(ざいほん)ともいふべきものにして、人たるもの誰(たれ)か学ばずして可ならんや。夫(か)の道路に迷ひ、飢餓に陥り、家を破り、身を喪(うしな)ふの徒(と)の如きは、畢竟(ひっきょう)不学(ふがく)よりして、かかる過(あやま)ちを生ずるなり。従来、学校の設(もうけ)ありてより年を歴(ふ)ること久しと雖(いえど)も、或(ある)いはその道を得ざるよりして、人その方向を誤り、学問は士人(しじん)以上の事とし、農・工・商及び婦女子に至つては、これを度外に置き、学問の何物たるを弁ぜず。又、士人以上の稀(まれ)に学ぶ者も、動(やや)もすれば国家のためにすと唱(とな)へ、身を立つるの基(もとい)たるを知らずして、或いは詞章記誦(ししょう・きしょう)の末に趨(はし)り、空理虚談(くうり・きょだん)の途(と)に陥り、その論(ろん)高尚に似たりと雖も、これを身に行ひ、事に施(ほどこ)すこと能(あた)はざるもの少なからず。これ即ち沿襲(えんしゅう)の習弊(しゅうへい)にして、文明普(あま)ねからず。才芸の長ぜずして、貧乏・破産・喪家(そうか)の徒(と)多き所以(ゆえん)なり。この故に、人たるものは学ばずんばあるべからず。これを学ぶには宜(よろ)しくその旨(むね)を誤るべからず。これに依つて今般文部省に於(おい)て学制を定め、追々(おいおい)教則をも改正し、布告に及ぶべきにつき、自今以後(じこんいご)、一般の人民 華士族卒農工商及び婦女子 必ず邑(むら)に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん事を期(き)す。人の父兄たる者、宜(よろ)しくこの意を体認し、その愛育の情を厚くし、その子弟をして必ず学に従事せしめざるべからざるものなり。高上の学に至りては、その人の材能(さいのう)に任(まか)すと雖も、幼童の子弟は男女の別なく小学に従事せしめざるものは、その父兄の越度(おちど)たるべき事。 

 但(ただ)し、従来沿襲(えんしゅう)の弊(へい)、学問は士人以上の事とし、国家のためにすと唱ふるを以て、学費及びその衣食の用に至る迄、多く官に依頼し、これを給するに非(あら)ざれば学ばざる事と思ひ、一生を自棄するもの少なからず。これ皆惑(まど)へるの甚(はなはだ)しきものなり。自今以後(じこんいご)、これらの弊(へい)を改め、一般の人民、他事(たじ)を抛(なげう)ち、自(みずか)ら奮つて必ず学に従事せしむべきやう心得(こころう)べき事。

右の通り仰せ出(いだ)され候(そうろ)ふ条(じょう)、地方官に於て、辺隅(へんぐう)小民に至る迄、洩らさざるやう便宜(べんぎ)解訳(かいやく)を加へ、精細(せいさい)申し諭(さと)し、文部省規則に随(したが)ひ、学問普及致し候ふやう、方法を設け施行(しこう)すべき事。

(付記)「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」の「邑」の読み について
  学制序文の中で特に有名な「必ず邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」というところは、「家」を「いえ」と訓読していますので、それにあわせて「邑」を「むら」 と訓で読んで、「邑(むら)に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん事を期す」と読んでおきました。
 『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の、明治5年7月に文部省が出版した「學制」には、「邑」の右に「いふ」、左に「むら」と振り仮名がありますので、「いふ(ゆう)」が読みで、「むら」が意味、ということになっているようです。これに従えば、「邑(ゆう)に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん事を期す」と読ませることになります。
文部省発行の「学制」という本にこだわらなければ、「邑(むら)に不学の戸(こ)なく」と読んでもよいだろうと思います。現に、高校生向けの参考史料集などでは、「邑(むら)」と読ませているようです。
   一言、お断りしておきます。  
   
    12. 「学事奨励ニ関スル被仰出書」の現代語訳を試みてみます。暫定的なものなので、誤りがあると思います。少しずつ正していきたいと思いますので、お気づきの点を教えていただければ幸いです。

  学事奨励に関する仰せ出だされ書
人々が自分自身で立身し、その財産を管理し、その事業を盛んにして、そうすることでその一生を全うすることができるのはなぜかというと、それはほかでもない、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を広め、才能や技芸を伸ばすことによるのである。そうして、その、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を開き、才能や技芸を伸ばすことは、学問によらなければ不可能である。これが学校を設置してある理由であって、日常普段の行い、言葉づかいや書道・算数を始めとして、役人・農民・商人・様々な職人・技芸に携わる人、及び法律・政治・天文・医療等に至るまで、およそ人の営むもので学問が関係しないものはない。人はその才能のあるところに応じて勉め励んで学問に従事し、そうして初めて自分の生活を整え、資産をつくり、事業を盛んにすることができるであろう。そうであるから、学問は立身のための資本ともいうべきものであって、人たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか(=人間誰しもが皆、学ばなければならないのである)。あの、路頭に迷い、飢餓に陥り、家を破産させ、わが身を滅ぼすような人たちは、結局は学問をしなかったことによって、このような(結果をもたらす)過ちを生じたのである。これまで学校が設けられてから長い年月が経っているとはいっても、場合によってはそのやり方が正しくないことから人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人に関することと考えて、農業・工業・商業に従事する人、及び女性や子どもに至っては、学問を自分たちとは関係のないものとし、学問がどういうものであるかをわきまえていない。また、武士階級以上の人で稀に学問する者があっても、どうかすると学問は国家のためにするのだと言い、学問が立身の基礎であることを知らずに、ある者は文章を暗記するなど瑣末なことに走ったり、空理(=実際とかけ離れた理論)や虚談(=事実に基づかない話)に陥り、その言っている論は高尚であるかのように見えるけれども、これを実際に自分自身が行い、実際に実施してみることができないものが、少なくない。これはつまり、長い間従ってきた昔からの悪い習わしであって、文明が行き渡らず、才能と技芸が伸びないために、貧乏な者や破産する者、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人たるものは学問をしなければならないのである。学問を学ぶためには、当然その趣旨を誤ってはならない。このために、このたび文部省で学制を定め、順を追って教則を改正し布告していくので、今から以後、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子ども)は、必ず村に学ばない家が一軒もなく、家には学ばない人が一人もいないようにしようとするのである。人の父兄である者は、よくこの趣旨を十分認識し、その子弟を慈しみ育てる情を厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならないのである。高度の学問に至っては、その人の才能に任せるといっても、幼い子弟は男女の別なく、小学校に学ばせないのは、その父兄の手落ちであることになること。

ただし、これまで長い間従ってきた悪い習慣であるところの学問は武士階級以上の人のことだとすること、そして学問は国家のためにすることだと言うことによって、学費及びその衣類や食事の費用に至るまで、多くを官に頼り、これを給付してくれるのでなければ学ばないと思い、一生を自分から駄目にしてしまう者が少なくない。これは皆惑っていることの甚しいものである。今から以後、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げ捨てて自分から奮って必ず学問に(自分自身を)従事させるよう心得るべきであること。

右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、片田舎の身分の低い人民に至るまで漏らすことのないよう、適宜、(学制の)意味を説き明かしてやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及致しますよう、方法を設けて施行すべきであること。    
                    (2009年09月11日記述)
   
    13.  『国立国会図書館デジタルコレクション』に、大正11年10月に文部省から発行され、同年11月に帝国教育会から翻刻発行された『学制五十年史』(文部省・大正11年10月30日発行、帝国教育会・大正11年11月3日翻刻発行)が、入っています。 
 『国立国会図書館デジタルコレクション』 → 『学制五十年史』
   
    14. 文部科学省のホームページに、「学制百年を記念するため、文部省の学制百年記念事業の一つとして刊行された」『学制百年史』(編集者・監修者:文部省、発行者:帝国地方行政学会、発行年月日:昭和56年9月5日)があります。
  文部科学省 → 『学制百年史』
   
           





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